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……………



もう嫌。

何も考えたくない。

何も信用出来ない。

日本に行っても家にずっと引きこもってしまっていた私。

真っ暗闇の底に突き落とされた気分。

こんな絶望的な気分は生まれて初めてだった。



そんな時、クラウディ君が突然メールをくれた。




『今度いつ帰ってくる?』




突然の食事のお誘いメールだった。

先日いきなりあんな電話をかけてしまったし、色々と心配して元気付けようとしてくれてるのかな。

今の深く心に傷を負った彼女にとって、クラウディは最も心を許す存在となっていた。

こんな事、お兄ちゃんにも誰にも話せない。

お兄ちゃんに話しでもしたら、激怒して本気で殴りに行っちゃうかもしれないし。


あの事件があった直後。

泣いていた私が携帯電話を取って無意識にアドレスを探していたのはクラウディ君だった。


たったひとり…。


私を全部わかって、そして優しく受け止めてくれる存在。

どれだけ気分が落ち込んでも、クラウディ君の顔を頭に浮かべると少しだけホッとする自分がいた。

そして彼に会いたいと本気で思い、私はその提案にOKを返した。






……………





「ここ…」


アメリカに帰国して次の日の夜。

私はクラウディ君に指定されたお店に辿り着き、顔を上げて建物を見た。

街の賑わい通りを外れた隠れ家的ななんとも小さなお店だが、雰囲気がある素敵な場所。

真緑の壁の色が変わっているが、窓の形が丸いデザインだったり店の看板に素敵な猫のシルエットが描いてあったり、お洒落な印象のお店だ。



【My Home】



マイホーム…。

私の家って名前のお店か。

良い名前。


 


カランカランッ!



扉を開けると設置していた鈴が鳴り、店員さんがすぐにやってきてくれた。


「いらっしゃいませ」

「あの、待ち合わせをしてるんですけど…」

「クラウディのお連れの方ですね。どうぞ」


出迎えてくれたのはまるで小説に出てきそうな、優しい人柄が漂うゆったりとした言動の髭のおじいさん。

黒の少し汚れのついたエプロンを巻いている。

何故、彼の事を知っているんだろう。

そのおじいさんに連れられ、ロウソクの明かりの灯る狭い廊下を抜けると…



「クラウディ。彼女が来ましたよ」


ソファーに彼が座っていた。

彼女だなんて少し照れると思ったが、それを否定しないクラウディは「ありがとう」とニコッと笑った。

電気の代わりが小さな炎ランプという、店内もまた暗い独特のお洒落な風貌だが、クラウディ君の服装や言葉は普段と同じ。

ローラは先日の事もあり、若干緊張気味に彼の前まで歩いた。


「お久しぶりです。ローラさん」

「うん」

「緊張しないで座っていいですよ。ここ自分が一番好きなお店だし、マスターとも仲良しだから今日は貸切にしてもらったんだ」

「そうなんだ。お店を貸切にしちゃうなんて、凄いね」

「お友達だから特別だよ。あのおじいさん優しそうな人だったでしょ?」


およそ3ヶ月ぶりの再会。

クラウディの笑顔は全然変わっていなかった。

そっと向かい側のソファーに座ると、おじいさんが彼女にフルーツティーを出してくれる。


「サービスだよ。おかわりが欲しかったら言ってね」

「あ、はい。ありがとうございます」


本当…優しそうだし、やっぱり小説に出てきそうなおじいさん。

まさに絵に描いたような「喫茶店のマスター」って感じだな。

このお店にもよく合ってる。

頂いたお茶を一口味わうと、紅茶と桃の香りが口いっぱいに広がった。


「美味しい」

「でしょ?ここの飲み物や食べ物は凄く美味しいんだ。それに部屋も静かだし何も予定のない夜はここで読書をするのが好きなんです、自分」


うん。

なんとなく、クラウディ君によく似合う雰囲気のお店。

本当に本を読む事が好きなんだな。


それにしても…


「ねぇ。クラウディ君」

「?」

「どうして貸切にしたの?」

「……ッ…」


質問をされたクラウディは、一度瞬きをしてローラの顔を見る。

少しだけ言葉を詰まらせた彼は、ゆっくりと自分の口を開いた。


「ふたりだけでゆっくり…話す時間が欲しかったんです」

「私の…あの話?」


コクリと一度頷く返事。






「この間…ローラさんが話していた男の人に会ってきた」

「えっ」


心底驚いたらしく、彼女はティーカップを握ったまま固まってしまった。

それはそうだ。

色々考えてくれたのかなとまでは予想していたが、わざわざその人に会いに行ったとまでは想像していなかったから。



「バレル…さんに?」

「バレルさんっていうんだ。会ったというより、少し顔を見合わせただけなんだけどね。
一度顔を見てみたかったんだ。
イメージだけで勝手に極悪人にしちゃマズいと思ったし」

「…どうだった?」

「イメージ通りの人だった」


その言葉を言ってすぐ「冗談」とクスクス笑ったクラウディ。

しかし、彼女はまだ笑うというより驚いている感情の方が強いらしい。

笑いがおさまった後彼は少しだけ鼻をこすり、そして真っ直ぐにローラの顔を見た。




「ローラさん。自分は貴方の事をとても尊敬しています」

「……ッ…」

「人として。本当に貴方は優しい心を持っている。そんな貴方を自分は心の底から素晴らしいと思ってます」

「ありがとう…」



沈黙が続く。

ローラはそっとクラウディの顔を窺うと、何とも言えない…喪失感さえ感じられる切ない表情。


「クラウディ君…?」



「応援しています。いつか貴方があの人と打ち解けあえるように。自分が全力でローラさんのサポートをします」



「……ッ…」


そっと手を握ってくれた彼。


「自分に手伝って欲しい事があればすぐに言ってください。

貴方が疲れたら、自分がこうやって食事を奢ったり、どこにでも連れて行きます。

貴方がイライラしたら、全部自分が愚痴を聞きます。

涙が出たら…すぐに電話をください。自分が日本に飛んででも貴方の所へ行って胸を貸してあげます」


「クラウディ君…」


彼は大きな手で私の手を強く握ってくれる。

バレルさんへひとりじゃないと必死に支えようとする私と同じように。

私にひとりじゃない事を彼が教えてくれる。

私が諦めてしまう事を…彼は許さない。



「手を出されたら、自分がアイツを殴りに行きます」

「え?」

「これは冗談だよ(笑)」


そしてそっと手を離した。

まだ指先にわずかな温もりが残っている。


「でも彼に暴力を振るわれたり、今回のように酷い事をされたら、すぐ自分に相談してください。これは真面目な話です」

「…うん」

「本当は今でもぶん殴ってやりたいけど、とりあえず今回は我慢するね」

「それは冗談?」

「半分本当。まぁ実際殴ったら真っ先に返り討ちにされちゃいそうだけど(笑)」




そっと同じようにティーカップに口を付けるクラウディ。


「バレルさん?…だっけ?」

「うん」

「ウィンディランってモトクロス団体に貴方のお兄さんが所属してるって、前にローラさん言ってたよね?
あそこにリッキー・スターンっていう男の子もいるんだけど」

「…あぁ、知ってるよ。ちょっと顔見知りで…彼からバレルさんの連絡先も教えてもらったの」


やっぱり知っていた。

ジムさんの妹さんだし、絶対にリッキー君とも繋がりがあると確信していた。

でも表面上「そっか!そうなんだ!」と知らないフリして驚いてみせた。


「リッキーさんはね、バレルさんの旧友らしくて、かなり昔から交流があったみたいだよ」

「そうなの?そんな話は全然…」

「メンバ…じゃなかった、そういう他人のプライベートにやたら詳しい変な友達がいるんだけど、彼に聞いたから間違いないよ」

「そっか。リッキー君がそんな昔から…」


考え込むローラに対し、クラウディはソファーに前屈みになって問いかける。


「バレルさんの事を知りたいなら、まず彼をあたってみたらどうかな?色々と話が聞けるかもしれませんし」

「そうだね。うん、わかった。ありがとう、クラウディ君」





パスタやデザートなど食事を終えた後、クラウディが清算をしている間に外へ出るように指示されたローラ。

扉を開けると、空はすっかり真っ暗で…

店の前に既に一台のタクシーが停まっていた。


「あ、クラウディ君。タクシー呼んでくれたの?」

「マスターに頼んでおいたんだよ。はい。これで帰ってね」


タクシー代を渡されるが、さすがに彼女もこれは拒んだ。

「いらないよ。ご飯代も払ってもらってるのに」

「違うよ。これはタクシー代じゃなくて、自分と貴重な一晩を一緒に過ごしてくれてありがとうって気持ち」


拒否するも、半ば強引にお札を握らされた。


「クラウディ君っ…。ごめんね、本当に。色々気を遣わせて」

「構いませんよ。あ…それじゃ、ひとつだけ我が儘やってもいい?」

「何?」



すると、お金を握らされた手を上に持ち上げられ…




チュッ




「……ッ////!」



突然、手の甲にキスをされた。



「ごちそうさま♪」

「えっ…///何?今のっ…」

「今ので100万円くらいの価値があったね。仕方ないからまたご飯奢ります。さ、もう暗いから車に乗って」


上手く誤魔化され、そしてタクシーに乗せられた。


「運転手さん。彼女のお家まで。丁重に送ってくださいね」

「了解しました、旦那さん」

「えッ…///クラウディ君…その…」

「じゃぁね、ローラさん。またね」

「う…うん…」


男性にあまり免疫のない彼女は、動揺したままの状態で首を縦に振った。




ブオオオオオッ!


走り出すタクシーが見えなくなるまで見送る。

月が綺麗な夜の空。

クラウディが小さく息を吐くと、その息は少しだけ白く濁った。








「いいのかい?あんな事言って…」

ボーッと立ち尽くしていたクラウディ。

扉から出て話かけてきたのは、この店の髭のマスターだ。


「何?あんな事って」

「『応援する』だなんて。お前、あの娘に本当は惚れてるんだろ?」

「そんな事ないよ。彼女は自分の家庭教師みたいなもの」

「相変わらず嘘をつくのが下手だなぁ」


無造作に伸ばした髭を触りながら笑うマスター。

年の功なのか…この人は他人の嘘をすぐに見破ってしまう。

彼の前では隠し事は通用しないんだ。


「お前は人の役に立つ事や、人の後ろに立って支えになる仕事ばかり今まで選んできたからな。優しすぎるんだよ、性格が」

「…………。」

「そろそろ、お前が主役になってもいい頃なんじゃないのか?」


クラウディの肩にも届かない身長から、彼の顔を見上げる。

青年の目は前髪の影に隠れて表情が読み取れず、口も閉ざしたまま。

数秒の沈黙が続き、そしてまた白濁の息を吐いた。



「いいんだ」


「…………。」


「…彼女の事好きだよ。自分でもこんなに特別に見える女の人がいるんだって事…初めて知ったんだ」


「…クラウディ」


「だから…自分の一番の願いは、あの人が幸せになる事。

自分が好きになった女性には…ずっと笑って過ごして欲しいんだ。

泣いて苦しんでいる彼女の声を聞いて、そう思った。

彼女に他に好きな男がいる以上…もう自分の出る幕はどこにもないよ。

それでも自分はローラさんの事が好きで…好きでどうしようもなくて、
彼女が悲しんでいると何も出来ない自分が悔しくて、一度は心が折れそうになった。

だから決めたんだ。

次こそは…彼女の笑顔を守ってみせるって。

涙が流れたら

せめて一粒ずつ拭いてあげる事くらいは

自分にもきっと出来るから」



「…………。」



マスターは黙ってクラウディの話を聞いている。

すると、徐にポケットからお金を取り出した。

先ほど清算の時に貰った2人分の食事代だ。

それを無言で瞳も向けずに、横に立っている彼に渡す。


「…え?いらないの?」

「何言ってるんだ。ここはお前が思っているより繁盛している大人気の店なんだよ。これっぽっちの金、貰わなかったくらいで潰れやしない」

「…嘘つき。その割には来る度お客あんまり来てないよ」

「隠れ家はそういうものなんだ」


優しく笑い、そしてクラウディはマスターからお金を受け取った。



「また、連れてきなさい。いつでも貸切にしてやる」

「ありがとう」



今日もまた長い夜が過ぎていく。

ローラさんと初めて過ごした一夜。

短かったけれど、とても楽しかったですよ。

貴方はどうでしたか?

自分はきっと…今後ずっと忘れないと思うな。



冷たい風がふんわりとクラウディの柔らかい灰色の髪を揺らした。


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