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……………
「…ごちそう…さま」
『あら?もう食べないの?』
お皿に残った野菜やお肉を見て、母親が手話で語りかけてきた。
「うん…。あん…まり……お腹…空いてない…」
「………。」
心配そうな顔で見つめる母。
随分前から娘のエマの様子がおかしいのだ。
あの大雨が降った日の夜。
見慣れない服で帰ってきた娘の顔は憔悴しきっていたようで、何があったのか訊いても答えなかった。
その日以降、元々大人しい子だったがここ最近はますます口数が減ってしまい、とても悩んでいるように見えた。
学校へは真面目に通ってるみたいだから、多分あの場所で何かがあったんだと思うけれど。
晩御飯の皿を片付けている娘に、母親は刺激しないようゆっくり問いかけてみた。
『最近、何かあった?weather lifeの事務所にも行ってないし、ケンカでもしたの?』
「……ッ…違う…」
心配かけまいと首を横に振るが、何かがあった事は親にはすぐにわかる。
昔から何かあると「何もない」と答えるのが口癖の娘。
私達を心配させないようにと思っているのだろうが、その言葉が何かあった事を証明する一番の証拠だった。
「エマ…」
「お風呂…入る…ね…」
食器類を流しに置いた後、エマはすぐに部屋を出て行った。
「エマの奴、何かあったのか?」
そこでソファーに座ってテレビを観ていた父親が話しかける。
なんだかんだで、ずっと娘の事を見ていたようだ。
「わからないわ。多分weather lifeの事務所で何かあったんだと思うけど」
「うむ」
「やっぱり耳の聞こえない体で、あんな大きな事務所に通わせるのは無理があったのかしらね。
向こうに事情を聞きに行こうかと思ったけど、あの子も17じゃない?親が出ていくのもどうかと思って…」
「…そうだな」
呟き、そして新聞を広げる父親。
無口な人だけど、可愛い娘の事を恐らくこの人も心配している。
現に広げている新聞も、普段は全く見ないアイドル特集のページ。
読んでいるフリをしているだけで、頭の中では全然違う内容を考えているなんてまるわかりだ。
「まぁ…今はそっとしておいてやろう。エマももう大人なんだ。もう少し、様子を見てやろう」
「そうね。はぁ〜…一時期はweather lifeの誰かさんとデートにも行ってたみたいだし、楽しんで事務所に通ってるのかと思ってたのになぁ…」
「ゴホッゴホッ!デ、デートだと!?どいつだ!?オイ、どいつなんだソイツは!!」
「お父さん、教えたらその子を殴りに行っちゃうでしょ(笑)教えない〜」
……………
ジャー…
温かいシャワーのお湯が体を打ちつける。
あの日から1ヶ月以上が経ち、事務所へ行かなくなった私を両親もそろそろ心配している。
雨宮君からとりあえず2ヶ月のお休みを貰った連絡があったけど、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
辞めるなら辞めるで早めにキッパリ言わないといけないし。
どうするか早く決めなければ、いつまでも家にこもって逃げている状況が一番周りに迷惑をかける。
でも…
どういう顔で事務所に行けばいいんだろう。
行ったら行ったで、七音君からまた嫌な顔をされるかもしれない。
それに…まだあの雨宮君の言葉が頭から離れなくて、もう悩みが多すぎて訳がわからないよ…
―僕の方が君を大切に出来る――…
彼にいきなり後ろから抱き締められた。
肌の温もりや耳にかかった吐息の感覚がリアルに頭の中に残っていて、まだドキドキしてる。
今まで七音君と会う度に感じていた鼓動。
雨宮君に対して体がこんなに反応をした事が初めてだから、自分でも動揺が隠せない。
七音君に抱きつかれたり手を握られたりした事は何度かあったけど、それは遊び半分だって初めからわかってたし、彼にとってそれはただの「スキンシップ」
私だけじゃなく、誰にでもやっている。
だけど、雨宮君はそうじゃない。
少なくとも私の知ってる彼は、人一倍真面目。
悪ふざけで人に抱きついたりするような性格じゃない。
普段は冗談も全く言わないような人が…
「………ッ…////」
違う!
絶対ありえないっ…
色んな考えが頭を巡るが、もちろんそんなはずがないと頭を横に数回振る。
自惚れるのもいい加減にしなくちゃ。
彼は一流の芸能人。
少しの間一緒にいたからって、こんな地味で耳も聞こえない私の事なんて…
数分後、大きなため息をつきながら疲れた足取りで風呂場を出る。
パジャマに着替え髪も乾かさないままフラフラとリビングへ戻ると、自然とテーブルに視線が向かう。
置いていた私の携帯のランプが点滅していたのだ。
誰だろう。こんな時間に。
緑色の光はメールが来た合図。
タオルで濡れた髪を拭き、携帯を開いて中身を確認すると…
「…ッ」
FROM:七音君
件名:お願い
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明日のミュージックヘヴン、観て欲しいんだ。
詳しい事は番組の放送が終わってから、僕がエマちゃんの家に行くから。
その時に話す。
七音君からのメールだった。
彼の名前を見ただけでも、ドクンと心臓が大きく動く。
もしかして…まだ怒ってるのかな?
『エマ、お前彼氏とかいるのか?』
「ファッ!!?」
突然横から手書きで書いた紙を父親に見せられ、慌てて携帯を隠すエマ。
「どうした?そんなに驚いて。まさか…本当にいるのか!?」
「ごっ…ごめんっ……なさっ…ビックリして…!って…いうか…いないよッ!そんな…人…!」
唐突におかしな事を訊いてきた父親に、無意味に何度も首を横に振る。
そんな娘の反応に肩を撫で下ろす父親の姿。
『そうか。わかった』
「………っ…」
どうしたんだろう、いきなり。
…あ。
ふと、目に入ったのは父親が手に持っていた新聞紙だ。
「そうかそうか。うん。いないのか。うん。そうか…」
「お父……さん…。それ…貸して…」
「え?これか?お前新聞なんか読むのか?」
それを借り、真っ先に開くのはテレビ欄だ。
夜9時のミュージックヘヴン。
本当だ。ゲストに「weather life」と文字がある。
「…………。」
父親がソファーに戻った事を確認して、もう一度七音君からのメールを確認する。
…どうしていきなり、観て欲しいだなんて言うんだろう。
七音君。
怒ってないのかな…。
まだ彼の事を思い出すと若干手が震え、ゴクリと唾を飲み込む。
さすがに無視をするわけにもいかない。
とりあえず返事を送る事にした。
TO:七音君
件名:RE:お願い
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わかった。忘れずに観るね。
待ってます。
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