euphoria


2nd Night.


朝、起きるとベッドには私一人だけで、それでもどこか期待しながらリビングを覗くけれど、やっぱりそこにも章大の姿はなくて少し胸が痛くなった。

寝られるわけがなかった。章大を起こさないように何度も寝返りを打ちながらちらちらと寝顔を見ていた。朝方になって急に瞼が重くなったのは何となく覚えている。本当は、一緒に起きて見送りたかったのに。

昨夜ソファーの前のローテーブルに出した鍵はなく、代わりに小さな紙切れが置いてあった。
“お邪魔しましたー”
一晩一緒に寝たにしては他人行儀なその文章が、ますます私の心をくすませた。

買い物に出ようかとマンションのエレベーターを降りてポストを開く。そこに転がる銀色の鍵を手に取り握り締める。このスペアをまた使う日が来るだろうか。それを考えてしまったら、心の中のマイナスの感情の方が疼いたから考えるのをやめた。

薄灯りの中の章大の横顔ばかり思い出していた。章大が座ったソファーもベッドも、自分の物じゃないみたいに全てが特別なものに見えて、スペアキーさえも今までとは違う対応で引き出しの中の小物入れに大事にしまった。



翌日、帰宅して夕飯を済ませたところで章大からメッセージが届いた。名前を見ただけで心臓がドクリと大きく脈打つ。

“今日居る?取りに行きたい”
その文字に胸が高鳴る。
“うん。探しておく”

立ち上がって振り返ると、ソファーの後ろの棚に自分の物みたいに置かれた携帯電話の充電器に手を伸ばす。こんなところに忘れて帰っていたなんて、全然気付かなかった。
...今日も会えるんだ。笑みが溢れそうな程心が温かくてくすぐったい。

今日は泊まったりしないんだろうか。
...期待するのは良くないとわかっているけれど、考えずにはいられない。
落ち着くために目を閉じて掌で顔を覆う。目に浮かんだのは章大の横顔と寝顔。
...早く、会いたい。


22時過ぎにインターホンが鳴ってドキリとした。すぐに玄関へ向かい鍵を開けると、章大が笑顔で手を挙げた。

『ごめんなぁ、遅くに』
「ううん、大丈夫」
『新しいの買うてもよかったんやけどさぁ、家コードだらけなるし』
「...うん」
『わざわざすんません』

笑いながら頭を下げた章大が顔を上げて目が合う。
...あ、やばい...出て来ない...。
口を開きかけて固まる。そんな私を、章大がきょとんとして見ている。
“上がってく?”
さっきまで何度も頭の中で繰り返し練習したのに。

『...あれ、見つからんかった?』
「...あ、ちょっと待って...」
『あ、なんかしてたとこやった?ごめんな、すぐ帰るから』
「あ、...上が、ってく...?」

目を丸くした章大が私を見つめる。
...失敗、したかも。

『...あー、うん、...え、』
「............、」
『...なんかしてたわけちゃうんや...?』
「...ん、別に、なんも、」

章大が私から目を逸らして困ったように頭を掻いた。
...あー、もう。やっぱり言わなきゃよかった。

『あー、...ほんならお邪魔しますー』
「あ、...どうぞ、」

...無理矢理言わせちゃったかな。それでも嬉しいものは嬉しい。けれど、若干安心の方が勝る。
靴を揃える章大の背中を見つめて目を逸らす。先に部屋に入って、後から入って来た章大に充電器を手渡した。

『ありがとぉ』

その笑顔と少し触れた手にドキドキしてしまう。それに悟られないように笑顔を向けてキッチンへ入る。

『...あ、お構いなくー』
「うん、ついでだから」

カップを手にしてちらりと章大に目を向ければ視線が絡んだ。するとニコリと微笑んで目が逸らされた。
ソファーに深く腰掛け直して、章大がバッグを漁る。...少し安心した。さっきまではソファーの端に浅くちょこんと腰掛けていて、すぐに帰ろうとしているみたいだったから。

『明日は仕事?』
「あ、うん」
『あは、当たり前やな』
「...章大は?」
『俺は、午後からー』
「............、」

...ダメだった。
“泊まってく?”
今のタイミングで言えばよかったのに、勇気が出なかった。

カップを章大の前に置くと、ありがとう、と笑顔が向けられた。一昨日と同じその笑顔を見たら、また欲深くなってしまう。その目が逸れずに私を見ているからドキッとした。カップに視線が移ってそれを手に取った章大がコーヒーを啜る。

『週末さぁ、また飲みに行こう言うてたで。みんなで』
「...そうなんだ」

どうして私を見ていたんだろう。考えていたことが伝わってしまったんだろうか。章大はいつも敏感で、たまに私の心を見られているんじゃないかと不安に駆られることがある。

『行ける?』
「うん。多分」
『俺まだ微妙やねん。遅くなりそうな日やからさぁ』
「そっか、」

その日にも、一昨日のようにチャンスはあるだろうか。また二人で帰って来て、一緒に隣で眠ることが出来るだろうか。...それとも、あの日限りになってしまうのか。

『#name1#?』
「あ、うん」
『大丈夫?疲れてる?』
「ううん、大丈夫、」
『ごめんなぁ、こんな時間に来るからやんなぁ?』
「...違うの、大丈夫だから、ほんと」

章大はどうなの。
“泊まってもいい?”って、章大は言ってくれないの?

『これ飲んだら、帰るから』

一気にコーヒーを口に含んでゴクリと喉を鳴らした章大が立ち上がる。テーブルに置かれた充電器をバッグにしまい、ごちそうさま、と私に微笑んだ。
玄関に向かいスニーカーを履く章大を後ろから見つめる。何だか胸がぞわぞわとして落ち着かない。

『ほな、週末!...は、会えるかまだわからんけど』
「...ん」
『またな』

章大の手が伸びて来て私の頭を撫でた。思わず視線を上げると、ぱっと手が離れる。

『はよ寝ぇや?』
「...うん」
『おやすみ』
「...ん、おやすみ、」

章大が笑顔を残して玄関のドアを開き外へ出た。パタンと静かに閉められたドアを見つめてから目を閉じる。
...言えなかった。本当は居て欲しかったのに、言葉にする勇気はなかった。

部屋に戻って空になったカップを手に取りキッチンへ運ぶ。私の頭に残る章大の手の感触のせいで少し胸が痛い。
さっきまで章大が座っていたソファーをキッチンから眺め、妙に切なくてたまらなくなってしゃがみ込み膝を抱えた、第二夜。



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