……………


リッキーは急いで引いていたバイクを倉庫に仕舞い鍵をかける。

普段客席から溢れ出す歓声に慣れているので、夜のスタンドはやけに静かで、鍵をかける音さえ響く。


練習で荒らした砂をある程度綺麗にならして、すぐにリッキーはサラの元へ戻ってきた。




「お待たせしました。とりあえず座りましょうか」

「うん」


ふたりはレーススタンドの隅に体操座りをして並んで座る。

人ひとり分の彼女との距離が、なんとも切なく感じた。



「…………。」


話相手が欲しいと言いながらも、彼女はなかなか口を開かない。

虚ろな目で地面を見ている。



何か悩みがあるんですか?



こういう気の利いた言葉をかけてあげたいけど、彼女の横顔を見てるとなかなか訊く勇気が出なくて、リッキーもなんとなく地面を見た。



「リッキー、なんでこんな時間に特訓してるの?」


ようやく口を開いたのは、流した前髪を耳にかけるサラの方だった。


「え?」

「だってこんな夜遅くにトレーニングしても疲れるでしょ?
もっと早い時間とか、他にも空いてる時間はあるじゃない」

「………っ…」


質問をされて、少しだけ間が空く。


「それに皆に特訓してるの隠してるみたいだし。それじゃ寂しいで…」






「恥ずかしいんです」

「…え?」



彼の意外な回答に、ぽかんとして返事を忘れてしまった。

私達はいつも一緒にバイクに乗っている仲間同士。

それなのにどうして特訓をしている姿を見られるのが恥ずかしいのか…サラには理解が出来なかった。


「どうして?リッキーがバイクに乗ってる所なんて、毎日見てるじゃない」

「あ…いや、そういう事じゃなくて。………。」


言葉に詰まる。

言いにくい事があると、すぐに黙って目を逸らしてしまう彼の癖。

こういう事…周りの誰にも話した事がないから。


「リッキー?」

「俺は…『バイク界の天才ルーキー』として、この業界に入れて頂きました」

「……ッ…」


その台詞に、視線が自然と彼の口元に寄った。

彼女の視線に気づきつつも、男は重い言葉を続ける。


「理事長や社長にもそこが受け、大切な部下として可愛がって頂いています。

周りの人達も『凄い凄い』と褒めてくれ、

メディアでも『バイク界に現れた天才』、『期待の星』だなんて大きく取り上げて頂き

そしてファンの方々は、『天才』の俺を見て黄色い声援を送ってくれます」


「…………。」


「…あっ…すみません。自慢とか…そんなつもりじゃ…」

「わかってるわよ。続けて?」



彼女の目を見ていると、本当にわかってくれているんだと伝わってきた。

突然おかしな話をして、なんだか申し訳ない気持ちになりながらも要望通り話を続ける。



「俺は…『天才』という肩書きがあったから、この世界で受け入れられてきました。

俺が『天才』じゃなくなれば…この世界では必要とされません。

でも…『天才』という言葉は、人間の生まれ持って身に付いている才能を言いますよね。

どんな人間でも、練習や特訓をすれば上達するのは当たり前です。

でも、俺にはそれが生まれ持って身に付いている才能だと…

皆思ってくれているはずだから。

こうやって実力が落ちないよう、トレーニングをしている姿を見られるのが恥ずかしいんです」



リッキーは謝る時以外、話している間はサラの顔を見る事が出来なかった。

他人にはもちろん、両親にも話した事のない自分の秘めた胸の内。


初めて言葉にして少しだけ気持ちが軽くなったと同時に、サラから失望されてしまうのではないかという不安が残った。


彼女もまた、「天才」という枠組で俺を固定して、

期待をしてくれていたひとりだったかもしれないから。





「偉い…」


「……ッ…?」


「リッキー、凄い偉い…」


どうして褒められているのかわからなくて、開いた瞳孔が彼女の顔を見つめた。


「偉い?何がですか…?」

「だって…そんなに大きすぎるものをひとりで背負い込まされて悩んでいたのに、私達はその事を全然知らなかったのよ?

リッキーがコソコソ特訓してるのは知ってたけど、そんな理由だったなんて全然…」

「そんな事、ちっとも偉くなんか…」


「私達はそれを知らなかったの。

プレッシャーに押し潰されそうな毎日を過ごしてるのに、そんな事を感じさせずに皆の前でもいつも笑ってて…」

「サラ…」


「頑張ってたのよね。ずっとひとりで。

いつもこうやって特訓してるバイクのエンジン音…たまに聞いてたから。

凄く格好良いわよ、リッキー」




「………ッ…」



何故かその瞬間、胸の奥が込み上げる勢いで熱くなった。

俺が…泥まみれになって特訓してて、格好良い?


俺は本物の「天才」なんかじゃない。

こんなボロボロの姿になるまで何度も何度も走り込まないと、俺は「天才」にはなれない。

何度も転び、汗臭く汚れて、上手く走れなくてムシャクシャして…

華やかな舞台での俺の姿はただの見せ物で、本物の俺はこっちの汚く未熟な方なのに。

サラは、そんな俺でもいいと思ってくれているのか。


「トレーニングをしないで、常に天才でいられる人間なんていないわよ。

そんな事マスコミやすぐ騒ぐ人達はどうかわからないけど、私達仲間はちゃんとわかってるから」


その言葉を聞いて、自然に拳を握り締めた。



「俺の事…期待外れな奴とか…思いませんでしたか?」

「思うわけないでしょ。むしろちょっと安心したくらいよ。

リッキーが例え本物の天才じゃなくたって、

私達は何も変わらない。

リッキーはずっとリッキーのまま」


「サラ…」


「だからあんまり無理しすぎないでよ。
若いからって体に負担をかけすぎると、いくら天才の貴方でも泡噴いてぶっ倒れちゃうわよ?笑」

「…………。」






彼女は他の女性とは…全く違う。


昔からそうだった。


俺の周りに寄ってくる女性は、俺のバイクセンスやルックスを見て騒ぐ人がほとんど。

表側だけを見て、必要以上に迫ってきたりアピールしてきたり…


でもこの人だけは違う。

同じライダーとして活動し、この世界の辛さをお互い知っているからかもしれないが

出逢ったその日から俺を俺として見てくれて、他の男性と同じように分け隔てなく接してくれる。

表の俺だけじゃなく、裏の俺もきちんと見て

そしてそれを全て受け入れてくれる。



そんな人だってわかってたから、今みたいな話が出来たんだと思う。



だから俺はこの女性に惹かれるんだ…


きっと同じ職場の人間じゃなくても、こんなに近い存在じゃなくても

俺は多分、この人を好きになっている。


貴方が心の底から初めて好きになった人だなんて、それこそ恥ずかしくて絶対に言えるわけないけど…。



「どうしたの?」

「あっ…いえ、別に…」

「さて、そろそろ寝ましょうか。明日ふたり揃って遅刻したらジムに怪しまれるし」

「ははっ。そうですね…」



俺が何を考えてるかなんて知る由もなく、サラは砂を払って立ち上がった。



また長い夜が過ぎる。



俺はいつまでこんなどうしようもなくもどかしい気持ちを胸に秘めながら、

眠りにつかないといけないのだろう。


- 436 -

*PREV  NEXT#


ページ: