euphoria


9th Night.


外で余程気を張っていたのか、#name1#はすぐに眠りに落ちた。安心してくれたということならそれでいい。
抱き締めたその体温は心地良いのに、なかなか眠れずにいた。#name1#に会う前に割り切ったはずだったのに、どうしても考えてしまう。いくら拭っても溢れてくる黒い感情がコントロール出来ずに、勢いに任せて#name1#をめちゃくちゃに抱いてしまいたい衝動に駆られた。けれど、身動ぎして俺の胸に擦り寄る#name1#の寝顔がそれを思い留まらせる。目を閉じてその体をより強く抱き締め、頭をからっぽにするように自分に言い聞かせた。


次第に近付いてくるような電子音で目が覚めた。眠りについてから2時間も経っていないせいで瞼が重い。頬に触れる髪と腕の中の体温に安堵して再び目を閉じた。

すぐにモゾモゾと#name1#が動いたからぼんやりと目を開けると、#name1#の顔がすぐ傍で俺を見つめていた。
...夢なのか現実なのか。ふわふわする頭で考える間もなく#name1#に顔を近付けた。すると、#name1#の腕が遮って電子音が止んだ。
...なんや、夢ちゃうんや。危なかった。
目を閉じてリセット。夢ではない現実の#name1#に向かって言った。

『...おはよぉ』
「...おはよ、」

小さく呟かれた挨拶は戸惑いを含んでいるように感じたから、キスをしようとしたことに気付いてしまったかもしれない。

『めっちゃ眠たい...』
「...うん、...寝てていいよ」
『...ん、』

それでも、認めるわけにはいかないから何でもないふり。
#name1#が抜け出したベッドが何だか妙に寒く感じて、ベッドに付かれたその腕を思わず掴んだ。振り返った#name1#は昨夜の涙のせいで目が腫れぼったい。痛々しいし心配なのは変わらないけれど、だからこそ笑顔を作って#name1#を見た。

『...大丈夫?』
「...え?」

キョトンとした顔で、何だか間の抜けた返事が返ってきたから、思わず『なんでもない』と笑って手を離し、布団に顔を埋めた。

二度寝したいと思っていたのに、#name1#がそこに居ると思うと眠れない。微かに聞こえてくる音を聞きながら、ベッドの中で蹲って目を閉じていた。

玄関の鍵が締められる音がして目を開けた。#name1#が出て行った音のないこの空間が、何だか妙に切なくて胸が締め付けられた。
起きて行けば見送ることも出来るけれど、してはいけない気がしていた。さっきみたいにまた#name1#の手を掴んで引き留めてしまうかもしれない。

胸の中に充満した靄のせいで、頭に描いた#name1#の顔がぼやける。幾度となく見つめてきた顔が思い出せない。
離れたばかりなのに顔が見たくて仕方ない。どうすればこの靄が晴れるんだろう。...晴れる日なんて、来るのだろうか。



『最近付き合い悪ない?』

楽屋のソファで携帯を握り締めてぼんやりしていたら、後ろから肩を組まれて大倉が俺の顔を覗き込んだ。

『...そうかぁ?』

俺の手の中の携帯を抜き取った大倉に目を向ければ、にっこりと笑ってそれを前のテーブルに置いた。

『スマホばっかし』
『お前、彼女みたいやな』
『え、彼女居るん?』
『...そういう意味ちゃうし』

わかってますー、と大倉がからかうように笑う。
何だか隠し事をしているみたいで申し訳ない。気に掛けてくれているのは痛いほどわかる。けれど、まだ話すわけにはいかないんだ。

『今日大輔と約束してるんやけど、ヤスも行けへん?』
『...あー、んー...』
『みんなも誘おうか言うててさぁ、今日はよ終わるやろ?せやから、』
『行く』

“みんな”の中に#name1#が含まれているかはわからないけれど、#name1#に会う口実が欲しかった。
同時に、自分の中の靄の正体にも気付いていた。俺は#name1#を、自分の傍に置いておきたかったんだ。どこで誰と居るのかわからない不安な時間を、過ごさなくて済むように。紛れもない独占欲に戸惑いながらも、それを振り払うように目の前のやるべきことに集中するべく目を閉じた。



早めに終わった仕事場を後にして、大倉とタクシーに乗り込んだ。待ち合わせの店に向かいながらそわそわして落ち着かない。けれど大倉は意外と敏感だから、変な空気を悟られないように気を張る。大倉にまでこんなに気を遣うなんて今までなかったから思わず苦笑いが漏れた。

店の個室に通されると、すぐに後ろから大輔に声を掛けられた。
今日来るらしい、という友人達の名前の中に#name1#の名前があったからほっと息を吐いた。

けれど、1時間が過ぎても#name1#の姿が見えないからそわそわしてしまう。わざわざ俺に連絡してくるはずなんてないのに、携帯ばかり気にしてしまう。
...そうだ。その程度の関係だということを実感した瞬間だった。みんなの前で、俺達は友人でしかない。何度隣で寝たって、抱き締めたって、所詮添い寝をするだけの友達なのだから。

『遅かったねー』
「...ごめん、残業で」

はっとして個室の扉に目をやった。安堵にも似た息を吐き出して#name1#を見れば、#name1#の視線が動いて目が合った。笑顔を向けると、みんなの前だからか、#name1#がぎこちなく笑みを浮かべる。

メニューを手にドリンクを注文する#name1#を盗み見ながら、さっきまでほとんど頭に入って来なかったみんなの会話に耳を傾ける。
誰の恋愛話だかはわからないけれど、正直今は、人の恋愛の話に興味が持てなくて、何となく相槌を打つように頷きグラスを傾けた。

『この前言ってたソフレってやつも結局そうでしょ』

ぴくりと反応してその単語を発した大輔を見遣った。

『あんなもん、満たされてない奴がやることだよ』

胸がぞわぞわと疼く。ツマミに手を伸ばしながらちらりと#name1#を見れば、#name1#はテーブルに視線を落としてさ迷わせている。

『自分の恋愛が上手く行ってない奴が、本命じゃない相手に逃げてんだよ』
『あー、だから手ぇ出さへんねや』

大倉の言葉が胸に刺さった。
同時に、苛立ちを覚えていた。
お前らに何がわかんねん。どんな理由があるか、事情があるか、なんも知らんくせに。想像だけで適当なこと言うなや。

『事情は人それぞれなんちゃう?』

苛立ちを出来るだけ抑えて、幾分かゆったりとした口調を心掛けて言葉を発した。
どんな事情があるか知って欲しいわけではない。共感して欲しいわけでもない。ただ、自分が決断したその道は、間違いなんかじゃないと自分に言い聞かせたかったのかもしれない。

『どんな事情にしたって俺はわかんねぇなぁ』

#name1#にどんな事情があるかなんて知る由もない。その事情を知ったところで、離れることはないだろうと思っている。
誰に理解されなくたってやめるわけにはいかない。苦しくなんかない。一緒に居られるのだから。辛くなんかない。

自分の中の興奮を抑えるのに必死だった。#name1#を見ても目は合わない。グラスを空にするペースが早い。さっきの言葉を気にしているのは一目瞭然だ。だからこそ、今夜これからのことを話すタイミングを逃していた。


「ごめん、明日予定あるから、今日は先帰るね」

会計を済ませた後、早々に立ち上がった#name1#が赤くなった顔を手で扇ぎながら言った。飛び交う挨拶の中視線を送れば、ちらりと俺を見たからその目をじっと見つめた。けれど、#name1#は目を逸らし個室から出て行った。
小さく溜息をついてグラスのアルコールを飲み干し立ち上がると、みんなに声を掛けることなく部屋を後にした。

店を出て辺りを見回すと、いつもよりもぎこちない歩き方の見慣れた後姿を見付けて駆け出す。明らかに酔いが回っているように見えるその背中を追うと、大通りで立ち止まってタクシーに向かって手を挙げたから急いで駆け寄る。

タクシーのドアが開いた瞬間、その腕に手を伸ばし、掴んで引いた。驚いて振り返った#name1#の丸くなった目には、涙が浮かんでいた。胸が焼けるように熱くなって苦しいけれど、ぐっと堪えて#name1#を見た。

『送る』

手を離して先にタクシーに乗り込むと、#name1#が立ち尽くして呆然と見つめる。はよ、と急かせば、はっとしたようにタクシーに乗り込んできたから、#name1#の家の住所を運転手に告げた。

『いつもより酔うてるように見えたから』
「......そう、かな、」

目に溜まった涙には、どんな理由が隠されているんだろう。
いつもより言葉が少ないのは、酔っているせいだろうか。それともさっきの言葉を気にしているからか。
...何も気にせんと俺を使ったらええねん。どんな理由でも受け入れたるよ。大事な、友達、...やねんから。

『...あ、すんません。やっぱり行き先変えてもらっていいですか?』

言葉にすることは出来ないけれど、どうしたら大事な存在だと伝わるのかと考えたら、これしか浮かばなかった。
一瞬過ぎったマネージャーの顔は、振り払った。

視線を感じて#name1#に目を向ければ、心配そうに俺を見ていたから精一杯微笑んで見せた。

『ごめん、細かいのないから、俺んちな』
「...あ、私、…」

バッグを開いた#name1#の手を掴んだ。これ以上、言わせないように。俺を見た#name1#に笑みを浮かべ首を横に振れば、手の力が緩んだから目を逸らして窓の外に視線を移した。俺を気にしている様子はあるものの、何も言ってこない#name1#に目を合わせることはしなかった。“やっぱり...”という言葉がその口から出るのを、密かに恐れていたから。

『その辺で停めてくださーい』

車が停って先に降りるように促すと、戸惑いながら#name1#がタクシーを降りる。辺りを伺うのはやめた。アルコールで気が大きくなっていることもあるけれど、今は#name1#に余計な心配を与えることをしたくなかった。

降りて真っ直ぐに目の前の自宅マンションへ向かい自動ドアの前で振り返ると、#name1#が戸惑うように立ち尽くしていたから思わず笑った。
ほら、な。気にしてんねん。俺以上に周り、気にしてる。

『#name1#!何してるん』

声を掛けると小走りでついてきたから、マンションの中に入った。#name1#の目がマンションの至る所にキョロキョロと動いて落ち着かない様子だけれど、緊張しているのは俺も同じだ。
エレベーターに乗り込んで階数表示を眺めながら言った。

『...明日、予定あるんやったっけ』
「...あ、...え、...うん、」
『朝早いん?今日泊まる?それとも、帰る?』

エレベーターを降りて奥の部屋へと向かうと、黙ったまま後ろをついて来るからそわそわしてしまう。本当は、返答を早く聞いて安心したいのに。

『どうぞ』
「......お邪魔します、」

玄関に先に上がって振り返れば、#name1#が伺うように俺を見ていたから笑顔を向けた。

『じゃんけん、する?』
「............、」

#name1#の表情からすると、この前の夜を思い出したに違いない。笑って部屋の中に入れば、ゆっくりとついて来た#name1#に前を向いたまま言った。

『迷うなら泊まったらええよ。何時でも送るから』
「...いいよ、そんなの...」

振り返ると、戸惑ったような顔をしていたから、先手を打った。

『とりあえず、なんか着るもの出しとくな。風呂入ったら?』
「......うん、」

無理矢理押し切ってしまった気はするけれど、うん、という返事に少なからず安堵していた。

俺の部屋を見回す#name1#は、今どんな気持ちでここに立っているんだろう。
見慣れた空間にプラスされた貴重なその姿は心を擽るけれど、手を伸ばしてその体を抱きたい衝動に駆られるから気が抜けない。
それでも、特別だ。#name1#が居るこの空間は、特別、以外の言葉では言い表せない。


シャワーの音が聞こえるのを確認してから、シャワールームの扉を遠慮がちに開けてスウェットを置いた。一応女物だから抵抗はないだろう。
扉を閉める瞬間に磨りガラスに映った#name1#のシルエットを見てまたそわそわしてしまう。気にならないわけがない。けれど手を出すわけにはいかないから、大袈裟に深呼吸をしてリビングに戻った。

程なくして俺のスウェットに身を包んだ#name1#がリビングに入って来たから、入れ違いでシャワーへ向かう。

『そこら辺にある物、自由に使っててええよ』
「...あ、うん、」

何だか妙にそわそわしていた。さっきのとは別の種類。あまりに落ち着かない様子の#name1#が、もしかしたら俺がシャワーを浴びているうちに帰ってしまうんじゃないかと思った。
あの言葉を気にしているのは、俺だけではないはずだ。

早々にシャワーを済ませてリビングへ戻ると、ソファーに#name1#の姿があったから安堵の溜息が漏れた。
ミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から出して口を付けながら#name1#を見れば、俺を伺うように見ていたからペットボトルを差し出した。少し戸惑うように俺からそれを受け取って口を付けた#name1#をちらりと見る。
...さっきよりは少し落ち着いたように見える。

『...寝る?』
「...あ、どっちでも、」
『...ほんなら寝るかぁ』

明日予定があるようなことを言っていたし、...というのは口実に過ぎない。どこか一部でもその体温を感じたくて堪らなかった。不安だから、だとは思いたくない。その意味を知る必要はない。ただ何も考えずに触れていられたら、きっと、...絶対に、幸せしかないはずだ。

寝室に入って布団を捲くると、#name1#がちらりと俺を見てベッドに入った。
今日はあまり目が合わない。...当たり前か。ソフレという関係をみんなにあそこまで否定されたんだから。

もし、俺を利用している気がして罪悪感を感じてるんなら、そんなこと、気にする必要ないのに。もっと全部見せたらええのに。お前が話したい思うことなら、どんなことだって聞くし全力で慰めたるのに。

横になった#name1#に笑顔を向け布団を掛ければ、少しだけ#name1#が微笑んだ気がした。

『元気ないな、最近。...なんかあった?』

すぐに#name1#の視線がふっと逸らされた。だから逃げ道も作ってやる。居心地が悪くならないように。

『...あ、そうかぁ。干渉したらあかんねや』

布団の中で#name1#の指が触れたと思ったら、その指が俺の指に絡められた。
...俺はいつからこんなに弱くなってしまったんだろう。こんなことで目頭が熱くなるなんて。

絡められた指は何かしらのサインに間違いはない。それが何なのかはわからない。話したくても話せないのか、寂しくて堪らないのか、やり切れない気持ちが込められているのか、俺がいくら考えたってわかるはずはない。
けれどそのサインは、今#name1#が俺を必要としてくれている証しのようだった。

顔を背けた#name1#の指を握って引き寄せた。肩を抱いて包み込むように胸の中に閉じ込めれば、震えるように熱い吐息が吐き出された。

『...泣いてるん?』
「......泣いてない、」

泣いてしまいそうなのは俺の方だった。
俺にそんな見え透いた嘘、いつから吐くようになったんや。俺に言われへん理由はなんやねん。何考えとんねん。誰のこと考えとんねん。...全然わかれへん。

『...ならよかった』

すべて飲み込むしかないこの関係を選んだのは他でもない自分だ。割り切ったはずなのに、矛盾する心。けれど後悔なんて出来ない。したくない。何も考えなければ幸せだ。絶対。余計なことは考えない。

耐え切れずに一粒零れた涙は枕に消えた。これ以上俺の中の幸せを逃がさないように、目を閉じて涙は瞼の裏に閉じ込めた。
腕の中の頼りない体を抱き締めて、この体も中身も全て俺の物になれと願い感情を押し殺した、第九夜。




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