21
……………
エマを自宅まで送り届けた後、雨宮は再び電車に乗った。
向かう先は自分の住んでいるマンション。
20分程で電車を降り、ここから自宅までは歩いてそう遠くない。
外は暗いが慣れた道でもあり、すぐに建物へ到着。
そして誰もいない夜のエレベーターに乗り込む。
自室の部屋番号は803号室。8階だ。
しかしエレベーターで彼が押したボタンの数字は「9」。
ひとつ上の階。
この階に向かう時の理由は、いつも大抵決まっている。
美空の部屋に向かう時だ。
コンコン。
『903号室』
その扉をノックすると、男は隠れる事なくすぐに出てきた。
「ミヤ君…」
普段よりやつれた印象の美空七音。
この部屋の主だ。
若干猫背気味の彼を見ながら声をかける。
「頭は冷えたか?」
「っ…。エマちゃんは…?」
「見つけて僕が家まで送った。少し話がしたい。入るぞ」
家主の許可も得ず、雨宮は勝手に部屋に押し入ってきた。
いつもと変わらない散らかった部屋。
普段なら「汚い」とか「片付けろ」とか母親のようにしつこく言ってくるくせに。
今日は何も小言を言わずにリビングに入ってソファーに腰掛けた。
「どうした?座れ」
「…ん…あぁ」
随分と元気がない美空にはいつもの自信満々なオーラも感じられない。
人前でふんぞり返っていた頃とは別人のようだ。
彼も自分の向かい側のソファーに座ったと同時に、有無を言わせず本題を切り出す。
「お前もわかっている通り、僕達は現在、今まで芸能活動を行ってきて最も危機的状況に立たされている。
それは僕も他のメンバーだって痛い程わかっている。
このままではドロップスに全ての立場を奪われ、人々からも忘れられ、メディアから姿を消すのも時間の問題だろう」
「…………。」
雨宮の言葉を重く受け止める美空。
彼の目は夕方の恐ろしい目つきではない、同業者としての真面目な顔。
いつもの「ミヤ君」の顔。
「そんな事…僕だってわかってるよ。だけど…」
「ならば逆に訊く。今僕達がしなければならない事は、他人に当たってそのストレスを発散する事か?」
「っ…」
「そうじゃない事くらい、冷静に考えればお前だってわかっているだろ」
ため息混じりに腕を組む雨宮に、何も言い返せずに黙ってしまう美空。
わかっている。
そんな事とっくにわかっているけど、じゃぁどうすりゃいいっての…
「今、何をすればいいのかわからないのなら、お前の原点に戻れ」
頭の中が問題でいっぱいになっている中、まるでそれを見透かすような彼の言葉に
美空は俯いていた顔を上げた。
「原点?」
「あぁ。最初にアメリカに来た日。僕達は皆無謀だとハナから諦めていた。でも、お前だけは無駄にやる気に満ち溢れていただろ。その理由…自分でなんと言ったか覚えているか?」
「………ッ…」
忘れかけていた記憶がその言葉によって、まるで映画のワンシーンのように思い出される。
日本なんかよりずっとずっと広くて、人の数も人種も何もかもが桁違いのこの国。
僕が才能を見出して、無理やり日本から一緒に連れてきた4人は
最初はそれはそれは「無理に決まっている」の一点張りだった。
しかし当時の僕に、そんな仲間の声は全く聞こえなかった。
僕がここに来たのはひとつの大きな目的…野望に近いものがあったから。
それは「この場所で人気者になりたい」とか「ナンバーワンになりたい」とか、そんなちっぽけでくだらない目標なんかじゃなくて。
*****
「ねぇ〜、ナオ君。本当にここでやるつもりぃ?僕達まだ高校生だよぉ」
「そうっすよ。日本で活動してる方が、まぁ少しは顔が知られてるし…」
「もーう!ユキもヒーちゃんもスケールがちっちゃい!僕は別に顔を知られたくてこの場所に来たんじゃないし!」
「えぇ〜?じゃぁ、何しに来たのさぁ。もしかして観光〜?」
「違ーう!!!」
僕は確かにその時、恥じらいもなく着いたばかりの空港で声高らかに言い放った。
その言葉が…
*****
「ひとりでも多くの人に自分達の歌を聴いてもらい、笑顔になって欲しい」
「…………。」
思い出し呟いた美空の顔を、雨宮はソファーに座ったままじっと見つめる。
「お前は歌の素晴らしさを誰よりも一番よくわかっている。
良い曲を聴けば、どんな暗い気持ちの人でも多少たりと気持ちが軽くなる。
それを日本という狭い国だけに留めてしまうのはもったいない。
だからこんな色んな国の人が集まるアメリカまで来て、ひとりでも多くの人に自分達の歌を聴かせる。
認知度も何もない、出端のお前の目標はただそれだけだった」
「…………。」
「確かに運良く芸能界でも人気が上がり、メディアに多く出演させてもらう事によって、僕達の歌を聴いてくれる人数は各段に増えた。
しかし、CDの売上枚数やメディアの露出が全てかと言われれば、それは違うだろう。
僕達の本来の目的は『この人種も人の数も、日本なんかよりずっと多くて広いこの場所で良曲を作り、それを歌う事』
たったひとりでも僕達の歌を聴いて笑顔になってくれる人がいるのなら、その一瞬の為だけに何日も何十日もかけて曲を作り声が枯れるまで歌い続ける。
少なくとも、僕はそう思っている。
お前はそうじゃないのか?」
「…………。」
そう。
それは誰でもない、この僕が最初に言い放った台詞。
初めは何もないゼロからのスタートだったのだ。
それがいつの間にか、メディア出演番組の数、曲の売上金額、数字で見えてしまう結果に大きく心が傾いてしまい
ミヤ君に言われる今日の今日まで忘れてしまっていた。
再び俯く美空を横目に、雨宮は言葉を続ける。
「エマは今、良曲を作る為、weather lifeには欠かせない存在になっている。実際、彼女のおかげでいくつものヒット曲も生まれ、我々も何度も助けられてきた」
「…………。」
「彼女はお前が才能を見込んでスカウトした逸材だろ?殻に閉じこもっていた彼女の心をこじ開けたのも間違いなくお前だ。
お前はエマに対して、『何故聞こえないのか』など本気で思っているのか?」
「それはっ…!思ってないよ…」
声のボリュームが自然と上がり、そして下がる。
そんな事、思うはずなんて本当にないから。
素で出てしまった弱気な言い方に、雨宮の表情が一瞬だけ柔らかくなった。
「あぁ。皆それはわかってる。奏も響介もクラウディも。腹が立った気持ちもわかるが、それは一時的に感情が高ぶって発言してしまったに過ぎない」
「…………。」
「しかし、彼女は今深く傷ついている。恐らく一番信頼していたお前に、最も言われたくなかった言葉を言われ。
申し訳ないが彼女を傷つけた事に関してだけは、僕はお前を許すつもりはない」
「……ッ…」
彼の言葉がチクリと胸を刺す。
ふとミヤ君の顔が、また夕方と同じ顔に見えた。
「まぁ…元はと言えばドロップスの奴らが全ての根源なのだから、お前だってある意味被害者なんだ。それはわかっている」
「ミヤ君…」
「とにかく。weather lifeをどうするか、エマにこのまま続けてもらうか等…今後の事はリーダーであるお前が決めろ。
ここで音楽活動を続けるも結構、やめて日本へ帰るも結構。メンバーである僕達はお前の指示に従う。
話は以上だ」
立ち上がるミヤ君を見上げ、感じた事がある。
やっぱり彼は、同い年なのに僕よりも遥かに大人だ。
こんな時でも冷静で、物事を客観的に捉える事が出来る。
それなのに…
この先どうしていくかは…僕が決める。
僕の決断で…メンバーやエマちゃん、スタッフや関係者の未来が大きく変わるんだ。
その重大さに気がつき、突然精神に大きな重りがずしりとのしかかった。
恐ろしく押し潰されそうな重圧。
黙って考え込んでしまう美空の顔を見て、雨宮は踵を返す。
「…………。」
ガチャン…
彼はそのまま、何も言い残さずに散らかった部屋を後にした。
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