7th Night.
目を開けてびくりと体が揺れた。まだ薄暗い部屋の中、至近距離にある章大の閉じられた瞼に、一気に鼓動が早まる。
...もしかして、...もしかしなくても、抱き締められている。私の首の下に入っているのは、昨夜素肌に触れることを躊躇った章大の腕で、反対の腕は緩く私の背中に回されている。
いつの間にか握っていたらしい章大のTシャツの裾をゆっくりと、静かに離す。
飛び出しそうなくらい大きく脈打っている心臓のせいで、動いてもいないのに呼吸が荒くなる。章大に息が掛からないように少し顔を背ければ、章大の眉がぴくりと動いたから更にドクリと心臓が大きく脈打つ。けれど章大の目が開くことはなかったから安堵の息をついた。
...なんでこんなことになっているんだろう...。いつから?きっと章大は無意識で、私と同じように起きたら驚くはずだ。
この状況、どうするべきか。
章大が起きたらどんな反応をすればいいの。章大の反応だって怖い。
だったら章大が起きる前に腕の中から抜けておく?...でも、まだこのままでいたい。章大に包まれている感覚をもう少し味わっていたい。
...だったら、寝たフリをしていればいい。どんな反応をされても逃げ道を作れるように、私は抱き締められてるのなんか何も知らない、何も気付いてないフリ。
静まりかけた鼓動が、また忙しないビートを刻む。胸はそわそわとして、手は少し痺れたような感覚。
私の上にある章大の腕の下に手を通し、恐る恐る章大の腰に手を伸ばす。章大の様子を伺いながら、起こしてしまわないように、静かに。ゆっくりと章大の腰に腕をくっつけて、背中に腕を回して軽く触れた。
抱き合っているようなその体勢に、急に感情が昂って胸の奥が熱くて苦しい。涙が出そうな程ドキドキして、章大の寝顔を見つめた。
...どうしよう。胸が苦しい。
首の下の体温も、背中に回る腕の重みも、私の腕に触れた締まった腰の感触も、今は私だけのものだ。
愛しくてたまらない。言葉に出来ない。大好き、愛してる、どれが合うのかわからない。わからないけど、幸せ過ぎて苦しい。
相変わらず高鳴る胸は章大に触れないように、少しだけ距離を縮めて、震えそうな腕をもっと先に進めた。
本当は、両手で強く抱き締めたい。けれど、寝ぼけたフリをしたって無理。今はこれが精一杯。
章大を見つめてから目を閉じた。そして、少しだけ力を込めてその腰を抱き締める。
その時、章大が小さく身動ぎしたからドキリとした。咄嗟に章大の胸元の方を向き、章大から顔が見えないように少しだけ俯くようにして隠す。
すると章大の腕が動いて、引き寄せるように両手で抱き締められた。章大の胸に顔が埋まって動揺する。くっついてしまった体から、鼓動が伝わっていないだろうか。
ただの抱き枕でも抱いているかのように安定している規則的な呼吸が私の髪を軽く揺らす。私とは大違いだ。こんなにドキドキしているのは、私だけ。
悔しい。痛い。...けど、離して欲しいわけではない。悔しくても痛くても苦しくても、こうして章大と二人で居られるという事実が私の全てだ。
ただ目を閉じて、章大の体温を感じていた。少し落ち着いた鼓動が、とくんとくんと緩やかに自分の体に響く。
目が覚めたら終わってしまうのだから、それまでは離したくない。
...目を開けたら、部屋が明るい。寝てた...?そんな感覚はなかったけれど、随分時間が経っている気がする。けれど時計を確認することは出来ない。章大の胸にくっついた顔も、腰に回した腕も、離したくはないから。
その時、モゾモゾと章大が動いたから反射的に目を閉じた。私から少しだけ体を離した章大の動きがぴたりと止まる。
...今、章大は何を思っているだろう。
少し間が空いて章大が動いた。と思ったら、再び抱き締められて顔が埋まったからドキドキしてしまう。
起きたのに、どうして?無意識で抱き締めたんじゃないの?
...思わず、はっとして目を開けた。章大の胸から感じる鼓動が、早い。
目の奥が熱くなってしまった。泣いたらダメ。変に思われちゃう。
首の下の腕が少し動いて、ぽんぽん、と叩くように頭を撫でられたから、目を閉じて昂る感情を必死で抑える。
『...#name1#?』
「............、」
『#name1#ー』
控えめな声で呼ばれ、ドキリとする。多分、顔を覗き込まれている。
けれど、起きていたと気付かれてはいけないから、眠たそうに見えるように、本気の芝居。
顔を上げれば一瞬眉尻を下げて私を見る章大の顔が映って、目が合うとすぐにふっと笑った。
『おはよぉ』
「...おはよ」
『なんか凄いことんなっててんけど』
驚いたように見せるように視線を動かして、章大の腰から手を引いた。
『俺からしたんかなぁ?...#name1#、した?』
「...わかんない...」
『せやんなぁ。...ちょっとびっくりしてドキドキしてもうた』
思わず苦笑いが零れた。...なーんだ、私に対してのドキドキじゃなかったのか...。
背中にあった章大の手がするりと離れた。首の下の腕はまだそのままだけれど、反対側の腕がどけられてしまったから、このままでいるわけにはいかない。
頭を浮かせると章大が腕を引き抜き、体を起こして振り返り私を見た。
「...大丈夫...?」
『ん?』
「...腕、」
『悪くなかったやろ?』
「...え?」
『俺の腕でも全然イケるやろ?』
「..........、」
『昨日、嫌がってたから』
首を横に振った。俯いて、誤魔化すように笑う。顔が赤くなっていないだろうか。嫌なはずないじゃない。本当、章大は狡い。
「顔、洗ってくる...」
『ん』
逃げるように寝室を出て洗面所へ向かった。前髪を留めて若干火照っている顔に冷たい水をパシャリとかける。目を閉じるとさっきの光景が目の奥に浮かぶ。抱き締められていたなんて、本当に信じられない。
水道の水を止め顔を上げると、洗面所に丁度章大が入ってきたからドキリとした。
『昨日ごめんな、片付けもせんと』
「...んーん、大丈夫」
『今日は?』
「え?」
『出掛けるん?』
「...予定はないけど、」
『そうかぁ』
横にずれると章大が洗面台の前に立って顔を洗う。渡さなくても章大専用のタオルの場所がわかるということにさえ、少し嬉しくなってしまう。
「すぐ出る?」
『うん。着替えとかメイクとか、気になるやろ?俺が居ったら』
笑った章大に笑みを返す。贅沢言ったらいけない。十分、幸せだったんだから。引き留めるようなことは出来ない。
ソファーに座ってぼーっとしながら化粧水をパッティングしている章大をちらりと見る。乳液なのか美容液なのか、ポーチの中から出てくるそれを見ていたら、急にこっちを向くからドキリとした。
『...言わんでええで』
「...は?」
『女子...、とか思ってたやろ』
「...や、偉いなーと思って...」
『だってなぁ?もう最近肌が色々アレやねんもん。アイドル肌汚なっ!とか言われたないもん』
私が貸したゴムで前髪を縛ってブツブツ文句を言っている章大に、思わず笑みが溢れた。
『...もー...やっぱり思てるやん、』
ちらりと私を見て章大が唇を尖らせる。
...違うよ。嬉しかっただけ。
章大の口から出た『アイドル』という言葉が気にならない程に、嬉しかった。今ここには二人しか居なくて、章大のこんな瞬間を知っているのは私だけだということが、嬉しくてたまらなかった。
『お邪魔しましたぁー』
荷物を纏めながら章大が言った。その言葉、いきなり他人になったみたいだから、本当は嫌い。
玄関に向かうその背中を見つめながらついて行くと、章大が腰を下ろしてスニーカーの靴紐を結ぶ。
『なぁ』
「うん」
『夜、来るかも』
不意打ちのせいで一瞬言葉を失った。
立ち上がって振り向いた章大が、キャップを被り直して私を見る。
「...うん」
『ほな、連絡するわ』
「うん」
『ん、じゃあ』
「...バイバイ」
後ろ手に手を振って章大が玄関を出て行った。その閉まった扉を見ながらしゃがみ込む。
...なんなの、今日は。幸せ過ぎてどうしたらいいの。こんなに好きにさせて、どうするつもりなの。
夜が待ちきれない。すぐにでも会いたい。
そわそわと待ち続けて、21時を過ぎた頃、着信音が響いた。電話というところになんとなく嫌な予感がした。
『あ、#name1#』
「...うん」
『あんな、今日な、仕事は別やってんけど、終わってから大倉に呼ばれてな』
やけに小さな声で話すから聞き取りにくい。けれど、きっとそういうことなんだろう。
『昨日も断ってもうたし...』
「うん」
『行く言うたのにごめんな?』
「うん、大丈夫、」
『...ん、また連絡するわ』
「うん、...バイバイ、」
私が切るのを待っているみたいだから、自分で終話ボタンを押した。待受に戻った画面をそのままに、ソファーの端に携帯を放り投げた。
最初からそういう関係だもん。仕方ない。都合の良い時に一緒に寝るだけなのは最初からわかってたじゃない。ちょっと、楽しみにし過ぎただけ。
あんな小さな声で電話してくるなら、メールでもよかったのに。わざわざ電話なんてしてくるから、余計寂しくなっちゃう。
ごめん、ってなに?...謝られたりしたら、私が可哀想みたい。
手なんか繋いだりするから、抱き締めたりするから、ますます待ち遠しくなるんじゃない。
あー、もう。わかってる。章大が悪いわけじゃない。
それでも、思わずにはいられない。
...来るって、言ったのに。
一日で更に質量を増したこの気持ちを持て余して胸が痛い。靄がかかった心を晴らすために涙を流す。
一人きりのベッドは広過ぎて眠れない。章大の腕の中を思い出しながら自分の体を抱き締めて目を閉じた、第七夜。
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