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……………


バレルが事故を起こした――


その事実を聞かされたのは、彼を見送った日の夜だった。


上司の話によると、バレルは出張先へ向かう途中にハンドル操作を誤り

体ごと吹っ飛ばされた後、たまたまそこを通りかかった人に崖の下で倒れている所を発見されたらしい。


その後すぐに救急車を呼び、病院に運ばれたとの事。


怪我の程度等、詳しい事はわからないという。



それを廊下で聞かされた俺は、頭が真っ白になって呆然と立ち尽くした。




今朝まで…あんなに元気だったのに。


ただただその事実が信じられなくて、俺は何度も上司に同じ質問を繰り返し、枯れそうな声ですがりついた。


会いたいと申し出ても、治療に支障が出る為という理由で面会も拒否された。


携帯にかけてももちろん出ない。


恐らく、あまり良い状況ではないのだと思う。


戻っても自分しかいないふたり部屋。


今朝までバレルが使っていた歯ブラシ。ワックス。コップ。


全て、彼がまだいた時の状態で時が止まっている。


恐怖と悲しみで俺はバレルの使っていたテーブルにすがりつき、ひとりで何時間も泣いていた。







……………








バレルがいない数日間。

当たり前だがトレーニングにも全く力が入らなかった。


彼の容態がわからない。

無事が確認出来ない。


いつ、訃報の報告を突き付けられるかもわからない。


大好きなバイクに跨がっても走っても、全く楽しいと思えない。

競ってくれる相手がいないから。


自分は怪我を負っていないのに、胸が痛くて息苦しくて体が破裂しそうだった。



「リッキー君」

「あ、はい」


トレーニングの最中、すっかり気が抜けてしまっている自分の名前を呼んだのは、バレルのプロ入りの担当をしていた上司だった。

彼はこちらへ手招きをする。


「話がある。来なさい」


心臓に何かがズキンと突き刺さる痛み。

もしかしたら…

最悪の言葉が頭をよぎるが、しかしここで上司の命令を断るわけにはいかない。

何も考えられないまま、リッキーはバイクを下りて上司の後ろ姿を追った。






ある程度人気のない廊下で立ち止まり、彼はこちらに体を向ける。


「安心しなさい。バレル君に命の心配はない」


「…………ッ」



「リッキー君?」




「本当ですか!!?」



ずっと、ずっと待ち望んでいたその言葉。



その一言目に心を救われ、世界が変わった。

バレルは助かった…!

良かった…!バレルは助かったんだ…!

良かった…!

本当に良かった…!!


一気に胸の暗いモヤモヤが晴れて、妙な開放感が体中を駆け巡った。

リッキーは安心したのか、無意識に深く大きな息を吐く。


「だがしかし…ひとつ」

「え?」


柔らかな表情をしていた上司の顔が一変。

真剣な表情へ変わった。


「ひとつ…なんですか?」

「彼はもうウィンディランには入れない」

「…………ッ…」


その言葉に、先程までの幸せが一気に崩れ落ちる。

目の前が真っ暗になるとは、まさにこの事か。


「入れ……ない?」

「あぁ。彼は致命的な重傷を負ってしまった。もう今後バイクを運転する事さえ出来るかどうか危うい」


プロ入りが決まった時のバレルの嬉しそうな顔が脳裏に浮かぶ。


「そこでだ。ウィンディランの社長は、バレルの代わりに君をスカウトしたいとお願いしてきたんだ」


えっ?

上司の言葉に耳を疑った。


「俺には出来ません!!!」

「……ッ!?」


突然叫ぶように拒否したので、上司は驚いて目を見開いている。


「あ、すみません。でも、バレルはあの事務所に入れる事を心から喜んでいたんです。それを俺が横から奪うような真似…」

「だからと言って大怪我を負った人間をプロへ送り出せと言うのかい?リッキー君、それは出来ないんだよ」

「じゃぁ、彼の怪我が治るまで待ってもらえば良いじゃないですか!」

「さっきも言っただろう?怪我が治っても、バレル君はバイクを続けられる保証がない。それに現実はそんなに甘くないんだ。
そんな長く待ってもらうなんて、あちらの事務所にも失礼だろう?」

「………ッ…」


言い返す言葉がなくて、下を向いてしまう。

そんな彼を哀れに思ったのか、上司はリッキーの肩を握って優しい声で問いかけた。


「よく考えなさい。もし、君が逆の立場だったらどうする?」

「逆の…立場?」

「そうだ。もしリッキー君がバレル君の立場だったとしたら。プロ入りの寸前で致命的な怪我を負ってしまい、その道が閉ざされたとする。

そこで閉鎖された道の代わりに、新たなふたつの道が現れる。

ひとつは完全に夢を諦めて、そのオファー自体をなかった事にする。

そしてもうひとつは…信頼する親友にその夢を託し、自分が受けたオファーを別の形として未来に残す」


「別の形…」

「私だったら後者を望むな。君もそうじゃないのかい?」


絶望しているのに、何故か上司の言葉は自然と彼の脳に入ってくる。

その選択肢をまるで、バレル自身が望んでいる事のように。

本当の彼なら…何と言うだろうか。


「きっとバレル君もそれを望むはずだ。彼の切り開いた希望をここで絶たせてしまうなんて、それこそ彼を心の底から絶望させる事になるんだ」

「………。」





「君がやるんだ。リッキー君。バレル君の為にも、君がウィンディランに入ってプロのライダーとして活躍するんだ」


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