21
……………
白い壁。
薬品の独特な匂い。
周りの人間は自然と小声で話す空間。
ここはウィンディラン本部から少し離れた場所にある、とある病院。
私達が事故を起こした後、真っ先に運ばれた病院だ。
ここの先生は若いながらも腕が良いと評判のやり手の医師。
何より社長の友人とあって、ウィンディランは万が一の事故に備え、この病院と昔から契約を結んでいた。
その為私達が怪我を負った際にもすぐに治療が受けられ、ナイジェルの命も救われたのだ。
本当にここの医者には感謝してもしきれない。
「控えの椅子に座ってお待ちください」
「わかりました」
受付のナースに指示され、ふたり並んで壁側に設置してある椅子に腰掛ける。
本日、サラとナイジェルがこの病院を訪れたのは検査入院の為だった。
あの事故から半年が経過。
体はほぼ前の状態に戻りつつあるが、一応「経過確認」という理由で、一日だけ入院して検査を受ける。
少しして再びナースから名前を呼ばれ、ふたりは検査用の病衣に着替えた。
「はーい、それではチクッとしますよー」
受けたのは血液検査、レントゲン、医師との面談など…
ナイジェルは脳の検査の為、MRIも。
どれも以前入院している時に何度も受けた検査だ。
2時間程かけて検査は無事に終了。
終了後、とりあえず病室に案内された。
以前入院していた際部屋は別々だったが、今回は同じ部屋に入る事を許可され、ドア側のベッドにサラが、窓側のベッドにナイジェルが入った。
「検査、どうでした?」
「ちょっとだるかったけどこれも健康の為よ。今回の件でそれを痛感させられたから、きちんと真面目に受けた。ナイジェルは?」
「俺も…まぁ…」
今は昔のナイジェルではない。
この彼が検査を抜け出したり、不真面目に受けたなんて考えづらいか。
「「…………。」」
少しの沈黙が続いた。
気まずい…。
ナイジェルとふたりきりになって気まずいだなんて、今までには考えられなかった。
無言になってもお互い気にしないような間柄だったが、今となっては出会ったばかりの他人。
何を話してやればいいのかわからない。
退屈だと思っているだろうか。
やはり何か話した方がいいのか。
「何か思い出した?」
「………っ…」
あ、イケない。
これは前に私が話した事を、全部潰してしまうような禁句だ。
「ごっ…ごめんなさいっ…えっと……練習…毎日頑張ってるわね」
「は…はい。ありがとうございます…」
ナイジェルはサラを見て軽く頭を下げた。
「本当よ。私より早く走れるようになったらどうするの」
「そんな無理ですよ。俺はほとんど初心者同然なので」
「「…………。」」
「まだ…何も思い出せてません」
一時の沈黙の後、先に話題を戻したのはナイジェルの方だった。
サラの瞳に彼の姿が映る。
「ナイジェル…」
「いいんです。俺もいつまでも逃げているわけにはいかないので」
彼は少しずつだけど、前を向き始めていた。
まだ脳の中の思い出は無くしたままで、それを探す事さえ恐れていたナイジェルは
少しずつ目を色んな方向に向け、記憶を見つける為ゆっくりとだが歩き出している。
「記憶を無くす前の写真とか持っていた物とか、見て手に取って触って…色々試してみるんですけどね。
やっぱり何も思い出せなくて」
「そう…」
「あ、先日ジムに一昨年の忘年会の動画を観せてもらいました。
俺、貴方にセクハラまがいな事をしてしまっていて…ご迷惑をかけました」
そんなものを見せていたのかアイツ。
「いいのよ。変なの、自分の話なのに他人の事みたいに謝って(笑)」
彼も照れて笑っている。
そんな顔…見せてくれるようになったんだ。
…嬉しい。
「サラに…ひとつ訊きたい事があります」
「何?」
「前の俺は適当で面倒臭がりで、はっきり言うと…その…ダメな人間だったように見受けられました」
「まぁ、立派な大人の見本にはならなかったわね」
「周りの人に…嫌われるような人間ではなかったですか?」
「嫌われ…?」
不安そうに訊いてきた彼。
昔のエピソードを聞いたり、あんな汚い状態の部屋、さっきみたいな動画を見ると…そう思うのも仕方がない。
しかし、サラは…
「ない」
迷いがないハッキリした回答を返した。
それがあまりに断定的で、ナイジェル本人も一瞬戸惑った顔を見せる。
「ない…?」
「前のナイジェルは…変な人だったわ。
面倒事は人に全部押しつけてくるし、寝てばっかで自分は全然働かない。
だらしがなくて、喋り方もダラダラしてたし。
なのに…私達を含めて、周りの人間からは慕われていた」
「…どうして?」
「わかんない。雰囲気なのかな。
なんだかんだいっても、いざとなったら一番に私達を守ってくれてたし、優しい言葉とかもかけてくれたし。
ニヒルのフリして、周りの人を放っておけない性格だったのよ」
「サラも前の俺の事、嫌いじゃなかったんですか?」
「殴りもしたし胸ぐら掴んで持ち上げたりもしたけど、嫌いだったらそんな事しないわよ(笑)」
「胸ぐらっ…。じゃぁ忘年会の時みたいな、あんな事を言われても?」
「あの時は鼻血が出るくらい蹴飛ばしてやったけど、それも愛情の裏返しよ」
「俺達がどういう関係だったのか、ますますわからなくなってきました…」
話を聞く限り、前の自分は思っている程悪い人間じゃなかったのか、
それとも周りの人間の器が広すぎるのか…その辺りの白黒はわからない。
でも、彼女と話をしてわかった事がひとつだけある。
前の「ナイジェル・ヨーク」という人間は、彼女を含めて仲間達と強い絆で結ばれていたという事。
そうじゃなきゃ、周りの皆はこんなに俺のサポートをしてくれないだろうし、目の前の彼女もここまでは言ってくれない。
隣に前の俺がいるとすれば、きっと元の自分に戻りたいと訴えてくるだろう。
少し…事故で記憶を無くす前の俺に会ってみたいと思った。
「サラ」
「何?」
「時間があれば…本当にあったらでいいです」
「だから何?」
「俺の思い入れの深い場所とか、記憶に残ってそうな場所があれば、連れて行ってくれませんか?」
「…えっ?」
先程の回答とは打って変わって、今度は頼りない返事。
彼女にとってその言葉は、全く想像もしていないお願いだった。
「いいの?」
「はい」
「そのっ…場合によっては貴方をもっと苦しめるかもしれないわよ?」
「覚悟は出来てます。
でもさっきも言った通り、逃げてばかりじゃダメだとはわかってるから…俺は記憶を取り戻したいんです」
事故直前の彼とはまるで顔つきが違い、サラは言葉に詰まってしまう。
ただゴクリと唾を飲み、ナイジェルの顔を見つめ、
目頭が熱くなって咄嗟に目を逸らした。
「…わかった」
「ありがとうございます」
とてもじゃないけど、あのサラとナイジェルの会話とは思えない。
「来週日曜日…予定入ってる?」
「いえ、大丈夫です」
「じゃ、その日はデートね(笑)楽しみにしてるわ」
こちらを向いて冗談混じりに笑った彼女。
目はまだ少し赤いけど、そこが美人というより可愛らしく感じられた。
「ありがとうございます。デート、楽しみにしてます」
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