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風は冷たいけど、お昼は朝ほど寒くはない。
眩しいお日様が空に登り、光が草木の隙間をすり抜けて広い木製のテラスまで届き輝く。
『いつも何書いてんの?』
鳥のさえずりが遠くから聞こえる中、彼が見せてきたのはメモ帳の1ページ。
そこにはお世辞でも上手いとは言えないような文字でそう書いてあった。
エマは字を読んだ後、向かい側に座っている男の顔を見てみる。
男はいかにも早く答えが欲しそうな、期待をしている顔。
「…教えない」
「え!?なんでなんで!?」
聞こえないが、口の動きでこの言葉を言っている事が容易にわかる。
耳が聞こえない分、視覚とそれを脳へ伝達する神経が普通の人より発達しており、
口の動き、今までの経験から自分が言葉を発して返ってくる台詞はなんとなく予想がついてしまう。
右手を伸ばしてきた男に、すかさず彼女は持っていたノートをテーブルの下に隠した。
『いーじゃん、見せてよ』
しつこく文字を書いた紙を見せてくるが、彼女は頑なに首を横に振る。
その反応に、男はつまらなさそうに眉をひそめて不機嫌な表情を見せた。
お昼の3時を過ぎた頃。
この時間帯は午後の休息を取るサラリーマンや優雅な主婦友達の集団が来店し、カフェのテラスにはお客が増える。
美空も午後の講師の演説を上手く抜け出して来店すると、いつもの席に彼女は座っていた。
毎度来る度にだが、彼女はいつもテーブルの上にノートを広げて何かを書いている。
最初は勉強かと思ったが、見る限り教材や計算機などは見当たらない。
ノート一冊と鉛筆一本、消しゴムがひとつ。
あとは自ら頼んだカフェモカのみ。
勉学にしてはあまりにスッキリしすぎている。
そこで思い切って訊いてみたが、あっさりと断られてしまったというわけだ。
「………………。」
「………………。」
続く沈黙。
彼女は動きに警戒して、ノートをテーブルの上に戻そうとしない。
このままではキリがないな。
思考を切り替えた美空は、戦法を変えて攻めてみる事にした。
『どうして見せたくないの?』
「……っ…」
紙を見せた途端に、彼女の頬が若干赤く染まった。
『もしかして好きな人の事が書いてあるとか!?』
「……///」
必死に首を横に振る反応。
『じゃぁエッチな事でも書いてあるんだ〜?笑』
「ちっ…違うっ!///」
思った以上に大きな声だったのか、周りの客が一斉にエマの方向を向いた。
恥ずかしくなって、彼女はリスみたいにちっちゃく席に座り直す。
「あは!冗談だよ!」
美空がケラケラ笑っていると、目の前にスッとノートが差し出された。
「冗談」という言葉が聞こえなかったエマは、彼の誤解を解こうとノートを見せる気になったらしい。
ラッキー…
「悪いねぇ♪」とニヤつきながら呟いて、美空はエマからノートを受け取った。
どれどれ、何が書いてあるのか…
ペラッ
【この目で見えるもの。
この体で感じる感覚。
空、海、木、花、風
冷たい、温かい、固い、柔らかい、
みんな私には何も言ってくれないけど、
その存在を感じるだけで、私は幸せ。
私が今ここに生きてるって
実感出来るから】
「これは…詩…?」
ペラッ、ペラッと男がページを捲る度に、エマはテーブルに視線を下げて恥ずかしそうに口を閉ざしている。
ノートには彼女の視覚、手触りなどから感じ取った感情、食材を口にして思った事、聞こえないが周りの音に関するイメージ…
あまり口には出さない彼女の考えている事柄が日記やポエムの形式で、この一冊のノートに書き綴られていた。
「お母さんからっ…昔…教えて…もらったの…。
耳が…聞こえない分……こうやっ…て…
…毎日の…出来事とか……思った…事……文字にして残した方が良いって…
そしたら……もっと感情が…豊かな人間に……なれるって…」
たどたどしい説明を受けて、再び彼女が書いたノートに視線を落とす。
【12月13日
初めて日本の梅干しという食べ物を食べた。
匂いはツンと鼻を刺すように鋭くて、味も顔が変わっちゃうくらい酸っぱい。
でも、赤くてまん丸くてふにふにした見た目が何故か可愛い。
1月5日
人に話しかけられたが、何も答えられなかった。
耳が聞こえないと説明しようとしたが、女の人は軽く首を傾げてすぐにどこかへ行ってしまった。
よくある事。慣れているはずなのに。
私はひとりなのではないかと、心の底で考えてまた落ち込んでしまう。
自分を知って欲しくても、思いが空回りしてしまって、私はもう一歩が踏み出せない。
1月11日
猫。
いつも決まった場所に野良猫が座っている。
顔が汚れて毛もボサボサな白黒猫。
道行く人々はその汚れた猫を避けて歩いていた。
ねぇ?なんで君は毎日ここにいるの?
他人から避けられるとわかっていても、
猫は鎖で繋がれたように、その場所から動かない。
そっと手を伸ばすと、猫は私の手の匂いを嗅いだだけでプイッとそっぽを向いた。
可愛くない。
毎日こんな所にいて、本当は構って欲しいはずなのに。
きっとこの子は素直になれないんだろう。
なんだか私に似てる気がする。
軽く喉を撫でると、あっちを向いたその奥から、指先に小刻みなごろごろが伝わってきた】
「良い…」
「……?」
「これ良いっ!凄く良いよ!!」
さすがにこの返答は予想が出来ず、彼女は紫色の髪を揺らして首を傾げた。
「あぁっ…そっか…」
慌てて美空は自分が今考えている内容を、メモ帳に手早く書き綴った。
『エマちゃん、僕達の仲間にならない?』
「……っ?」
読んでも意味がわからない。
彼女は数秒息を吸って固まってしまった。
仲間…?
そういえば七音君は、有名なバンドグループのボーカルをやっていると教えてもらった。
以前にすぐそこの街路でゲリラライブを行っていた時の盛り上がりから、それは事実なのだろうが…
仲間とは、そのバンドグループの事を意味するのか?
「わ、たしが…?」
『この詩や文章、凄く良いフレーズがいっぱいあるよ!僕達の歌の歌詞に使いたいんだ!』
「…ッ……」
思ってもいない突然のオファーに心臓が高鳴ってしまった。
私の書いた詩が………歌になる…?
毎日なんとなく書いていたそれが、そんな大きなものに使われるなんて想像出来ない。
深くも考えず、咄嗟に首を横に振ってしまった。
『大丈夫だって!この僕が言ってるんだよ!今から事務所に行こ!』
「…えっ……そんな…」
紙に書かれた文字を読み切る前に、美空は適当にお札をテーブルに置いてエマの手を掴んだ。
「ちょっ……待っ……無理っ…///」
抵抗する余裕もなく美空は走り出す。
彼に無理やりここから連れ出されるのは、これで2回目だ。
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