19
いいか。今後一切俺に近づくな。俺のアパートにも来るな。俺がいなくてもだー…
こんな事を前に電話でも言われたけど、もう今の私には関係ない。
バレルさんがケンカをやめてくれるまで。
ちゃんと普通の生活を過ごしてくれるまで。
そう何度も自分に言い聞かせて道を進み、そして宣言通りバレルのアパートに向かった。
私は諦めない。
錆び付いた階段を重いクーラーボックスを抱えて登る。
「…あ」
階段を上がり終えると見えた光景。
埃を被った救急箱とすっかり腐ってしまった食べ物が入ったボックスが放置されていた。
ここ最近、彼は食べ物すら食べてくれない。
きっと私の事、嫌いなんだろうな…
「よいしょ」
しかし彼女はくじける事なくふたつとも新しい物と交換。
とりあえず、彼にはメールも送ってみた。
『新しい物と交換しました』
ただこれだけを残して。
返事が返ってこない事はもう百も承知だけど、とりあえず報告だけ。
そして古い食料と救急箱を持ってアパートを後にする。
少し重いけど…歩いて帰ろう。
まだ明るいし、タクシーを使うのは勿体ない。
重たい荷物を持ち、歩き初めて5分。
もうあと5分程歩けば駅が見えてくる頃だった。
「………ッ…」
ふと目に映った見覚えのある顔。
荷物を持ったまま、ローラの足は自然と止まった。
公園に屯している若い男性のふたり組。
あの人達は確か…
以前バレルさんにやられていた不良の人達だ。
あんなにボコボコにされたからか、顔中に絆創膏が貼っていたり包帯が腕に巻かれてたりするけど命に別状はなかったようだ。
とりあえずよかった。
ゴクンッ…
そこである考えが頭をよぎり、ローラは息を飲んだ。
主にバレルさんにケンカを売ってくる人達は、多分この人達だよね。
ケンカで負ける事が一番嫌いみたいな顔をしてるし。
このふたり組とバレルさんがケンカを始めた原因は、私にもある。
どうにかしてこの人達を説得すれば…
そのような考えが浮かんだのだ。
今なら怖くない。
ローラはそっと荷物を公園の外に置き、小さなバッグをひとつだけ持った状態で彼らに近づいた。
「あの…」
「…あ?」
まるで犬でも見る目でローラを見下ろしたふたり。
趣味の悪い骸骨の柄が入ったニット帽の痩せ型男と、銀髪のクマのような男。
以前会った時と見た目がまるで変わってない。
「あっ!アンタ、あの茶髪の彼女じゃねーか!」
「いえ。彼女ではありません」
「そーかそーか、やっぱりアイツの所が嫌で俺達の所に帰って来てくれたってわけか?」
「違います」
ふたりは私の事を覚えているらしいが、バレルさんと私が付き合っていると思っている様子。
以前この公園で暴力を受けていた時に私が来た事は知らないようだ。
あの時は気を失っていたみたいだし。
「あ?じゃぁ何しに来たんだよ?」
ニット帽の痩せた男性の言葉にゴクッと息を飲む。
「もう…バレルさんと関わらないでください」
「あぁ?」
眉間にシワを寄せる男達。
やっぱり…さすがに少し怖い。
後退りするもローラは勇気を出して言葉を続ける。
「バレルさんもやりすぎな部分もあります。貴方達ももうこんな怪我したくないですよね。
だからもう、お互いケンカをしないでください。お願いします」
日本人と同じ動作で丁寧に頭を下げる彼女。
しかしローラを見るふたりの目は最初と何も変わっていない。
むしろ「はぁ?」と声を漏らされ、何を言ってるんだコイツはという目で見られている。
「お嬢ちゃん。あのね、世の中そういう思いやりだけじゃ解決出来ねー事もあるん…」
ガッ
そこで突然、クマ男の腕をニット帽の男が掴んだ。
ローラが頭を下げている見ていない隙に、彼は不気味な顔でニヤッと笑っていたのだ。
「私からお願いします!もうケンカをしないで…」
「いいよ」
「えっ?」
あっさりOKしてくれたニット帽の男の人。
あまりに簡単な回答に拍子抜けしてしまい、咄嗟に口がぽかんと開いてしまう。
「本当…ですか?」
「こんな可愛いお嬢さんからのお願いだもの。断れるわけないじゃなーい」
怪しい顔で笑うも、その返答が嬉しくて彼女はまた深々と頭を下げた。
「あ…ありがとうございますっ!本当に…」
「でも、タダでとは誰も言ってないよ?」
「……ッ…?」
今まで気がつかなかった謎の違和感。
ふと見るとガタイの良い男が彼女の後ろに回っていた。
まだ昼間なのにこの不穏な空気。
気味悪く笑う男の人達。
「あのっ…」
「俺達はねぇ、あの男に散々痛い事されてきたの。
この傷はアイツに蹴られた時に付いた傷。
この痕はアイツに殴られた後、倒れた拍子にコンクリにあたって出来た傷。
この血はねぇ…アイツの蛇に付けられた血」
「………ッ…」
背筋が凍りつきそうな感覚を覚える。
長袖を捲ると現れた、目を塞ぎたくなる生々しい傷跡。
「ぜーんぶ、あの男さえいなければ付かなかった傷なの。
俺達はなーんも悪くないのに『ごめんなさい!もうしないよ!』って謝って事を終えるって…おかしな話じゃない?
この傷相応の代償を支払ってもらう義務ってものが…俺達にはもちろんあるよねぇ?」
「な…何の話ですか?」
「君の体だよ」
「………ッ…」
気がついた時には、もう遅い。
自分の身が危険に晒されているという事に。
「君がアノ男の代わりにその代償を全部その体で払ってくれれば、俺達は満足って事。
大体元々は君が原因なんだから、それくらいのサービスしてくれてもいいんじゃないの?」
ガシッ!
「…ッ!」
後ろから銀髪のクマ男に両腕を掴まれる。
恐ろしい予感に彼女の顔が真っ青になった。
「やっ…やめてください!私はそういう為にここへ来たんじゃありません!!」
「仕方ないじゃーん。君がひとりで来た以上、覚悟はしてたって事でしょ?」
「離して!イヤッ!!」
「大きい声出すんじゃねーよ!!オイ、急いで車に乗せろ!」
見えたのは公園の向こう側に停めてある黒い車。
痛いッ…!!腕が引き千切られそう!
口や鼻が塞がれて息が出来ないッ…!!
恐怖で涙も出ない!
このままじゃ私は…っ…!!
助けて!!!
誰か助けて!!!
「オイ」
「あ?」
それは瞬きをする暇さえない、
ほんの一瞬の出来事だった。
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