euphoria


愛心の海に溺れる


家に帰ると部屋は真っ暗であの人の姿はなかった。章大を食事に誘い断られて、きっと別の人と食事に行ったのだろうと少し安堵していた。

結局夫が帰ってきたのは深夜2時過ぎで、着替えを取りに寝室に入って来た時にアルコールと女性物の香水の香りがしたから、結局女と一緒に居たということなんだろう。
浴室のドアが閉まる音を聞きながら呆れたように溜息を吐き出すけれど、していることは自分も同じなのだと後ろめたい気持ちになりながら目を閉じた。



2日後、夫から『今日飲み会』とメッセージを受信して、出来上がったばかりの夕食のおかずに目を遣り溜息を吐いた。自分一人なら簡単なものにしたのに。もっと早く連絡してくれたらよかったのに。
文句は全て飲み込み、一言返信しようとしたところで、続けてもう一件受信したメッセージ。けれど差出人は夫ではなかった。

“#name1#が好きそうなワイン買っといた!次来るまで取っとくな♡”

章大の部屋のリビングで撮られたらしいワインボトルの写真を見て、思わず通話ボタンを押してしまった。
夫の飲み会は職場のものだと思っていた。だから章大も一緒なのだろうと勝手に思っていたのに。

『...もしもしぃ?』
「...ごめん、急に掛けて」
『...あれ、先輩居れへんの...?』
「飲み会って言うから、一緒かと思ってた」

一瞬間を空けて、章大が受話器越しにふっと笑った。

『...今日は一緒ちゃうかったぁ』
「...そっか」

またあの人が誰といるのかを想像して胸の中に靄が集まる。...“誰か”ではない。あの子といる所を想像してしまったから。

『...迎えに行こか?』

突然の誘いに胸がドクリと脈打つ。
用意した食事にもう一度目を遣って心が揺れる。

『日付変わるくらいまで、時間あるんちゃう?』

初めての電話越しの章大の声は、いつもよりも更に甘く聞こえて胸が高鳴る。

「...うん、」
『じゃあ、迎えに行くな』

会えるのは、週末だけだと思っていた。思いも寄らないチャンスに迷いは一瞬で吹き飛んだ。


いつもの曲がり角を曲がれば、見慣れない車の中から章大が手を振っていた。助手席に回り込んでドアを開けると、章大が笑顔で私を迎える。

『飯食うてないやろ?どうしよか。食いに行く?』
「...あ、うん、」

ちらりと章大を見て俯いた。
外食をすれば多少のリスクを伴うし、時間もそれなりに掛かるわけで。本当は、ゆっくりふたりで居たい。...なんて、やっぱり言えなかった。

覗き込むように首を傾けた章大は私の右手を取って指を絡めると、その指を弄びながら言った。

『家で食べる?...そしたらいっぱい時間あんで』

本当にこの人は、私の心の中まで見えているんじゃないかと思う。そうでなかったとしても、私と同じような事を考えてくれていたのなら、それだけで嬉しい。

「...うん、そっちがいい」

食べるものなんて何だってよかった。隣に章大がいれば、それだけで私にとって特別な時間になるのだから。



『嬉しかった、電話』

簡単な食事を終えて、グラスに私のために用意してくれていたワインボトルを傾けながら章大が言った。継ぎ足されるのは既に二回目で、章大のその手を掴んで止めた。

「普段家であんまり飲まないし、酔っちゃうとあれだから、」
『...そっか』
「...本当は飲みたいんだけどね」

笑顔で頷いて章大が自分のグラスにだけワインを注ぐ。そのグラスに口を付けて傾け、章大が私を横から抱き寄せる。触れた唇から口内に流し込まれたワインを章大の舌が掻き回し、口の端から溢れた一雫を章大の指が拭った。
それを飲み込めば、今までとは比べ物にならないくらい喉が熱くて、酔いが回ってしまいそう。

『これでおしまいにしとこな』

アルコールのせいか甘ったるいキスのせいか火照った私の顔を見て章大が笑う。細められた優しい目が愛を伝えるように私を見つめて、また唇が触れた。差し込まれた舌はアルコールの香りがして、キスをする度に酔いが回るような感覚は私を駄目にしてしまいそう。

会えない日には「数時間でいいから」と願うのに、会ってしまえば「もっと一緒に居たい。ずっと一緒に居たい」。どんどん贅沢になってしまうから、罰があたるかもしれない。
あの人とは違う章大の優しい眼差しも手も声色も、全部私だけのものにしたい。章大のものになりたい。
それくらいに章大の甘い目の色で、温かい腕の中で、溺れていた。



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