16


……………


案内されたのは何階かもわからない、とにかく高い階にあるミーティングルーム。


部屋の中に入ると、何人かの若い人や年配の人も椅子に座って資料を広げていた。

中には男の人もいて緊張したけど、案内してくれたポニーテールの女性は私を男の人から離した席に座らせてくれる。

それぞれが会話をする姿は最初はとても難しそうな内容に窺えたが、それを簡単に通訳して女性が教えてくれたり、ホワイトボードで書記を取っている人もいたので、
耳が聞こえなくてもなんとか話題に付いていく事が出来ている。



曲の作成締め切りは3月末。

お菓子のCMの歌で、極力ポップな感じに…


伝えられた内容を丁寧に手書きでメモする。



1時間程でその会議は終了し、初の大仕事もなんとか乗り越える事が出来た。

いや、七音君達にとっては大仕事でも何でもないのかもしれないけど。

私にとってはひとりでこの場所へ来る事から偉い人の集まる会議に参加する事まで…

とにかく全てが初めての経験だらけで、正直最初から最後まで緊張は抜け切れていなかった。






『エマさん。よく頑張ったわね』

「ありが…とう…ございます。アンナさんの…おかげ…です…」


私の面倒を見てくれた案内役の女性・アンナさんに丁寧にお辞儀をする。


『いいのよ、気にしなくて(^-^)/またお仕事頼まれたら私を呼んでね!』



最後には顔文字を使ってくれるくらい、フレンドリーに話しかけてくれた。

いいなぁ。

活発で美人で、明るくお仕事が出来る女の人って。

私もこんな風になれたらいいのに。


こういう人と接すると、自分の内気な性格に少なからず引け目を感じてしまう。

ビッキーさんやサラさんなど、世の中には女性なのに強く格好良く生きてる人がたくさんいる。

それに比べて私は…



「…はぁ」

『どうしたの?大丈夫?』

「あっ……いえ!…なんでもっ…」

『そう。ひとりで帰れる?』

「…はい。大丈夫…です」

『わかったわ。気をつけて帰ってね!』

「ありが…とう…ございました」



最後にまたもう一度頭を下げ、今度はひとりでエレベーターに乗り込む。

指で押す「1」の数字。

手を振るアンナさんに応えている間に扉は閉まった。









「はぁ…」


ひとりになり、緊張の糸が解けてようやく一息ついた。

なんとか初仕事をやり終えた事実に胸を撫で下ろす。

あとは事務所へ帰るだけ。

このビルはweather lifeの事務所に比べて、人も大きさも倍以上だし、何より周りは知らない人がほとんど。

男の人だってたくさんいる。

敵というわけじゃないけど「知らない人」というだけで不安を覚えてしまい、妙に気構えてしまう。

アンナさんみたいに優しい人がほとんどなんだって、頭の中じゃわかってるんだけど。


エレベーターの数字が徐々に目的の階へ近づいてくる。

気持ちを引き締めて、バッグを両手で持ち直した。


大丈夫。

もうあとは帰るだけ。

誰とも話さずに外へ出られれば。


1階に着いて扉が開き、エレベーターを降りると…



トンッ!


「あっ!」


誰かと肩がぶつかり、せっかく持ち直した荷物を床に落としてしまった。



「すいません!大丈夫ですか?」


ぶつかった相手の人は、慌ててそれを拾ってくれる。




わっ…どどっ…どうしよ…男の人っ……って…あれ?


白い肌。

水色の髪。


この人…帽子を被ってサングラスをかけてるけど、どこかで見た事があるような。



「あ…君…」


荷物を拾い終わり私の顔を見た途端、彼は咄嗟に目を見開いた。

そして何を始めるかと思えば、突然自分の携帯を開いて文章を打ち込み始めたのだ。



『weather life関係者のエマさんですね?』

「えっ?」



どうして私の名前…?

しかもそれを口で言わず、ちゃんと携帯に打って文字にしてくれるなんて。




『この間、音楽番組の放送で一緒になったじゃないですか。ドロップスのカインです』

「…ッ!?」


それと同時にサングラスを外す。


あっ…そうだ、思い出した!

この人、あのドロップスってグループの真ん中にいた人だ!



「…あっ…ごめん…なさい…気が…つかなくてっ…!でも…どうして…私の…事ま…で?」

『weather lifeは俺達の先輩グループですからね。スタッフさんも知り合いが多いんですよ』


改めて携帯にその文章を打ってくれて納得する。

そうなんだ。

それで私の事をうちのスタッフの誰かから聞いたのかも。


それでもこんな芸能人の人が、人伝いとはいえ私なんかの事を覚えていてくれたなんて嬉しいな。

それにしても先日この人達が楽屋に来た時、weather lifeの皆は凄く険悪な顔をしていたけど。


『近くで見ると、耳が聞こえないようには全然見えないですね!』


ニコッと笑う彼は、この間会った時と随分イメージが違う。

テレビで見る、まさにドロップのような甘い笑顔。

まるで女性のような中性的な彼の顔つきに、男性に近づくと怯える症状も不思議とあまり出ない。



『大変ですね。耳が聞こえないのにこんな所まで駆り出されて。何をしてたんですか?』

「weather life…が…次の……CMに…使われる曲の…お話を聞きに…」

「ふぅん」


彼は唇を尖らせて頷いた後、手を顎に添えて天井を見上げた。


「……………。」


何か考え事をしてるみたい。

黙った数秒後、その手を離してこちらを見てきた。

そしてすぐ、私にメッセージを伝える為に、また携帯を開いて文字を打ち込み始める。




『そういえば曲の締め切り日とか聞きました?』

「…はい」

『いつ?』

「っ…3月…末だ…と…」

『え?本当に?それはおかしいよ。そのCM、スタッフの都合上撮影が延期されるってウチの知り合いに聞いたよ!』

「…えっ?…そうなん…ですか…?」


『別バージョンのCMで俺達も撮影するから間違いないよ!ちょっと待ってて。俺が確認してあげるから!』



私に背を向けて、急いで担当者に電話をかけるカインさん。

わざわざ調べてくれるなんて良い人だな。

人気もあって忙しいはずなのに、こんな私の為なんかに。

その背中は七音君達の持っている悪いイメージとはどうしても結びつかず、私には彼がとても親切な人に見えた。


そんな事を考えている間に、電話を耳から離したカインさん。

確認が終わったみたいだ。

そのままその携帯に、今話した内容を打ち込み始める。


『やっぱりそれ確認したら、締め切りは4月の末だったよ。伝える人が間違って教えちゃったらしいね』

「えっ…?」

『耳が聞こえないんだから仕方ないよ』



あのアンナさんが間違って私に伝言したって事…?

そんな事あるのかと疑問に思えたが、耳の聞こえない私じゃどちらが正解でどちらが不正解かなんてわからない。

でも確かに、説明してるおじさんも口を見てる限り早口の人みたいだったし。

それに同じ撮影をするドロップスの人がこう言ってるんだから、アンナさんがうっかり間違えてしまったのかな…。



『どうしたの?メモしてるんでしょ?書き替えなくていいの?』

「は…はいっ…」


カインさんに促されて、慌ててメモの3月末を4月末に書き直す。


い…いいのかな…?これで…。



『よかったね。早めに気づけて!』

「は…はい…。ありがとう…ございます…」


色々と不思議に思うけど、同じ撮影をする人が言ってるんだから間違いないのかな…?

わざわざ電話で確認もしてくれたし。


カインさんは普段テレビで見せるキラキラした笑顔を私に向け、そして再びサングラスをかけた。


『気にしなくていいですよ!美空先輩達には猶予もあるし、ゆっくり曲作りをしてくださいって伝えてね』

「わかり…ま…した…」

『うん。じゃあ、気をつけて帰ってね』

「ありがとう…ございます…」


咄嗟にお礼の意志を示す為に頭を下げるエマ。

カインさんは手を振って、私の降りてきたエレベーターに乗り込んだ。




「…………。」


嵐のように突然やってきた出来事に、まだ軽く放心状態。


この2〜3分の間に大人気芸能人のカインさんとぶつかって、お話して、そして今聞いたばかりの曲の締切日が違った事が発覚して…


頭が少しクラクラする。

こんな経験、weather lifeの仲間にならなかったら絶対出来なかった。

芸能界って…やっぱり凄いな。


それにしても4月末だったんだ、締切日。

危ない。

あわや間違った情報を皆に伝えてしまう所だった。

もう一度訂正したメモを見返し、内容に間違いがない事を確認する。


よし。今度こそ大丈夫だ。


エマはその手帳をバッグに仕舞い、急いで美空に内容を伝える為にビルを出た。


- 642 -

*PREV  NEXT#


ページ: