euphoria


10th Night.


目が覚めたときには章大はもう隣にいなくて、リビングを覗けば章大が『おはよう』と言って振り返った。寝起きの顔をなんとなく手で隠して立ち尽くしていると、章大が立ち上がって私に歩み寄り、首からピンク色のタオルを掛けられた。

『これ、#name1#のな』
「...うん、ありがと、」

私の、タオル。そのたった一言が妙に嬉しくて、自分が物凄く単純だと思った。
洗面所で顔を洗ってタオルで顔を拭えば、章大の香りが強くて胸がきゅっとなった。章大が私の家でするように洗濯機の横にタオルを掛けてそれを見つめる。
...本当に最近マイナス思考で困る。このピンク色のタオルを本当は誰のために用意していたのかなんて、考えなければいいのに。

『送ってく』
「え?...いいよ、わざわざ、」
『予定あんねやろ?』
「...あぁ、...ん、」

嘘をついて帰ろうとしたことを今更後悔していた。章大は今日はゆっくりだったみたいだし、そんな嘘をつかなければもう少し一緒に居られたかもしれないのに。

『俺やのに何をそんなに気ぃ遣てるん?』
「そういうわけじゃないけど、」
『俺が送ったらメイクせんでもすぐ帰れるやんか』
「え?」
『え?』
「...なに、...?」
『え?車やで?』

ドキリとして思わず章大を見つめた。
目を丸くして私を見る章大はきょとんとして目を逸らさない。

『タクシー勿体無いやん。今日は時間あるしさぁ』
「...........、」
『...な?』

そんなことを言ってくれるなんて思ってなかった。まだ乗ってもいないのに考えただけで胸が高鳴るから困る。
小さく頷けば、章大も私に笑顔を向けて頷いた。

少し部屋を出るのが名残惜しい。また来ることが出来るだろうか。見慣れないまま帰るのは勿体無い気がして部屋の中を見回した。

『時間、平気?』
「うん、大丈夫」

部屋を出ると章大が振り返りながら聞いた。私の言葉にいちいち微笑むから狡い。いつでも優しい顔をするから狡い。
エレベーターに乗り込んで、章大の後ろに立った。何だか物凄く緊張してきたから、なるべく顔を見られないように。

エレベーターが止まって外へ出ると、地下駐車場の広さに驚く。章大が持つ鍵の音がその空間にチャリ、と響いて、さらに緊張を煽る。
章大が向かう先にある車は、一台だけ。それが左ハンドルの高級車だったから思わず息を飲んだ。

どうぞ、と促されて乗り込むけれど、こんな車乗ったことがなくて落ち着かない。ちょっとだけ、章大らしくない気がしてしまった。
...章大らしくないんじゃない。私の知っている章大じゃない、というか、物凄く遠い存在で、やっぱりこの人は芸能人なのだと思い知らされた。

『出しまーす』
「...お願いします」

ちらりと章大を盗み見れば、いつもと変わらないご機嫌な様子で、車内で控えめにかかる音楽を口ずさんでいる。

「...豹変、するんでしょ」

無言に耐え切れず口に出せば、章大の目が一度私に向けられた。

『そんなことないしー』
「みんな言ってたよ」
『大倉ちゃうのぉ?」
「...とか」
『それはアレやん、女の子乗せてたらめっちゃ安全運転やっちゅうねん』

何でもない言葉のはずだ。『女の子』という単語如きでこんなに苦しくなるなんて、私はどれだけ恋する乙女なのかと思う。
女の子を乗せることくらいあるに決まってる。私が知ってる章大の時間は、ほんの一瞬でしかないのだから。

真横にある顔を見る勇気はなくて、ハンドルを握る章大の手を見ていた。すると着信音が響いて、章大が腰を浮かせて携帯をケツポケから引き抜く。ディスプレイをちらりとだけ見て音を消し、それを脇のポケットへ置いた。

「...いいの...?」
『うん。運転中やし』

落ち着きかけていた鼓動がまた早くなり始める。考えたら、ダメだ。

『次は...来週、やったっけ?』
「...そうなの?」
『あ、今週末やったかな...あれ、聞いてへん?』
「...知らなかった」
『...そおかぁ。昨日遅れて来たからかー』

会える予定があることに少しほっとする。けれど本当は毎日でも会いたい。
家が近付く。角を曲がるたび苦しくなる。あと2つ曲がり角を曲がれば、もう着いてしまう。

『ここ停めてええかなぁ?』
「うん、多分」
『安全運転しましたー』
「ありがとうございました…」

シートベルトを外して章大をちら、と見れば、伸びて来た手が頭に置かれた。ぽんぽんと優しく撫でられて手が離れると、困ったみたいに眉を下げて笑うから、自分がどんな顔をしているのか心配になる。
...心配してくれるなら、今日も来てよ。毎日来てよ。ずっと私のところにいてくれればいいのに。
口に出せない気持ちが顔に出てしまってはいないだろうか。

章大の携帯が鳴った。ディスプレイを見た章大の眉がピクリと動いてすぐに音を消したから胸がゾワゾワする。

「...出ていいよ。ありがとう。気を付けてね!」

あまりの早さに目を丸くした章大が私を見ていたけれど、車を降りてドアを閉めた。
閉まる瞬間に何か聞こえた気がしたけれど、振り向くことは出来なかった。

昨夜も携帯が鳴っていたのは知っている。私を抱き締めながら携帯を確認して、寝ている振りをした私を横目に迷うような様子を見せながらも電話に出ることはなかった。
ひどく心臓がバクバクしていた。彼女かもしれないと思ったから。お願いだから出ないでと願っていた。

部屋に入ってカーテン越しに窓の下を覗くと、丁度走り出した章大の車が角を曲がった。見えなくなった章大を想いながら、嘘をついた虚しさと共にソファーに蹲った。



携帯のバイブ音で目が覚めた。すぐに途切れたから着信ではない。開きっぱなしのカーテンの外は真っ暗だ。最近は休日を無駄にしてばかりだけれど、何もする気が起きないのだから仕方ない。
携帯を開くとそこに表示されていたのが章大の名前だったからドキリとした。

“日曜日やった!20時くらいに、...”

期待したのとは違う内容に肩を落とす。そんなに来て欲しいなら、自分から言えばいいのに。それが出来ないから悶々としているんだけど。

“了解!...今日、これから来れない?”

シミュレーションしてみても、言える気がしない。例えメッセージだとしても、それを送る勇気がない。

『本命じゃない相手に逃げてんだよ』

昨夜の大輔の言葉が頭から離れずに胸が軋む。このままでいいのだろうか。私はどうしたいんだろう。
感情がぐちゃぐちゃ。またひとつ新たな一面を知った喜びと、距離を感じた引け目。知りたかったプライベートな空間を知った優越感と、嫉妬。
自分がどうしたいのかがわからない。離れたくはない。でも近付くのが怖い。

“来て”
たった一言が言えない苦しみが胸を締め付ける。幸せを感じれば同時に湧き上がる靄に視界を奪われ 、自分の本当の気持ちを見失う。
一緒に居たい、ただそれだけ。今は、それしかないのだから。
携帯を握り締めた手の甲で込み上げた涙を拭う。この靄を取り去れば何かが見える気がして、声を押し殺してただひたすらに涙を流した、第十夜。



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