7th Night.
重い瞼を薄く開くとその目の前にある愛しい寝顔を見て、静かに髪を撫でた。すると小さく身を捩ったから、首元に出来た隙間に自分の腕を差し込む。
まだ残るアルコールでふわふわした頭、ぼんやり霞む視界。
両手でその身体を抱き締め目を閉じれば、更に浮遊感が増した。
夢だとわかっていれば、何も余計なことは考えずにこんなに大胆なことが出来るんだから、どうせなら抱いてしまいたいくらいだ。今ここでキスをしながらその肌に触れられたら、中に入れたら、どんなに幸せだろう。たとえ夢の中だけでも、#name1#を自分のものにしたいんだ。
夢の中よりも明るい光がカーテンの隙間から差し込んでいる。眩しくてもう一度目を閉じるけれど、腕の中の柔らかな感触に驚いてぱちりと目を開けた。
...誰?って...#name1#しかいない。ここは確実に#name1#の部屋だし、何より#name1#を他の誰かと間違うことはない。
...え?夢ちゃうやん。思いっきり抱き締めてもうてるやん。...しかも#name1#の手...俺の腰に回ってるし。起きてる?...わけないよな。起きてたらこんなこと、せえへんもんな。
身体を離して様子を伺うように覗き込むけれど、やっぱりまだ寝ているみたいだ。
...ちょっとだけなら、ええよな。夢の延長。...まだ俺、寝ぼけとんねん。そう、まだ寝ぼけてるだけ。
ゆっくりと腕に力を込めて抱き締めた。#name1#の顔を自分の胸に押し付けて両腕で包み込む。今まで、誰かを抱き締めるのにこんなに緊張したことがあっただろうか。胸がきゅうっと痛むのは、幸せ過ぎるせいだということにしておく。それ以外の何でもない。
あまりにもきつく抱き締め過ぎたのか、ぴくりと#name1#が動いた気がしたから、幸せな時間ももうおしまい。
ぽんぽん、と叩くように頭を撫で控え目に呼んだ。
『...#name1#?』
「............、」
『#name1#ー』
顔を覗き込めば、ゆっくりと目を開けた#name1#と目が合ったから微笑んだ。
#name1#は今の状態をどう思うだろうか。
『おはよぉ』
「...おはよ」
『なんか凄いことんなっててんけど』
何でもないフリをして笑いながら言えば、驚いたように目を丸くして俺の腰辺りから手を引っ込めた。
あーあ、なぁんか寂しいなぁ...。
『俺からしたんかなぁ?...#name1#、した?』
「...わかんない...」
『せやんなぁ。...ちょっとびっくりしてドキドキしてもうた』
すると#name1#が苦笑いしたように見えたから少し胸が痛む。
背中に回していた腕を離せば、俺の腕を枕にしたままの#name1#が俺を見る。なんだか見慣れない光景。でも、額に入れて飾っておきたいようなそんな光景だった。
#name1#が頭を浮かせたから、少しだけ痺れたような感覚の残るその腕を引き抜き、体を起こした。
「...大丈夫...?」
『ん?』
「...腕、」
『悪くなかったやろ?』
「...え?」
『俺の腕でも全然イケるやろ?』
「..........、」
『昨日、嫌がってたから』
#name1#が慌てたように首を横に振った。それに少しだけ安堵していた。
俯いてまた苦笑いみたいな笑みを浮かべた#name1#の顔が、ほんのり赤い気がする。
...もー...なんやねん、ほんまに狡いわ。困ったような顔しときながらそんな反応、ほんまに何考えてるんかわかれへん。
「顔、洗ってくる...」
『ん』
逃げるように寝室を出て洗面所へ向かう#name1#の背中を見送る。頬を染めていたのが気になったからベッドから出て#name1#を追うと、顔を洗って水を止めた#name1#と鏡越しに視線が絡んだ。顔を洗ったからか、それとも最初から俺の思い違いだったのか、結局確かめることは出来なかった。
『昨日ごめんな、片付けもせんと』
「...んーん、大丈夫」
『今日は?』
「え?」
『出掛けるん?』
「...予定はないけど、」
『そうかぁ』
#name1#が横にずれたから顔を洗う。当たり前のように一緒に掛けられた俺専用のタオルは、やっぱり少し擽ったくなるくらいに嬉しい。
「すぐ出る?」
『うん。着替えとかメイクとか、気になるやろ?俺が居ったら』
笑顔を向ければ、なんだか微妙な笑顔が返って来た。曇ったようなその笑顔は、俺に何を訴え掛けているのかわからない。それでも、深く聞かれることを望んではいない気がして気付かないふりをした。
#name1#に借りたゴムで前髪を結って、ぼーっと昨夜の夢を思い出しながら化粧水をパッティングしていると、#name1#が見ている気がしたから視線を向けた。驚いたように目を丸くしているから、考えていることは大体わかる。
『...言わんでええで』
「...は?」
『女子...、とか思ってたやろ』
「...や、偉いなーと思って...」
『だってなぁ?もう最近肌が色々アレやねんもん。アイドル肌汚なっ!とか言われたないもん』
#name1#をちらりと見るとさっきよりもだいぶ自然な笑顔で笑っていたから少し安心した。
『...もー...やっぱり思てるやん、』
わざと拗ねたように唇を尖らせて見せれば、ますますニコニコと笑うからそれだけで幸せな気持ちにさせられる。
...帰るのが憂鬱になる。この部屋を出る瞬間が堪らなく寂しい。女々しいとは思うけれど、すぐに会いたくなって困る。
『お邪魔しましたぁー』
玄関に向かう俺の後ろを#name1#がくっついて歩いて来た。
ほんまは『いってきます』がええねんけどなぁ。んで「今日はここに帰って来る...?」みたいな!
余計なことばかり考えながら腰を下ろしてスニーカーの靴紐を結ぶ。結局虚しさばかりが募るから、妄想はもう終わり。
『なぁ』
「うん」
『夜、来るかも』
そうやん。だったら自分から言うたらええねん。OKが出るとは限らんけど、もしそうやったらラッキーやん。
立ち上がってキャップを被り直しながら#name1#を見ると、頷いてくれたから笑みが溢れた。
『ほな、連絡するわ』
「うん」
『ん、じゃあ』
「...バイバイ」
笑みを通り越してニヤけてしまいそうだから背を向け後ろ手に手を振って玄関を出た。
あーもう、はよ夜んなれへんかなぁ。会いたい。すぐにでも会いたい。
『やす』
『んー?どしたん』
『今日、飯食って帰ろ』
『え?俺今日』
『ええから、な?』
『はぁ?ちょ、待って、!』
別の仕事の大倉から、収録の合間に電話が入った。いつもとは違うやけに素っ気ない淡々とした様子の大倉に、心がざわつく。
するとすぐに場所を指定するメッセージが送られてきた。何度か行ったことのあるバーで店員とも顔見知りだから、少し話に付き合ったら大倉を置いて#name1#のところに行こうと決めた。
仕事が終わってテレビ局の前からタクシーに乗ろうとしたけれど、煙草を切らしたことに気付いてすぐそこのコンビニまで歩くことにした。
購入したばかりの煙草を一本取り出して火を点けたところで、隣に人が並んだからちらりと横を見た。
『お疲れ様』
『...あ、どうも...』
...なんで居んねん。ストーカーか。
俺より少し背の高い細い女は、俺の言葉に雑誌に写る時と同じような笑顔を浮かべた。
...本当に綺麗な顔だと思う。けれど、この前のことを思い出したくはないから見たくない。
『私も今日、居たんだよ』
『...は?』
『たまたま見たから。楽屋の名前』
『...ふーん』
『でも挨拶に行ったら迷惑でしょ?』
『そやね。疑われたないし』
笑顔を向けて煙草を店の前の灰皿で揉み消すと、じゃあ、と言って背を向け足早に歩き出した。
少し歩いたところで前から来た3人組の女の子が俺に気付いたようで足を止めていたから、頭を下げて前を通り過ぎる。すると後ろからヒールの音が追い掛けてくるのに気付いて溜息をついた。
振り返って後ろを見たのは、長身のモデルではなくて、さっきの女の子達の行動が気になったから。その中の1人の女の子が胸の辺りに携帯を持っていて、その携帯がこっちを向いていたからすぐに前を向いた。
『どっか行くんですか』
少し足を進めてから後ろのしつこい女に声を掛ければ、ヒールの音がカツカツと早まって隣に並んだ。
『どうして?』
『着いてくるから』
『どっか連れてってくれる?』
女がそう言うから足を止めて笑顔を向けた。
『付き合う気、あれへんよ』
『少しでいいよ』
『ちゃうよ』
『え?』
『あなたとはお付き合いしませんよー、ゆうこと』
まっすぐに俺を見ている目をしっかりと見て伝えれば、その目が伏せられた。
『じゃあ』
顔を上げて俺を見た彼女に手を振ってから背を向けた。耳を澄ましながら歩いていたけれど、もうヒールの音は俺を追ってこないから安堵した。
待ち合わせ場所に着くと、すでに大倉がグラスに口を付けていた。いつもはカウンターなのに、今日は端のテーブルに座っていたから重要な話でもあるのかと勘繰ってしまう。俺に気付いた大倉が手を上げたから笑顔を向けて歩み寄り、向かいの椅子に座った。
『あのさ、今日早めに...』
『やすさぁ、』
『え?』
『女、居るん?』
途中で遮られた言葉の後に信じられない言葉が飛んできて思わず黙った。
『...居んねや』
『...や、居れへんよ』
付き合っているかそうでないかと聞かれているんじゃないことくらいわかる。けれど、今はこの答えが正解のような気がした。
俺をじっと見つめてから目の前のチーズに手を伸ばした大倉が、それを口の中に放り込んで言った。
『気を付けた方がええで』
『...え、なん、』
『マネージャーが、今日電話で言うてた。やすのこと見張っとけって』
『...なんやそれ、』
そんなの、知らない。いや、知らないのは当たり前だけど。
『あれ、あの子のことちゃう?』
『え?』
『あの子』
向こうの壁に貼ってあるポスターの中に、ついさっきまで一緒にいたあのモデルが写っていた。大倉に目を向ければ、何だか不機嫌そうな顔をしている。けれど、少し安堵していた。#name1#のことがバレたんじゃなくて、よかった。
『...聞いてへん』
『だって別に報告するようなことないし』
『...ちゃうの?』
『ちゃうよ』
『ふーん』
興味があるのか無いのかいまいちよくわからない反応をして、大倉がグラスのビールを飲み干した。
...そうか。監視されてたりするんかな...。わかれへんけど、気を付けるに越したことはないし。#name1#から離れなあかんとかなったら、それは困るし...。
『トイレ』
『おー』
大倉の前から抜け出して、トイレの前のスペースで携帯を取り出した。
あーあ。行く言うたのにな。めっちゃテンション下がる。...行ったらダメなんかな。...あかんか。今日はあの子に会ってもうたし、写真、撮られたっぽいし。...けど、会いたいなぁ。...なくなるよりは、マシか...。
『あ、#name1#』
「...うん」
『あんな、今日な、仕事は別やってんけど、終わってから大倉に呼ばれてな?昨日も断ってもうたし...』
「うん」
疚しいことがあるわけでもないのに、なんで嘘つかなあかんねん。
けど、#name1#に伝えるべきことではないのはわかってる。だって#name1#は俺の彼女ではないし、もし伝えたりしたらこの関係も終わってしまうかもしれない。
『行く言うたのにごめんな?』
「うん、大丈夫、」
『...ん、また連絡するわ』
「うん、...バイバイ、」
何だか寂しそうに聞こえたその声のせいで、携帯を耳から離せずにいた。プツ、という音の後に聞こえた終話の合図で携帯を見つめる。
...少し期待してもいいのだろうか。寂し気に聞こえた声は、俺の都合のいい妄想だったんだろうか。
急に胸を支配した苛立ちを振り払うように目を閉じて髪を乱せば、最初の夜の泣き顔が目に浮かんで切なさに胸が締め付けられた、第七夜。
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