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……………



「…………。」



サラはリッキーとの話を終えた後、このベランダに足を運んでいた。

彼女も色々と考えすぎて眠る気がしなかったからだ。

クリーム色のキャミソールの上から七分袖の黒のカーディガンを羽織り、真っ暗な空を黙って眺めている。





そういえば…あの日もこんな感じだった。




こんな緩やかな風が吹く夜。


こんな真っ暗で星が点々と輝いていた夜。


妙に寝つけなくてここで暇を潰していたら、あの人が突然やってきた。


いつもみたいに寝癖がついてて、猫背気味で、だるそうなあんな顔で…




「……ッ…」





その顔を思い出した瞬間…


何故かわからないが、突然目から涙がこぼれてきた。


意識したわけでもなく、自分でもわからない。


悲しんでも落ち込んでもなかったのに…


あの時のナイジェルの顔を思い出しただけで、


涙がまた一粒、頬を伝って流れる。




あの時、彼は適当な事を抜かして


私にキスをしようとしてきた。


冗談だってわかってた。


彼が本気じゃないのに私がその気になったら、馬鹿みたいだと思ったから…


私はそれを拒否してしまった。



どこかで彼を愛してしまうのが怖かった。



だから距離を取った。



思い出すごとに、涙がぽろぽろと溢れ出してくる。





あの時…彼を受け入れれば良かったと今更後悔した。



嘘でも構わない。



本気じゃなかったとしても、愛して欲しかった。



今はもう我が儘は言わない。



欲張りにもならない。



だから、あの瞬間に戻ってほしい。




まだあの人の記憶が何ひとつ欠けていない、あの瞬間に…











「…サラ?」




「……ッ…!?」






後ろから突然話しかけられ、心臓が跳ね上がった。



「ナイッ…」


そしてまたその立っていた人物にも驚き、慌てて背を向けて顔を擦る。



…泣いてたんですか?


そう訊きたかったけど、必死にそれを隠そうとする彼女には、その言葉をかけてあげられなかった。


でも…間違いなく彼女は涙を流していた。


今でも必死に抑えているけど、背中がピクピク動いている。


咄嗟にその言葉の代用として「すみません」と謝罪が口から出てきた。


まるでタイミングを計っていたかのようにその場へ現れたナイジェルは、ただ彼女の背中を見つめる。




「…どうしたの?…眠れないの?」


ほんの少しだけ落ち着いた所で、彼女はようやく口を開いた。

しかし、まだ顔をこちらに向けない。



「あぁ…いや…そういうわけじゃ…」

「また何か思い出そうと、散歩でもしてたんでしょ」


独特の投げやりな口調だが、普段よりも声が甲高く聞こえる。


多分…自分の推測でしかないけれど…


前の俺の事を思い出していたんじゃないだろうか。


俺と出かけている時だって、

咄嗟に言いたい事は全部胸の中に閉じ込めてしまっているのは、正直見ていればすぐにわかる。

俺に気を遣って、色んな事を我慢して。


俺が記憶を無くして短い期間しか経っていないから、サラの全てをわかったわけじゃないけど、

周りに自分の弱みを見せたくない人だという事はなんとなくわかっていた。


ナイジェルは強く自分の拳を握る。




「無理しなくていいって言ってるのに…。
普段から貴方は考える事とか苦手だったんだから、頭がパンクしちゃ…」



「違う。そういう事を話しに来たんじゃない」


「………ッ…」




見てはいけないとわかっていたのに、彼の言葉に思わず振り返ってしまった。


記憶を無くしてからの謙虚な態度が、急に強気になったように感じたから。










「サラの事…好きだって、伝えに来た」






「…………ッ…」







悲しみも涙も…心臓の鼓動さえ止まってしまった気がした。



彼女は瞬きさえ忘れて、ただただ呆然と赤くなった目でこちらを見ている。






「部屋にもメインルームにもいないと思ったら…ここにいたんですね」


「…ナイ、ジェルッ…?」




今の彼は冗談なんて言わない。


真面目な顔で突然その気持ちを告げられ、返す言葉が全く浮かばなかった。



「ジム達から前の俺がどうだったとか聞かされたからじゃない。

純粋に…貴方の事が好きになったんだ」



「なんで…?」



彼は穏やかな表情のまま話を続ける。


「記憶が無くなってしまってどうすればいいのかわからない俺を、必死に支えようとしてくれたから。

他の仲間達も支えてくれたけど、貴方は…他の人とは違う気がしたんです。

俺の心情を一番に気遣って、心配して、忙しいはずなのに毎週のように俺に付き合ってくれたり…

先が見えなくてダメになりそうな時…貴方の言葉に何度も救われた」




…無理に、思いだそうとしなくていいから―――



でも、貴方は生きてる。

こうやって私の前に立って、こっちを見て、呼吸をしてる。


それが私にとって、どれだけ幸せな事かって気づいたの…――







「…………ッ…」



鎮まりかけていた熱い感情が、打ち寄せる波のように再び込み上げてくる。


「前の俺はサラの事を本気で好きだったのかわからなかったとジムは言ってましたけど


多分…好きだったと思います。


だから事故の時も自分の身を投げ出してまで、貴方の事を助けたかったんだと…」


「ナイジェルはっ…本気で私の事…愛してたって…言うの?」


涙を必死に堪え、サラは近づいてきたナイジェルの袖を掴んだ。








「俺がこんなに愛してるんだから、愛していなかったはずがない」








「…………ッ…」



ナイジェルが私を愛していると言ってくれた。



今の彼も前の彼も…



私には…もったいないくらい…嬉しかった。




「…そんッ…な…っ……」



彼の胸の中。掠れる声で泣き始めた。

最初に出会った頃のクールな印象とは違う。

今までの我慢を解放し、涙が男のシャツを濡らす。




「…ごめん…なさい…ッ…」


「いいですよ」



鼻まで真っ赤になって、おでこをナイジェルの胸に押し付ける。


彼はそっと、優しく彼女の背中に手を置いた。



「仮に、前の俺に別の好きな女性がいたとしたら、申し訳ないけど忘れます。


今のサラにお付き合いをしている男性がいれば諦めます。


だけどもし…そうじゃなければ…」


「ナイジェルッ…」



彼はサラの手に指を絡めて、耳元に唇を近づけた。










「どうする?」











甘くて色気のある囁き声は、今も昔も変わらない。


温かい息が耳をふわっと撫で、絡められた手をゆっくり握り返した。



彼の質問は「NO」を受け付けない言い方。










愛してる。





もう…全部、嘘でもいい。





貴方が愛してくれるなら、私はもう何も拒んだりしない。






「…ンッ……!」




迷いもなく、唇を重ねた。


絡めた指を離し、ナイジェルは彼女の体を強く抱き寄せる。



「…ナイッ…んっ……クチュッ…ンフッ…///」



ずっと愛しいと思っていた相手と舌を絡ませ、愛を確かめ合う。


「ハァッ…ンッ!…ふっ…」


少しも離したくないと、彼は何度も激しいキスを求めてくる。


擦れあった服が熱くて、ますます感情が高ぶってしまう。


「ナイジェルッ…ごめんなさい…あっ…

私っ…貴方の事ずっと…んっ…好きだったのにッ…はぁっ…」



耳を舐められ、首にキスをされる。


「いいよ、もう…ッ…。…ンッ…」


手すりに押し付けられて、もう一度抱き合って深いキスを交わす。


まだ微かに残る、ヘビースモーカーだった彼の味。



「ンッ…チュッ…ふ…!…はぁっ…///」



そのまま羽織っていた黒のカーディガンを脱がされ、手すりにかける。

そして薄着のキャミソールの紐をそっと摘まんだ。



「サラ……もう…後戻り出来ないよ?」


「………ッ…」



彼からの最後の忠告。


逃げるなら今のうちと言いたいのだろう。


サラは熱く息を切らしながら、彼の肩を掴んだ。



「ナイジェルッ……来て…お願い…」



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