4th Night.
『...痛ったっ...!』
ガタリと音がして目が覚めた。リビングから章大の悶えるような小声が聞こえて来て慌てて起き上がる。
近くの鏡を見て顔をチェック。章大が帰る前に、早く。
リビングを覗くと章大の姿はなく、代わりに玄関のドアがパタリ閉じる音がした。すぐにガチャガチャと鍵が差し込まれる音。
...遅かった。
眠りについたのはやっぱり朝方だった。寝返りを打ってこっちを向いた章大の方をちらちらと伺いながら、繋がれた手がピクリと動く度にドキリとして眠れない。最初の夜は触れることすらなかったそれが幸せで、少し布団を捲くって何度も一つになったふたりの手を眺めていた。
マンションの入口付近が見える窓から、レースのカーテン越しに外を眺める。マンションから出て来た章大の姿を見つめて、思わず息を呑んだ。
章大が立ち止まってこっちを見たから。すぐに俯いて足早に歩き出した章大の姿が見えなくなったその曲がり角を、暫く見つめていた。
せっかくこっちを見ていたのに、カーテンを開けて手を振ることが出来なかった。
...なんで見てたの。後ろ髪引かれるみたいに立ち止まって、どうして私の部屋を見上げたの。
期待してしまいそうな自分が顔を出したから慌てて目を閉じた。
鍵を取りに一階へ向かい、ポストを開けて暫くそこに立ち尽くした。
鍵が、...無い。どうしてだろう。誰かに盗られた...?それとも...。
部屋へ戻って携帯を掴んだ。ただ一言の質問をするだけで、こんなにソワソワしてしまうのはどうしてだろう。
“鍵、持ってる?”
何をしていても落ち着かない。買い物に出ようと思っていたけれど、行く気分ではなくなった。
とにかく、早く返事が欲しい。どうしても、期待してしまう。
コーヒーを淹れていたら通知音がなって、慌てて走ってテーブルの携帯を手にした。そこに並ぶ文字を見て、心臓の高鳴りがピークに達する。
“ うん ”
ただ一言のその文字には、どんな意味が含まれているのだろう。
“ごめん、入れ忘れた”...?
“間違えて持って帰った”...?
後に続く言葉を待ったけれど、通知音は鳴らない。
聞き返す言葉を考えてみたけれど、何だか上手い言葉が見つからなくて、文字を打っては消して、溜息をつく。
仕事が終わったら連絡が来るだろうか。忙しいからとりあえず一言返事をくれただけかもしれない。
“なんで持って帰ったの?”
自分からは聞けないのだから、待ってみるしかない。
頭の中は章大でいっぱいに埋め尽くされた。不安にも期待にも似た感情が息苦しくて、一日中上の空で何も手に付かない休日を過ごすことになった。
22時過ぎにインターホンが鳴った。
一瞬動きを止めてから手元の携帯を確認する。章大からのメッセージはない。けれどこんな時間に家を訪ねて来るような人、他に心当たりがない。
モニターに近付いて、口を手で覆った。章大が立っていたから。
「...今開けるね」
通話ボタンを押して言えば、うん、と短い返事が返ってきた。
玄関の前で解錠するのに、一度躊躇う。あまりにも鼓動が早くて落ち着けていないから。けれどこのまま待たせるわけにはいかない。
『携帯、充電切れてもうて』
様子を伺うような若干の上目遣いに、更にドキドキする。
「うん」
『...うん、でな、』
「...上がって?」
『あ、うん』
今日は案外すんなりと言えた。相変わらず緊張はしているけれど、気付かれないように、冷静に。
先にリビングに入った章大が、キャップを取って髪をくしゃくしゃと乱す。それを何となく、ドアの前に突っ立ったまま見ていた。
今度はバッグを漁っている章大が振り返って箱を私に差し出したから、ゆっくりと近付いてそれを受け取る。
『なんかな、ええとこのお菓子なんやって』
「...いいの?」
『うん』
「...ありがとう」
...まさか、これを渡しに来たわけではないと思うけれど、妙に淡々としているからちらりと章大を伺うように見てからキッチンへ向かう。
『あ、今日は飲み物とか大丈夫』
「...そっか」
私のカップはテーブルの上にあって、まだほとんど飲んでいないからキッチンに用はない。完全に手持ち無沙汰だけれど章大は立ったままだし、鍵のことを何と言って切り出すかも考えていなかったから焦る。
『ん、これ』
バッグを覗き込んだまま片手はバッグの中、もう片方は拳を作って私の方に差し出している。
キッチンを出て章大の横に立ち、拳の下に手を出すと、体を起こした章大が私と向かい合った。拳が上に向いてそれが開かれると、手の中にはこの部屋の鍵。
『持って帰ってもうた。ごめんな』
ふっと笑って首を傾げて章大が私を見た。鍵に手を伸ばすと、触れる前にまた手が拳を作り、その拳を章大が自分の胸の前へと引っ込めた。
『俺が持ってたら、あかん?』
「...え、」
思わず聞き返したその声は、情けないものになってしまった。章大は相変わらず微笑んで私を見ていて、もしかしたらからかわれているのかもしれないと疑心暗鬼になる。
『これスペアやろ?#name1#、他に鍵持ってるもんなぁ?』
「...うん」
『どうせさぁ、また来るやん?』
正直、驚いた。これからもこの関係を続けられるのかという不安はあったけれど、この先のことをあっさりと約束されたことに、驚かずにはいられない。
『ええの?』
「...うん」
『ん、じゃあ持っとくな』
ふふ、とまた笑って章大が鍵をバッグへとしまう。照れ臭いけれど嬉しい。当たり前のように言ってくれたから。
『実はさぁ、ちょっと心配やったし。ポスト入れてて知らん奴にいきなりに部屋開けられたりしたら怖いやん?』
「...そうだね」
バッグへ視線を落としたまま中を漁る章大から顔を逸らして、テーブルの飲み物を手にした。顔が赤くなっている気がするから、背を向けてそれを啜る。
『どうしたい?』
その問いに思わず振り返って首を傾げた。さっきまで立っていた章大はソファーの肘掛に腰掛け、微笑んで私を見ている。
『今日は俺、必要ない?ないなら帰るけど』
...そんなことを聞くなんて狡い。居て欲しいに決まってるじゃない。でも「ここに居て」というそれだけの言葉が、私の口から容易には出て来ない。
カップを口に当てて口元を隠す。どうしよう。言わなきゃ、早く。
『んふふ、迷ってる』
ちらりと章大を見れば、俯いて笑っていた。その顔が上がって私を見ると、章大が手を前に差し出す。
『じゃんけん』
「え?」
『はよ。じゃーんけーん、ぽん』
「.............。」
『俺の勝ち、やから泊まってくな?』
シャワー借りまーす、と言った章大を呆然と見つめた。体中に響く鼓動のせいで足が震えそう。
...どうしよう。好きで好きでたまらない。
『ん』
ベッドに入った二人の顔の間に章大が掌を広げた。その手を見つめてから章大を見れば、目が合って少し戸惑う。すると、手を布団の中へ滑り込ませ、探し当てた私の手を握った。
おやすみ、と言って目を閉じた章大の上がったままの口角を見て口元が緩む。
『明日、俺9時』
「あ、じゃあ...」
『寝ててもいい?』
「うん」
『鍵、あるしな』
ダメだ。恋人になったと錯覚してしまいそう。幸せの中に僅かに存在する小さな痛みには気付かないふりをして、勇気を出して握った手に少しだけ力を込めてみる。その手を軽く握り返されて、涙が出そうな程胸が高鳴る、第四夜。
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