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「ローラさん。いつもありがとうございます」
「いえいえ。どういたしまして」
改めて丁寧に頭を下げてきたクラウディ。
それに合わせるようにローラさんは「ふふ」と上品に笑いながら頭を下げ返す。
ここは彼女と自分が出会った、行きつけの大型図書館の前だ。
バレルさんとローラさんが和解した事もあり、自分の出る幕はないと一時この図書館から足が遠のいていた。
しかし少し日が空いた1ヶ月後、ローラさん本人から自分の携帯に直接メールが入ったのだ。
『お勉強は順調?』
彼女は今でも自分の事を大切な友人だと思ってくれているらしく、気兼ねなく連絡をしてきた。
最初は内心複雑だったが、勉学において彼女の説明はその辺の下手な家庭教師より全然わかりやすい。
彼女は純粋に自分の勉強の手伝いをしたいと思ってくれているのだ。
バレルさんとどうこうあったとか関係なく。
むしろ自分が少し手を貸してあげたから、それを気にしてくれているのだろうか。
とにかく絡み合う複雑な感情は捨て、勉学仲間としてこれから接しようと、自分はまたローラさんに勉強を見てもらう事にした。
見てもらうと言っても1〜2ヶ月に一度程度だけど。
その中でたまにプライベートの話をしたり、もちろんバレルさんの話を聞いてあげたり。
自分達は微妙な距離を保ちながら、あくまで先生と生徒のような関係でお互い接し続けていた。
今日もまた朝早くに合流して、3時間程度の勉強会は終了。
教えてもらった相対性理論はなかなか理解が難しかったけど、興味深い内容だった。
図書館を出てお礼を言った後、普段はいつもここでお別れだが
今日は彼女が手持ちのバッグとは違うバッグをもうひとつ持っていて、それが気になって話しかけてみた。
「ローラさん。そのバッグを持ってるって事は、これからバレルさんの所に行くんですか?」
「うん。そうだよ」
やっぱり。
そんな大きな荷物を持っている時は、大抵あの人に差し入れを届ける時だ。
一時行動を共にして、なんとなくパターンが読めてきた。
クラウディは彼女の顔が隠れてしまいそうな大きな手を前に差し出す。
「それじゃ、自分が近くまでお持ち致します」
「え、大丈夫だよ!ひとりで持てるし」
「バレルさんの件については協力すると言ったでしょ?女性は黙って甘えていればいいんですよ」
屈んで荷物を取り上げる。
自分にとっては軽い荷物だけど、女性のローラさんにとっては何十分も持って歩くには大変な量だ。
「さ、行きましょう」
「ごめんね。いつもありがとう」
この光景は今でもたまにある光景。
クラウディが荷物を持ってバレルの家の手前まで付いて行く事となり、ふたりは並んで歩き始めた。
そこでふと持っているバッグの中身に違和感を覚える。
普段入っている野菜や果物、缶詰などの食料品の他に、何か別の物が入っているのだ。
それはあの怖い顔のバレルさんからは想像もつかない意外な物。
「ローラさん、これ…」
「うん、今日はいっぱい日本のお菓子を買ってきたの!
人気のチョコ菓子とかほら見て?塩スイーツって物もあるんだよ。
前にバレルさんに羊羹をあげた事があるんだけどね。
あれも全部食べてくれたみたいだし、甘い物も大丈夫なのかなって思って持ってきたの」
「へぇ。顔は『肉しか食わない』って感じだから意外ですね。でも、こんなにいっぱい買って大丈夫ですか?」
「あの人、ビックリするくらいいっぱい食べるんだよ!
まぁ、体が大きいし男の人だからそれが普通なのかと思ったんだけど、クラウディ君があのくらいの量だから…やっぱり体の作りが異常なんだと思う」
「異常か(笑)でも自分が大きいのは、大半は親の遺伝ですからね」
「はは。でもバレルさん、この間も昼ご飯におっきな弁当5個食べてたの!凄いでしょ?さっきも『早く来い』って催促の連絡あったし。ご飯も切らしてるだろうから早く行ってあげなくちゃ」
バレルさんの話をしてる最近のローラさんは、昔以上に表情が生き生きとしている。
話を聞く限り、あの男の人も徐々に心を開いてきているようだ。
「そうだね」
でも、何故だろう。
彼女の恋が実る事を祈ってるとか、格好つけた台詞を言っておきながら、
バレルさんの話をしてるローラさんを見ていると、なんとなく胸が切なくなる。
何度も何度も彼女への恋心は捨てないとと、仕事や趣味に没頭したりしたけど…
やっぱり、今はそれが出来ない。
心のどこかで、彼女の事がまだ好きな自分がいるんだろうな。
どこか冷めていると自覚していたのに、こんなに女性を好きになれた経験も初めてだったから
それは若い今の自分には仕方のない事なのかもしれない。
「クラウディ君、いつもありがとうね!私、バレルさんが周りに心を開き始めてくれたのは、本当に君のおかげだと思ってるよ」
お礼を言って可愛い笑顔を見せた彼女は、今から自分じゃない別の男に会いに行く。
「どういたしまして♪」
現実って…惨い。
そんな事を考えているとは微塵も感じさせない顔で、クラウディは返事をした。
これはある意味、自業自得だ。
それにあのバレルさんにケンカを売っても、全くもって勝てる気がしないし…。
ポツッ
ポツッ
「…っ」
突然肌に感じた冷たい感覚。
空を見上げると雲はグレーに染まり、そこからポタポタと雨粒が降ってきていた。
「わっ。雨だ」
ローラが上を向いている間に、あっという間に雨粒は大きくなってくる。
「雨宿りした方がよさそうですね。あの木の下に入りましょう」
「そうだね」
突然降り出した雨。
すぐにやむだろうと軽い気持ちで、ふたりは路上に植えてある目に留まった木の下に避難した。
特に大木というわけでもないその木の下は、体の大きなクラウディにとっては少々窮屈な批難場所。
最初は小降りだった雨も時間が経つ事に、その勢力が増してきた。
「ローラさん、大丈夫?」
「私は大丈夫だけど、クラウディ君の方が狭そうだね」
「自分は全然平気です」
雨粒がますます大きくなり、耳障りな程ザーッと強く降る。
天気予報、今日は雨という予報だったのかな。
ふと下を見ると、彼女の足元が徐々に濡れてきている事がわかった。
せっかく可愛い靴を履いてるのに。
「どうしよう。この雨じゃ先に進めないね。タクシーも通りそうにないし」
困った顔で彼女は辺りを見回す。
初めはにわか雨かと思ったが、見た所やむ気配はまるでない。
この場所も充分な雨宿りポイントではないし、このままではローラさんが濡れて風邪をひいてしまうかもしれない。
そう思い、クラウディはひとつ提案をした。
「ローラさん。あそこにマンションがあるじゃないですか」
「うん」
「自分あそこに住んでいるんです。ここからなら走れば一分くらいで着きますから、雨がやむまで中に入ってませんか?」
「え、いいの?」
「構いません」
彼が指差したのは背の高い大きなマンションだった。
雨足は強まる一方。
今は変に遠慮なんかしない方がいいと考え、彼女はすぐにOKを出した。
そこで彼の羽織っていたジャケットを頭から被せられる。
「ありがとう」
「走れますか?」
「大丈夫」
「自分が抱っこしてあげてもいいですけど」
「それはさすがに恥ずかしいよ(笑)」
「はは。ほら足元が濡れてきてますよ。急ぎましょう」
腕を引かれ、走って木の下を飛び出すふたり。
突然の雨に見舞われる中、クラウディが住んでいるマンションに足を急がせた。
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