楽しい釣り体験は一時中断。

海水で全身ずぶ濡れになったナイジェル以外の5人が並んで正座をしていた。

「何しに来たんだ、お前ら!?なんで開始早々、全員海に飛び込んでんだよ!そんなに潜りたきゃ、俺じゃなくて濱口さんからモリの使い方を教わってこい」


普段は無口のナイジェルの説教は、かれこれ10分は続いている。

こんなに珍しい光景は滅多に見られない。

どの位珍しいかと言うと、ボビーが全身タイツの上からTシャツを着て、そのTシャツにジムの顔がプリントされている位珍しい。


「飛び込んだって…飛び込ませたのはナイジェルでしょ?俺は餌を投げ入れる係であって、自分自身を投げ込んで欲しいなんて頼んだ覚えはありません!」

「お前はな、撒き餌係じゃねぇ。ただ魚に餌をやってる人だ」

海水が白い塩に変わり、髪の毛がキラキラしてくるリッキー。


「私だってリッキーを格好良く救出しようと思ったのに!飛び込んでみたら意外と足が届かなかったんだもん!」

「オメェの脳みそは魚以下なのか?隣クジラ泳いでたじゃねーか、届いてたら足長すぎて引くわ」

海水が白い塩に変わり、髪の毛どころか全身がキラキラしてくるビッキー。


「…ったくどいつもこいつも」と言いたげな顔をしていたナイジェルはようやく説教をやめ、ジムが握っていた釣竿を取り上げた。


「見本みしてやっから。見てろ」


この馬鹿共が、言葉で教えただけで理解出来ると思っていた俺が間違っていた。

どうやら口での説明ではなく、イチからシミュレーションしてやるのが効率的と考えたらしい。

魚の釣れそうな波が比較的穏やかな場所を探し、慣れた手つきで針に餌を付けて撒き餌を撒く。

リールを引き釣竿を自在に操る手捌きは、渋い彼の背中によく似合う光景だと全員が思った。


「いーか?釣りに上手いも下手もねんだ。針に魚が食いつけばどんな馬鹿だって釣り上げる事は出来る。
難しい事を教えてるわけじゃねんだから、イチからゆっくりやってみろ。上手く出来ねーなら俺がやってやる」


普段はぶっきらぼうで無気力だが、たまに見せるこんな優しさがあるから、コイツにはたくさんの人間が寄ってくるのだろう。

若干照れ気味に背中を向けているナイジェルに全員が笑った。

日曜日。ただ釣りをしに来ているだけなのに

こんなにも朗らかな気持ちになれるなんて不思議だ。





「何笑ってんだ…。早くやれ、日が暮れるぞ」

「「はーい」」


ピクン…


「ん?」


一瞬、ナイジェルの握っている釣竿が動いた気がした。


「どうした?ジム」

「ナイジェル?かかってない?それ」

「は?今、入れたばっかだぞ?んな早くかかるか。釣りナメんなよ」

歯に力が入り、咥えているタバコがぐにゃりと曲がる。


ピクン

ピクン

やっぱり。微かに動いている。


「いや、やっぱかかってるって!」


釣竿を左手で握って海に背中を向けているナイジェルは気づいていない。

「何度も言わせんな。投げ入れてすぐにかかるわけねーだろ。これは波のせ…」


ふわっ!

その瞬間、黒のキャップが空中に舞い上がった。

体が一気に後ろに引っ張られ、足の裏が地面から離れる。


「…っ!」

あまりに突然の事で声が出ない。



「ナイジェルッ!!!」

突風が襲ってきたように海側に引っ張られたナイジェルの体へ、ジムが咄嗟に飛び込んだ。














「…ググッ!」

間一髪。

海に強く引っ張られたナイジェルの体は、ジムの力によってなんとかまだ陸の上にある。

そしてジムの体をビッキー。

ビッキーの体をボビー。

ボビーの体をサラ。

そしてサラの体をリッキーが必死に掴んでつなぎ止めていた。


「大丈夫か!?」


ジムの言葉にうっすら目を開けるナイジェル。

両方の手の平と腕の筋肉が悲鳴を上げている。

握っている釣竿に強烈な力が加わり右へ左へ。

その感覚から海の中の敵が激しく暴れまわっている事がわかった。


「すっ…凄ぇ!こんな大物は初めてだ!」

彼の口調は痛みに耐えながらも、興奮の感情を帯びている。

初めて出会う大物を前に、男としての闘志に火が付いたのだろう。


「ナイジェルッ…」

「コイツは絶対ぇ、俺が釣る!皆手伝ってくれ!」


心配そうに名前を呼んだサラも…全員が先頭の彼の言葉に力強く頷いた。

皆で力を合わせてこの大物を釣り上げる。

同時に決断した瞬間、それぞれの腕の力がグッと強くなった。


「俺が後ろから引っ張ります!皆さん、声を揃えて同じタイミングで引いてください!」

最後尾から叫んだリッキーの声。


「いきますよ!せーのっ!」


「「そーれっ!そーれっ!」」


それぞれが自分の持てる限りの力を使って前の人の体を懸命に引っ張る。

声を張り上げる。腕が千切れそうだ。

だが、足元は前に引きずられるばかり。

魚の引く力の方が6人の力より勝っている証拠か。

人間に勝る力を持つ魚なんて、一体どんな姿をしているんだ。


「ふぐぐっ…!痛いぃぃ…!」

後ろからビッキーの苦痛の声が聞こえ、ジムは後ろを振り返った。

「大丈夫かっ……あ…」

彼女は覆い被さるように細い体で必死に自分の体を支えている。

今まで夢中で全く気づかなかったが…

背中に大きめの胸がむにっと押し付けられている。



「…はぐっ!」

一瞬にして鼻血を噴き出したジムが、掴んでいたナイジェルの背中から足までズレ落ちる。

「オイッ!ジム、何やってんだ!!」

後ろの状況が全くわからないナイジェルが叫んだ。




「そーれっ!そー……」


あれ…?

一番後ろで頑張っていたリッキーも突然声を止めた。

自分が今、誰を支えているか夢中で気づかなかった。

目の前にいるのは自分の憧れの存在でもある先輩のサラ。

俺は今、彼女の腰を掴んで…それで…

「リッキー、何してんの!もっと力入れて!」




「ああああああ!!!!!!!」

ナイジェル「オイ――――ッ!リッキー、お前どこ行ってんだぁッ!!」


彼はサラの体から手を離し、目にも止まらぬスピードで海から反対側の住宅地へ走って行ってしまった。


「クッソ、男ふたりが全く役に立たねぇ!(怒)なんだってんだよ!」

気を抜いているうちに敵の力が増した。

「うわっ」と声を上げた途端に、口に咥えていたタバコがぽとりと地面に落ちる。

マズい。これは非常にマズい。

このままでは自分だけではなく、引っ張ってくれているコイツらにまで危険が及ぶかもしれない。

ナイジェルの頭に手を離すという選択肢が浮かんだ。







ガサササッ…


「…ん?」


気がつくと、ソイツは彼女の足元をウロウロとしていた。

気の向くまま右へ左へと素早く走り回り

その場所でようやく落ち着いたのか、ピタリと足を止めた。


「…………。」

「おぉ!愛するビッキーちゃんとこんなに密着出来るなんて!今日はなんて素晴らしい日なのだろ…あれ?サラちゃん、急に大人しくなったね。どうしたんだい?」


後ろの異変に気づいたボビーが振り返る。

サラの額から大量の汗が流れていて、声をかけたのにピクリとも反応がない。

「サラちゃん?」

真っ青になっていく顔。

その彼女の白い足に

一匹のフナムシがくっついていた…。




「イヤァァァァァアッ!!!煤v

「…っ!!!」


気がついた時には、サラの前にいた4人の視界が

海の青から空の青へと変わっていた。

敵の魚との戦いとは比べものにならない程、とてつもない力で上空に投げ飛ばされていたのだ。


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