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……………


帰りの電車の中。

座ったエマはこちらをたまにチラチラ上目遣いで見るものの、一度も声はかけない。

すっかり動揺してしまい、何も言えなくなっているようだ。



…あんな事をするなんて、正直自分でも思っていなかった。


エマは七音に恋心を抱いている。

僕がアイツに勝てるはずなんてない。

昔からそうだった。

七音は僕の欲しいものを全て持っている。

音楽の才能や持ち前の明るさ、人を惹きつける力。

僕が七音に勝っている所といえば、学力テストの点数くらい。

だが、お前を羨ましいと思った事はあるが妬んだ事は一度もない。

今日までずっと隣にいて、美空七音という存在を越えられない事実は自分自身が一番よくわかっていたから。


彼女の事は諦めて、仕事上の仲間として完全に割り切ろう。

自分のこの生真面目な性格は自分が誰よりもわかっているのだから、それが出来ると最初の頃は思っていた。



しかし長い時間を共に過ごし、一緒にいればいる程

僕の心はこんなにも簡単に脆くかき乱された。

「理性を保つ」、たったそれだけの事で自分を制御するのに精一杯になってしまう程。




そして今日。


ついにその制御していた糸が、音を立てて切れた。


七音のエマに対する言動が許せず、僕の中に「あんな奴に彼女は渡せない」と激しい感情が込み上げた。



1度や2度の失敗など、人間誰にだってあるもの。


まして彼女は耳も聞こえないのに、七音の支えになりたいと身を削る努力をしていた。


夜遅くまでひとり事務所に残って、眠い目を擦って詩も考えていた。


無理に外仕事へ駆り出されても誰にも助けを求めず、恐らく不安の中で人ごみへ向かった。


いつも七音を心配し、自分に出来る事がないかと必死だった。


それなのに勢い余ってという事は重々承知だが、七音が彼女の思いを踏みにじり、果てはあんな暴言を放った事には変わりない。


それと同時に、エマを利用し騙して傷つけたあのカインという男はもっと許せない。






どうして…彼女ばかりがこんな目に遭うのか。


酷く泣いたのか、目は腫れていて。


耳も自ら痛めつけたのか、赤く血が滲んでいる。



もう、こんなエマの姿は見たくない。



あの笑ってくれた顔。



書いてくれる詩。



君が僕に言ってくれたひとつひとつの言葉。




こんなにも胸が締め付けられる程の、儚い君の存在。




僕が守りたいと思った。



君を誰よりも強く想っている。



僕ならきっと泣かせたり辛い思いはさせない。


耳が聞こえない部分も含めて、君の全てを受け入れる覚悟がある。


七音なんかよりずっと…








電車はひとつの駅で停まり、エマと雨宮はふたり並んで降りる。




10分程歩けば彼女の家だ。



ゲリラ豪雨のごとく降っていた雨はようやくやんだが、空はもう真っ暗。



結局最後までお互い会話を交わさずに、自宅まで辿り着いてしまった。










「あり…がとう…」

「…あぁ」


家の前まで送ってくれた雨宮君。

結局…最後までなんにも訊けなかった。



『明日からは無理に事務所に来なくていい。休みを貰えるよう僕が上に言っておく』

「……はい…」


携帯に打ち込まれている文章を読んで、虚ろな目をして小さく頷いた。


どうして、そんなに優しくしてくれるんだろう。

雨宮君はいつもそう。

私がどんなに失敗をしたり迷惑をかけても、怒らずにいつも庇ってくれる。

今日だって。

謝りたくても、そんなに優しくされると逆に謝れなくなっちゃうのに。



「ありがとう…ござい…ます…。落ち着い…たら…連…絡…します」




これ以上一緒にいたら、また泣きそうになる。

改めてお礼を言い、泣き顔を見られる前に家の中へ入ろうとすると



「エマッ…」



突然、右腕を掴んで止められた。



「……っ…?」

「……………。」



強く握ったまま、何も言わない彼。

微かに震える唇。

そして再び携帯を打ち込み、私に見せてきた。





『今日、僕が伝えた言葉に偽りはない』







それは恐らくさっき伝えられた…あの言葉。



「…あまみっ…や…く…」



手を放され、そのまま強く背中を押された。






「悪い。これ以上君の傍にいると、馬鹿な行動に走り兼ねない。早く家に入ってくれ…」




小さく呟いた独り言はエマの耳には届かない。


彼に背中を押されるがまま、彼女は家の中へ入った。












全く…いつから僕はこんなに脆くなってしまったのだろうか。

たったこれだけで頭がおかしくなりそうだ。

少しの自分勝手な考えや行動が彼女を傷つけ兼ねない。


そんな事、考えなくても頭ではわかりきっている。

それなのに…



「はぁ」


出るのは小さなため息だ。

腕時計の針を見ると、丁度8時をさしている。



「そろそろいいか」


呟き、雨宮は再び歩き出した。


こんな所で立ち止まっている場合じゃない。

僕にはまだまだやらなければならない仕事が残っている。


気合いを入れるために眼鏡を親指で押し上げ、夜の暗い道を早歩きで進んだ。


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