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……………
キンキンキンキン!
遮断機が下り、そして自分の前を長い電車が通過する。
図書館への最短ルートはこの線路を渡り、そして大きなブルドッグのいる家を左に曲がる。
クラウディは、あの日からほぼ毎日のように図書館へ通っていた。
元々頻繁に通っている場所だったが、こんなに何日も続けて通うのは初めて。
目的はただひとつ。
あの女性に会いたい。
それだけだった。
彼女がアメリカに帰ってくる日は少ないが、その分見つけた時の喜びが大きくて、こうやって毎日足を運んでしまう。
最初に出会ってから3ヶ月が経ち、まだ3回しか会っていないが、その間にメールアドレスの交換もしてもらった。
図書館でのやり取りは基本的に勉強。
わからない問題を教えてもらったりするだけで、プライベートの話はほんのわずか。
彼女はいつも天使みたいに自分に笑いかけ、どんなに難しい問題でもわかるまで丁寧に教えてくれる。
自分だけの秘密の先生。
クラウディは柄にもなく舞い上がり、ローラに会える保証もない図書館へ今日も向かう。
・
・
・
あ。
いた。
階段を上がった窓側のテーブル。
青色の雰囲気漂う彼女が、いつもの席に座っていた。
今日はラッキーだ。
「ローラさん、こんにちは」
「………。」
「…ローラさん?」
「…ッ…!」
驚いた表情でクラウディを見上げた彼女。
「あっ…ごめんなさい。クラウディ君、よく会うね」
「そうですね」
それはそうだ。
自分は貴方に出会ってから、ほぼ毎日この場所へ通っているのだから。
それにしても…気のせいかな?
なんとなく…
「丁度よかった。今日も少し教えてもらいたい問題があるんですけど」
「いいよ。座って」
いつものように隣に座り、教材を広げる。
…………
「これはこの方程式で答えを出すんだよ」
「んん…。難しいですね。じゃぁこっちは?」
「………。」
「ローラさん?」
「あっ…ごめん」
やっぱり…なんとなく…
「ローラさん。何かあったんですか?」
「………ッ…」
目を丸くして彼の顔を見上げた後、黙り込んでしまった。
何かあったんだ。
いつもあんなに笑ってくれていたローラさん。
彼には確信があった。
「クラウディ君…。少し、相談してもいい?」
「何ですか?」
「私ね。好きな人がいるの」
「………ッ…」
彼女の一言に、心臓が大きくドクンと動いた。
もしかしたら…今、自分が一番聞きたくなかった言葉だったのかもしれない。
よく気が利くと周りから言われる事が多いが、さすがにその瞬間だけは何も返す言葉が見つからなかった。
「ごめんね。いきなりこんな話しちゃって。でも、第三者からの意見も聞いてみたくて」
第三者…。
その単語に深く心がえぐられるようだった。
そんなクラウディの心境など知らず、ローラは口を開く。
「その人ね。悪い男の人から私を助けてくれた人なの。もちろんそれだけで好きになったわけじゃないんだけど…。
でも、その人私には全然興味がないの。
いっつも眉間にシワを寄せる怖い顔をして、他人には興味ないって雰囲気を漂わせてる人。
私を助けてくれたのも、バイト先の迷惑な人を追い払った時、そこにたまたま私がいただけって話。
一度だけ一緒に出かけてくれたんだけど、私には全然心を開いてくれなかった」
「…………。」
「話だけ聞いているとただの怖い人でしょ?彼を見る周りの人も怯えてその人には近づかない。
おまけにいつもケンカばっかりして体は傷だらけ。
プライベートでも食生活とか偏っててすぐに病気になっちゃいそう。
私がこっちに帰ってくる時は健康的な食料品とか差し入れで持って行くけど、それ以外は体に悪そうなものばっかり食べてるみたい」
「…………。」
「いつも孤独な人なの。周りの人間を信じないで、ひとりでボロボロになって…誰も助けられない悲しい人」
ローラさんが好意を持っている男の話。
そういう恋愛に関するプライベートな話はした事がなかったから、恋人がいるかどうかも知らなかったけど
案の定、他に気になっている男性がいた。
まだ出会ってまもない人。
こういう現実も覚悟しておかなければならなかったんだろう。
「本当…ごめんね。一方的に喋っちゃって。お勉強…進まないね」
でも…
好きな男性の話をしているのに、彼女の顔はとても苦しそうだ。
そんな、考えるだけで辛くなるような男を…どうして想い続けるのか。
「ローラさん…」
「…?」
「今日もその男性の所に行くんですか?」
「いや。昨日行ったからもう…」
「行きましょう。自分と一緒に」
「え?」
驚いて垂れた目を大きく見開くローラ。
全く予想もしていなかった言葉を返してしまったようだ。
「でも…」
「食べ物はいくらあってもいいでしょう?また今日も差し入れとして持って行きましょう」
「その男の人には会わないよ?帰って来てないから、お家の前に荷物を置くだけ」
「それだけでもいいです。同行させてください」
「…………。」
宿題はまだ終わってはいないが教材を片付け、いつもより早い時間にふたりは図書館を出た。
ローラさん、変に思ってるかな。
タクシーで向かったのは、見た事のある風景が多い場所。
このルートはジムさん達のバイクスタンドへ向かう途中の道とよく似ている。
ローラさんが好きな男性は、その辺りに住んでいるのか。
車の中でふたりは一言も言葉を交わさなかった。
何か声をかけてあげたいと思ったけど…どう話しかけていいのかわからなかった。
…おかしいな。励ます言葉なんて、普段ならすぐ思いつくはずなのに。
「到着しました」
タクシーは小さなバス停の前で停車した。
クラウディが料金を支払って車を降りるが、ここは見た事もない古びた街路。
なんというか…寂れた住宅地といった雰囲気だ。
「こっちだよ」
「………。」
言われるがまま彼女の背中を追い、3分程歩いた所でひとつの古いアパートが見えた。
「ここが彼が住んでるアパート。この2階の部屋に住んでるの」
「………。」
ギシッ
ギシッ
2階へ上がる為の鉄の階段も大分年季が入っている。
体重も結構あるし、登っている途中に壊れてしまわないか心配だった。
男の部屋は階段を上がって一番奥の部屋。
クラウディはローラから預かった保冷箱を扉の前に置いた。
「ありがとう。重かったでしょ?」
「いえ。いつも自分で運んでるんですか?」
「えぇ。だから最近筋肉付いてきちゃって困ってるんだよね(笑)」
「はは。じゃぁ、運ぶ時は今度から自分を呼んでください」
「そんな事しないよ!」
わりと本気で言ったのに、冗談に取られて笑われてしまった。
ローラさんはいつもひとりでこんなに重い荷物を抱えてこの場所へ来ているのか。
「これは…?」
次にクラウディの目に留まったのは、もうひとつある同じ保冷箱。
「これは昨日私が置いていったもの。どれどれ…」
それを開けると缶詰がいくつか減っているものの、まだ野菜の多くが残ったままだ。
「ここの人、玉ねぎが嫌いなのかいつもこれだけは食べてくれないんだよね」
「食料品だけいつも置いていってるんですか?」
「いや。よく怪我をするって言ったでしょ?だから傷の手当の為の救急用具も一緒に置いてる。
今回は昨日私が使ったから、部屋に入れてたまたまないんだけど。
それは自分からはまだ使ってくれた事がないの。
怪我をしてない事を願いたいんだけど、多分そんな訳ないだろうから。
水か何かで洗って、あとはほったらかしなんだろうね。
どうすればいいのか、対策を今考え中かな」
ローラは昨日置いた保冷箱を「よいしょ」と細い腕で持ち上げた。
使われるかわからないのに、新しい品をわざわざ買って置いていっているのか。
食べ物も全て食べられているわけではない。
それなのに…いつもお金をかけて買って小さな体で歩いて運んで…
固まってしまったクラウディは、彼女が荷物を持っている事に今更気がついた。
「あ、ごめんなさい。持ちます」
「え、いいよー。全然重くないし」
「女性が荷物を持って隣を手ぶらで歩く自分の姿なんて、恥ずかしくて周りに見られたくありませんよ」
半ば強引に彼女から荷物を取り上げた。
「ごめんね、行きも持ってもらったのに。ありがとう、クラウディ君」
その優しい笑顔が、今の自分には心を締め付けるような痛みを与える。
こんな事、男の仕事。
それが当たり前だと思っていた。
しかし、この部屋に住んでいる男は…
ローラさんがここまでしてあげているのに姿も見せない。
毎回置いていっている荷物にも手をつけない。
きっと「ありがとう」なんて言った事もない人。
表札も貼られていない錆びれた扉。
一度も会った事のない男に、どうしようもない怒りが込み上げた。
「どうしたの?クラウディ君。顔が怖いよ」
「ッ…。なんでもないです。帰りましょう」
こんな薄汚れた気持ち。
今まで18年間、宿った事のないこの感情。
この女性にだけは悟られたくなかった。
大きな保冷箱を抱え、クラウディは元来た道を戻り始めた。
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