生温い体温に沈む
私の上にいる彼を見上げると、眼鏡を外した彼の目が真っ直ぐに私を見下ろしていた。
多少息が上がっているものの、表情ひとつ変えることはない。淡々と私を揺さぶり続ける彼の瞳は、冷たい色をしていた。
それでも、幸せだと感じていた。
ずっと探していた。
もう一度会いたかった。
あの日に見た偽物の愛を、忘れることが出来ずにいた。
彼の泰然とした愛撫は決して酷くはなかった。愛撫によって絶頂が迫っても一度も達することをさせず、快感を逃がされる。触れる彼の指は柔らかで、与えられては逃がされ、意地悪な愛撫に体は泣いてしまいそうな程甘美な苦痛を与えられ快楽に沈んだ。
最初に触れて以来彼の唇は私の唇に一度も触れることはなく、思わず引き寄せたくなる衝動に駆られる。けれど彼の瞳を見つめると出来なかった。
快楽に歪む私の顔を見て楽しむわけでも愚弄するわけでもなく、ただじっと見つめる彼の目が少し怖かった。
腰を掴む手に引き寄せられ深く抉られ声が漏れる。
『静かにせぇよ。聞こえるやろ』
苛立ったように低く言い放つくせに、私に触れる手は優しくて狡い。
彼から目を逸らし顔を背けると、さっき彼が放り投げた札束が目に入り、胸が苦しくなる。
お金なんかいらなかった。
彼にもう一度会うためだけに生きてきたのだから。
それ以外に生きる理由なんてない。
彼に視線を戻せば、肩の傷に目が止まる。正面からではその傷は僅かにしか見えない。
思わず肩に向けて手を伸ばせば、辿り着く前にその手首を掴まれベッドに張り付けられた。
無表情の彼は私を見下ろしたまま律動を繰り返し、確実に絶頂へと導いていく。零れる吐息に高い声が混じると、片方の掌で乱暴に口を塞がれ息が詰まり鼻から抜けるように声が漏れる。
彼の腕に抱かれたかった。
ずっとこうして欲しかった。
気持ちの悪い男に抱かれながら考えるのはいつも彼のことだった。
こうしていると今まで汚された体が洗い流され、今までの全ての男を忘れていくような気がした。
彼は今までの気持ちの悪い男達とは違っていた。触れられるだけで体は甘く疼き、ひとつになった体はぞくりと快感が込み上げ溶けてしまいそう。
ずっとこうしていたかった。彼にどんな目で見られていようとも、ずっと触れていて欲しい。終わりたくない。ずっとひとつで居たい。
そんな思いとは裏腹に体は絶頂を求めてしまう。私の口元を覆う彼の手に指を滑らせれば、私の顔から手元へと彼の視線が移る。
律動はより激しいものに変わり追い詰められ、目を固く閉じ声も出ない程の快感にただ耐えながらその時を待つ。
すると突然口元の手が離れ目を開ければ、彼の手を掴んでいた私の指に彼の指が絡んだ。快楽の波に奥からじわじわと侵食され絡んだ指に思わず力が籠ると、強ばった体がひくりと揺れ目を閉じた。
麻酔のような気の遠くなる恍惚感に包まれ、ぼんやりとした頭で目の前にいる彼のことを考えていた。
絡んだはずの指はいつの間にか離れていて、彼が達したのかどうかすらわからなかった。それほどに快楽の余韻に深く溺れていた。
煙草の香りに目を開けると、上半身裸で私に背中を向けて椅子に座る彼が目に入った。
職業のわりに無防備なその背中。私が付けた傷跡をさらけ出して、また同じようなことが起こるかもしれないと警戒することはないんだろうか。
まるであの時の私の気持ちが、殺す気などなかった私の思いが、全て伝わっていたみたい。
『みんな寝てるうちはよ出てった方がええで』
私を振り返ることなく言った彼は、煙草の煙を吐き出し灰皿に煙草を押し付けた。
「...トッポ」
上半身を起こしてベッドの上から彼の名前らしきそれを口にしてみたけれど、彼は振り向くことも返事をすることもなかった。
「...帰る家なんてない」
私を飼っていたあの人も、数時間前に彼等に殺されたのだから。
『300あったらとりあえずどこでも行けるやろ』
低い声で淡々と話す彼はやっぱり私に警戒なんてすることなく、欠伸をひとつして胸の前で腕を組み俯いた。
『昼前から仕事やねん。少し寝たいからはよ出てって』
「...いらない」
彼が振り向き、その目がやっと私を捉えた。怪訝な顔で私を見て理由を急かすようにその目が鋭くなる。
「...お金、いらないから...ここに置いて」
一緒に居たい、とは当然言えなかった。
理由になっていないその言葉を、やっぱり無表情のまま彼は聞いていた。
祈るように彼の言葉を待つけれど、彼はじっと私を見たまま口を開かない。
「...いつかちゃんと、出てくから、」
ただここに居たくて、頭に浮かんだ思ってもいない言い訳を小さな声で呟いた。けれどそれが本心ではないことが見透かされてしまいそうで彼から目を逸らし俯いた。
自分の早い心臓の音を聞きながら手を握り締めていると、暫くして彼が無言で立ち上がった。
また少し早くなった鼓動。顔を上げることも出来ずに俯いていると、彼が私に背を向けるようにベッドに入り冷たく言い放った。
『輪姦(まわ)されても知らんで』
その言葉にぞくりとした。けれど好きではない男に抱かれるのはもう慣れた。
ただ、ここに置いてくれるという遠回しな回答に自然と小さく笑みが零れた。
「...ありがとう」
その言葉にやっぱり返事はなくて、彼の背中を見つめた。
私に向けられた背中の傷跡と、乱雑に置かれたままの札束から目を逸らしベッドに入る。
彼に背を向け目を閉じると、微かに感じる背中の温もりにますます胸を締め付けられる。
ひとつ息を吐くと、自分でも理由の分からない涙が込み上げてくる。溢れるそれを拭いながら、震える吐息に気付かれないように布団に顔を埋め、彼の肌の温もりを思い出しながら静かに目を閉じた。
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