23
……………
「七音。音が外れている。始めからやり直しだ」
「…ッ。ご、ごめん」
音合わせ部屋での練習中、雨宮に注意されて美空は素直に謝った。
あの絶対音感を持った彼が、こんな素人のようなミスをするなんて。
それも今日だけで既に5回目だ。
普段は周りに指示を出す側の美空が逆に怒られている姿など、なかなか見られる光景ではない。
その理由は、言われなくても全員がわかっていた。
「はぁ…。今日はこのくらいにしておこう」
「え?もういいのぉ?」
「たまには息抜きも必要だ。昨日の今日だし、それぞれ気持ちがひとつに揃っていない」
雨宮がそう切り出したのは、まだ練習を始めて30分しか経っていない時だった。
普段は1時間以上は必ず続くから、なんとなく物足りない気がするが、美空の調子を見ても今回は確かにやむを得ない。
指示を出した彼は、ギターをケースに戻しながら言った。
「今日はもう解散だ。また明日、もう一度仕切り直そう」
「はーい」
「…………。」
なんだか普段より何倍も重い部屋の空気。
考えなくても僕のせいだな。
こんなにミヤ君達に迷惑かけっぱなしで、よくリーダーなんかやってこれたもんだ。
色々考えてると集中出来なくて音も外しまくり。
今まで音楽をやってる時は、それ以外何も考えられなかったはずなのに。
なんだか自分が情けなくなってきて、それでもタイミングがわからなくて謝罪の言葉が口から出てこない。
仕方なく全員が切り上げたと同時に、僕も事務所を出た。
「はぁ…」
自宅にも帰りたくなくて街をフラフラ歩く。
所々でドロップスの宣伝してあるポスターや電光掲示板を見つけるが、なんだかもう怒る事さえ疲れてきた。
久しぶりに可愛い女の子でも見つけてナンパしようかな。
そう思って辺りを見回す。
好みのタイプの女性は何人かいる。
僕好みの派手でチャラついた女の子や、肉付きが良いグラマラスな女性。
しかし、その人達を見ても以前のようにモチベーションが上がらないのだ。
何度も頭によぎるのは、僕の理想のタイプとはかけ離れた「地味で無口な女の子」
昔だったらあんな子…相手にしなくてもなんにも思わなかったのに。
彼女を傷つけた事実を思い出した瞬間に、僕の中に酷い罪悪感が再び押し寄せてきた。
「あもぅ…weather lifeの事もあるのに、なんでこんな次々と悩みが増えてくんだよー…」
街中をブツブツひとりで呟きながら歩く姿に、すれ違う通行人からチラッと見られる。
しかしそんな事にも気づかず行く宛もないまま、ただ無意識に足だけを動かした。
「大体なんなんだよ、許さないって…。僕とエマちゃんの問題に、なんでミヤ君が………っ」
そこでやっと長い独り言が途切れる。
風に流されるまま歩いていた美空は、いつの間にかひとつのカフェに辿り着いていた。
ここはエマがよく通っていたカフェ。
ふたりで詩を考えたり、おしゃべりをした場所。
意識していたわけじゃないのに、足は勝手にここへ来てしまったのだ。
「…………。」
引き寄せられるように階段を上がる美空。
どうせ真っ直ぐ家に戻るつもりもない。
自然と手が扉の取っ手を握った。
カランカラン!
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
嗅ぎ慣れた木材の香りにスッキリとした店内。
出てきた若い男性の店員に「はい」と答えた。
「お好きな席へどうぞ」
「………。」
店内を見渡すが、どうやら彼女の姿はないようだ。
僕はゆっくりとした足取りでひとつの席に座る。
ここは初めてエマちゃんとふたりで詩を作った、部屋の一番隅っこの席。
彼女がweather lifeの仲間に入る為に、ミヤ君から課題を与えられて…
それでお互い意見を出し合って詩を書いてたっけ?
結局、ミヤ君に呼び出されて途中で僕は彼女を置いて先に帰っちゃったけど。
出てきたコーヒーは凄く苦いから、ミルクや砂糖を山盛り入れる。
懐かしいな…あの頃。
今考えれば、なんだか昨日の出来事みたいに思える。
あの頃と同じシチュエーションなのに…
肝心のエマちゃんがいなきゃ、全然意味ないのにな。
おもむろに持っていた鞄の中に手を入れ、何かを取り出す。
それは4つ折りにされた数枚の紙の束。
少し考えた後、丁寧にそれを広げた。
【七色の音】
彼女が初めて考えてくれた詩だ。
これを貰った時は本当に嬉しくて、楽譜に歌詞を写しても捨てられなくて。
ノートから綺麗に破って常に鞄の中に入れていた。
僕にとってはお守りのような存在。
きっとこの場所で頭をフル回転させ、無我夢中にペンを動かして書いていたんだろうな。
その姿が頭に浮かんで、そして昨日彼女に言った言葉を思い出し、ますます罪悪感に駆られる。
―なんで聞こえないの?――――……
「はぁ…もぉやだ…」
ますます気分が落ち込み、机に突っ伏してその状態で盛大にため息をついた。
コツッ…
コツッ…
コツッ…
背後から聞こえる足音。
特に気にする様子もなく、机に突っ伏したまま。
コツッ…
コツッ…
さらに足音が近くなる。
なんだ?誰か…こっちに近づいて…
そして
トントン。
「…ん?」
軽く肩を叩かれて振り返ると
『こんにちは』
「ウッワ!ディ!?なんでこんな所にいるの!?」
その足音の正体。
背後に立っていたのは、同じバンドメンバードラム担当のクラウディ・メロディアスだった。
携帯に文字を打ち、ニコッと笑うその顔に美空も口を開けたまま。
『はは。今日は逆に君がひとりぼっちなんだね』
「逆に?なんの話?」
『いや、こっちの話』
珍しくクラウディが「言葉」を伝えてくる。
文字でだけど。
彼は僕に何の断りもなく、荷物を置いて目の前の席に腰掛けた。
そういえばディはこのカフェの常連だったっけ?
まぁいいや。
ひとりで絶望してるより、誰かと一緒にいた方が今は気が紛れる。
「ねぇ…ディ。僕、最低だよね」
「………。」
唐突に出てきた弱音。
美空はそのまま、再び組んだ腕に顎を乗せる形で机に伏せた。
「ムシャクシャしてたんだ。今まで僕達、人気があって当然って思ってたから。
その時は何も考えられなくて。ただただムカついて、でもドロップスには対抗出来なくて。
怒りの矛先を自分じゃない別の誰かに向ける事で、何とか自分を保ってた。
今回発覚したエマちゃんのミスだって、元々は僕が悪いってわかってたのに気が動転して…
『なんで聞こえないの?』なんて、今まで一度も考えた事なかったのに。
気づいたら勢いに任せて、心にもない事言っちゃってたんだ。
今ではめちゃくちゃ後悔してる。
でも謝りたくても、格好悪くて顔も合わせられない…」
「…………。」
「ねぇディ。どうすればいいと思う?」
彼なら…僕の情けない話を真面目に聞いてくれる気がした。
こんな格好悪い台詞、正直ミヤ君には言えない。
でもこの人なら。
自然と言葉が出てきていた。
すると…
「フフッ」
その言葉を聞いたクラウディが珍しく声に出して笑い、口の端が少しつり上がった。
…え。何?その反応。
「ちょっと、ディ?僕は真剣に相談してるんだけど」
『うん。やっと弱みを見せて相談してくれた事が嬉しいんだよ』
「……っ…」
携帯の文字で伝えられた言葉に瞳孔が開く。
「弱み…?」
「………。」
父親のような柔らかい笑みを浮かべて頷いた瞬間、パーマがかった髪がふわりと揺れた。
彼は待ってくれてたんだ。
いつまでもプライドに負けてぶすくれたままの僕が、自分の素直な気持ちを他人に打ち明けてくれる時を。
「…ご、ごめん」
ディにはミヤ君みたいに文句も言えなくて、咄嗟に目を逸らして謝る。
彼はまだ微笑んだ表情を見せたまま。
そして僕の手元に置いていた一枚の紙を取った。
それはエマちゃんが初めて作ってくれた歌。
七色の音の詩が書かれた紙だ。
「…ディ?」
彼は胸ポケットから取り出したペンを握って、その詩の上に何やらメッセージを書き込み始める。
美空が呆然と待っていると、書き終えたその紙を相手が読みやすいように向きを変えて差し出してくれた。
こんな所にまで来て、一体自分に何を伝えたかったん…
『君には歌しかないだろう?』
「……っ…」
詩の上に書かれた文字を目で辿った。
美空は言葉を詰まらせ、そしてもう一度クラウディの顔を見る。
彼の表情は、とても自分達のグループが解散近くまで追い詰められているようには見えない程堂々としていた。
―メンバーである僕達は、お前の指示に従う――…
そう僕に言ったミヤ君と同じ顔だ。
そしてクラウディから貰ったメッセージの下。
七色の音の詩に、自然と視線が移った。
(でも大丈夫だよ。
なんにも心配ない。
だって僕には歌があるから。
きっとまた明るい赤に戻れるよね。)
「……………。」
無意識に手に力が入る。
これはエマちゃんが僕の姿を見て、イメージを働かせて書いてくれた詩。
僕には歌しかない。
彼女には聞こえなくても、僕達ならそれが歌える。
本来の目的は、この広い場所で僕達の歌を聴いてもらう事。
そしてそれでたったひとりでも笑顔になれるのなら、僕達はその一瞬の為に声が枯れるまで歌う。
たったひとりの為に。
ガチャン!!
思わず立ち上がった途端に、その反動で椅子が後ろに倒れた。
「ディっ…僕さ…」
目を見てコクリと頷く彼。
多分、僕が考えてる事もこの人には全部お見通しなんだ。
こんなどうしようもない僕だけど、それでも信じて付いて来てくれる仲間がいる。
ミヤ君もユキもヒーちゃんも…
皆、今の判断を…全部僕に委ねてくれている。
それなら僕は…
今やるべき事を全力でやるしかない。
『大丈夫』
声になって出てはこないけど。
ディの顔は、まるでそう言っているように僕には見えた。
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