10th Night.
眠れずに暗い部屋の中で#name1#の向こう側をぼんやりと眺めていた。見慣れたはずの自分の部屋が、何だか違う空間に見えて仕方がない。明日からまた一人でこの部屋に居ると、余計なことばかり考えてしまいそうだ。
少し前まで鼻を啜っていた#name1#は、今は整った一定のリズムで呼吸をしているから、眠りに落ちたんだろう。
すると頭の上にある携帯が音楽を奏でたから慌てて手を伸ばした。すぐに音を消してディスプレイに表示された名前を確認する。表示されていたのは遠くから俺を監視させられている彼で、けれど今この状況でこの電話に出ることを躊躇った。俺が電話に出ることで寝ている#name1#が起きてしまうかもしれないし、それによって#name1#が声を発してしまう可能性だってあるのだから。
着信が途切れるまでその画面を見つめていた。彼は今、どんな気持ちで切った携帯を見つめているんだろう。他の関係者とは違って、監視される俺を哀れんで心配してくれているのは彼くらいだから余計に胸が痛い。
...でもしょうがない。明日電話すればいい。『すんません、寝てた』と笑って謝ればいい。
音を消したままの携帯を枕元に戻して、再び布団の中で#name1#を静かに抱き締め目を閉じた。
目を開ければカーテンの向こうが薄ら明るくなっていた。目を閉じたばかりだと思っていたけれど、少し寝ていたみたいだ。
少し顔を上げている#name1#の顔を覗き込む。目の周りが僅かに赤くなっていたから、思わずそこに掛かる前髪を払って頬を撫でた。すぐに、ぱっと手を離し#name1#の首の下から静かに腕を抜いて離れ、ベッドから降りた。
...自分でも驚いた。あまりに無意識に触れてしまったから。
部屋を出る前に振り返れば、#name1#はさっきと同じ穏やかな顔で目を閉じていたから安堵した。
本当はもっと抱き締めていたかったけれど、これ以上自分が暴走してしまわないように、リビングで一人時間を潰した。
暫くしてベッドが軋む音がしたから振り返った。髪を整えながらリビングをそっと覗く#name1#に『おはよう』と笑顔を向ければ、突っ立ったまんま手で顔を隠すようにして立ち尽くしている#name1#が小さく、おはようと呟いた。いつか#name1#が来たら使おうと取っておいたおろしたてのピンクのタオルを手に立ち上がり、#name1#の首にそれを引っ掛けた。
『これ、#name1#のな』
「...うん、ありがと、」
#name1#の物がこの部屋に増えたことに、何だか胸が温かくなる。と思っていたら、タオルで口元を覆って洗面所へ向かった#name1#が、何となく笑みを浮かべている気がして少し胸が高鳴った。勘違いだとしてもそれでいい。それだけで少し幸せな気持ちになるのだから、そういうことにしておく。
『送ってく』
俺の手渡した化粧水を顔に馴染ませていた#name1#が、振り返って目を丸くした。
「え?...いいよ、わざわざ、」
『予定あんねやろ?』
「...あぁ、...ん、」
『俺やのに何をそんなに気ぃ遣てるん?』
「そういうわけじゃないけど、」
『俺が送ったらメイクせんでもすぐ帰れるやんか』
「え?」
『え?車やで?』
...あれ、もしかしてちょっと困ってる?けど、人目気にせんと一緒に居れるのは車が1番やから、最初からそうするつもりやったのに。
『タクシー勿体無いやん。今日は時間あるしさぁ』
「...........、」
『...な?』
#name1#が小さく頷いたから笑みが溢れる。よかった。もうちょっと一緒に居れるやん。
また化粧品を手に取って横を向いた#name1#を横目で盗み見る。
...もう、なんやねん。タオルん時と一緒の顔。口元隠してそうやってると、なんか嬉しそうに見えてまうやん。勘違いさせんといて欲しいわ。その顔だけで俺がこんな気持ちんなってるて、知らんくせに。
『時間、平気?』
「うん、大丈夫」
部屋をキョロキョロと見ている#name1#に言い掛けて言葉を飲み込んだ。玄関で俺をちらりと見た#name1#に誤魔化すように笑顔を向けて部屋を出た。
いつもよりも少し言葉が少ない気がするから、その意味を考えてしまう。
エレベーターが地下駐車場に止まって外へ出ると、静かな空間に2人分の足音と鍵の音だけが響く。車の前で止まって#name1#を振り返れば、少し戸惑ったような顔をしていたから『どうぞ』と声のトーンを少し上げた。緊張、警戒...?#name1#の中にあるそれが何なのかはわからないからそうした。
『出しまーす』
「...お願いします」
音楽を控えめにかけて口ずさんでいると、#name1#の視線を感じた。けれど何も言葉を発することなく窓の外を見たから、今度は俺がそれを目で追う。
「...豹変、するんでしょ」
いきなり何を言い出すんだと、思わず笑った。#name1#を見れば、一瞬合った目はすぐに逸らされる。
『そんなことないしー』
「みんな言ってたよ」
『大倉ちゃうのぉ?」
「...とか」
『それはアレやん、女の子乗せてたらめっちゃ安全運転やっちゅうねん』
#name1#が急に黙るからちらりと視線を向ける。何か言いたそうな、でも言いたくないみたいに唇を少し噛んで俯いた先の自分の指先を見ている#name1#が、何を考えているのかやっぱり俺にはよくわからない。俺との会話の中に、誰かを思い浮かべる瞬間があるのかもしれないと思ったら何だか複雑だ。
すると着信音が響いて、ケツポケの携帯が震えたから腰を浮かせてポケットから引き抜いた。チラ、とディスプレイを確認すると大倉の名前が表示されていたから、音を消して脇のポケットへと置いた。...出てもいいんだけど。こんな朝早くに一緒にいることがバレたら、昨夜から一緒に居たことは容易に想像出来るわけで。
「...いいの...?」
『うん。運転中やし』
ゆっくり頷いた#name1#に目を向ければ、また難しそうな顔をしていた。
#name1#は、誰かにこの関係がバレることを恐れているんだろうか。この表情に込められた意味が知りたい。
『次は...来週、やったっけ?』
「...そうなの?」
『あ、今週末やったかな...あれ、聞いてへん?』
「...知らなかった」
『...そおかぁ。昨日遅れて来たからかー』
話題を変えればわりと明るい声色が返ってきたからほっとする。
思い詰めたような表情は好きじゃない。どんな事情も受け入れる覚悟はしているつもりだけれど、そんな顔を見ていたいわけじゃない。普通に、ただ何も考えなくて済むように、いつも通りの#name1#が見たいだけ。
#name1#の家が近付く。けれど、会う予定があるだけマシだと言い聞かせた。その日も、きっと俺はこのマンションに来ることになるのだろうし。
『ここ停めてええかなぁ?』
「うん、多分」
『安全運転しましたー』
「ありがとうございました…」
シートベルトを外した#name1#が俺をちらりと見た。やっぱり何か言いたそうな顔をしているように見える。
...ごめん、わかれへん。俺に何を求めてるんか、何考えてるんか、俺にはわかれへんわ。
思わず伸ばした手を頭に置いた。ぽんぽんと頭を撫でると、苦笑いが漏れた。
そんな顔をされると、離れたなくなるやん。「寂しい」言うてるんちゃうかとか、思てまうやん。
脇のポケットへ置いた携帯が再び鳴り出した。どうせまた大倉だろうと携帯を少し持ち上げて確認すれば、マネージャーだったからすぐに音を消した。
「...出ていいよ。ありがとう。気を付けてね!」
え、と言う間もない程のスピードで#name1#が車を降りた。思わず『待って、』と声を掛けたけれど、言葉の途中でドアがバタンと音を立てる。
振り向くことなくマンションへ入って行く#name1#の背中を、呆然と見つめていた。後姿が見えなくなっても、心に残る靄のせいで暫くマンションの入口を見つめていた。
...あ、そうや。電話、しとかなあかんな。
思い出してマネージャーに電話を掛ける。ワンコールも鳴り終わらないうちにマネージャーが電話に出たから思わず苦笑い。
『ごめん、昨日寝てもうてて』
予定通りの言葉を並べ電話を切ると、#name1#の部屋を見上げて車を出した。
いつもは一人だというのに、#name1#が居たはずの助手席も自分の部屋も、何だか今は苦しい。こんなに恋愛にのめり込むタイプの人間ではなかったはずだ。こんなに女々しい感情を持っているつもりもなかった。些細な幸せだけで舞い上がれる、呑気な人間だったはずなのに。
“日曜日やった!20時くらいに、...”
#name1#が知らないみたいだったから、なんて理由をつけて、今度の予定を書いてメッセージを送った。
夜になると、少なからず期待してしまう。いつか「今日、来れる?」なんてメールが来るんじゃないかと。
今朝、二人で部屋を出る前に飲み込んだ言葉を、少し後悔していた。頭に過ぎったスペアキー。今はまだ渡すタイミングではない気がした...なんて、ただの言い訳だ。昨夜のことがあってこの関係に戸惑いを見せた#name1#に、自分の焦りだけで鍵を渡すことを躊躇った。無理矢理連れて帰ったようなものだったから。今まで#name1#から「来て」と呼ばれたことなど一度もない。俺から『今日行く』と言わなければ、二人で会うことすらなかなかないんだ。
もしあの時、#name1#に俺の部屋の合鍵を渡していたとしたら、何か変わっていただろうか。#name1#は、俺をもっと利用してくれるようになるだろうか。
...するわけ、ないか。はっきりした理由はわからないけれど、#name1#の中に躊躇いがあるのは確かだ。ソフレという関係を承諾しておきながら、何かに遠慮しているように思える。
ただの友達だった時よりも、明らかに俺に気を遣うようになっている。それはいつからだったんだろう。
...俺の仕事のせいか。今までの#name1#との関係で、#name1#が俺を芸能人扱いすることなんて一度もなかった。
もしかしたら、#name1#はあのモデルの噂を知っていたのかもしれない。思い返せば、最初の夜から#name1#は俺と居る時に周りを気にしていた。
まさか、彼女だと思っているのか。それとも、自分が彼女だと勘違いされることを恐れているのか。
考えても俺にわかるはずがない。
こんなに無駄に不安を膨らませてしまったのは、メッセージの返信がないからで。出掛けているのかもしれない。風呂かもしれない。誰かと電話でもしているのかもしれない。
出来るだけ余計なことを考えないようにアコギを手に取った。
心とは真逆の明るいメロディー。けれど爽やかなラブソングには程遠い心。けれど、その手を止めてはいけない気がして、自分の騙した心をひたすらにメロディーに乗せて目を閉じた、第十夜。
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