9
……………
「あー…疲れたぁ」
あ。思わず独り言が漏れてしまった。
本日の授業を終えたローラは、開放感からか学校出入口近くの自販機で滅多に飲まないコーラを買ってしまった。
この独り言が漏れたのはそれを買った直後。
まぁ誰も周りにいないし、気にしなくてい……近くに野球クラブの軍団がいた。
恥ずかしいからそそくさと退散。
炭酸さえ飲む機会が少ないから、久しぶりのシュワシュワを味わって校門をくぐる。
お昼の2時過ぎ。
今日は半勤の日だったので、これからはローラにとって自由時間だ。
ホテルに帰って休むも結構、街で買い物をするも結構。
「…っ」
ペットボトルを握ったまま、頭にある人の言葉が蘇ってきた。
―仕事以外の外出は出来るだけ控えろ…――
そういえば、バレルさんにあんな事言われたんだった。
…どうしよう。
未だに彼がどうしてそんな忠告をしてきたのかはわからないけど。
だけど彼からそう言われた以上、街へ買い物にはあんまり行かない方がいいのかな。
お腹減ったしどこかでランチにしようかと思ったけど、やっぱりホテルの中で食べようかな。
そんな時だった。
ピロロロロ!
あ、電話だ。
誰だろう、平日のこんな昼間に。
鳴り出した携帯電話をバッグから取り出す。
あれ?
バレルさんからだ。
電話がかかってくる事自体が珍しいのに…仕事中にかけてくるなんてもはや初めてに等しい。
道行く人の邪魔にならないように道路の端に寄り、通話ボタンを押して電話に出る。
「はい、ローラです」
『俺だ』
「バレルさん、どうしたんですか?こんな時間に」
『今何してる?』
「え…今ですか?今日はお仕事がお昼までだったので、ホテルまで帰る所でした」
『場所は?』
「場所…ですか?えっと…ホワイトワイトっていうクリーニング屋さんの近くです」
答えた途端、ガチャン!と何か扉のようなものを閉める音が聞こえたが…
―バレル!お前、会計を済ませてから休憩しろと言っただろうが!―――…
『チッ』
中年の男性の怒鳴り声と、彼が舌打ちする声が同時に電話口から聞こえた。
『俺の職場まで来い。すぐだ』
「えっ。今からですか?」
『出来るだけ人通りの多い道で来い』
「は…ぁ…」
気がつくと電話はもう切れてしまっていた。
ますます変な彼。
職場に来いなんて言われたのも、もちろん初めてだ。
忘れ物をしたとか…そんな単純な話ならいいけど、バレルさんがそんな事で一々電話なんてしてくるわけないよね。
それに人通りの多い道で来いなんて言われたのも気になる。
とりあえずこの通りを進んで、あのファミリーレストランまで行けばいいのかな?
「どうしちゃったんだろ。本当に…」
胸の中に何とも言えない不安を抱きながら、ローラは携帯を仕舞い再び歩き出した。
道行く人達の中に特に変わった様子の人は見当たらない。
道路を右に曲がり、信号を渡って…
見慣れた建物やすれ違う人をちょこちょこと目で追いながら。
15分程歩いた所で、ファミリーレストラン「ジョイント」の看板が見えてきた。
…表から入っていいのかな?
でも別にご飯を食べにきたんじゃないし。いや、お腹は減ってるけど。
悩んだ挙げ句、裏口にまわってみると
「あ、バレルさん」
裏口の扉の前。
彼はウェイター姿のまま、立って私を待っていたようだ。
「突然どうしたんですか?」
「いいから来い」
「え」
全開になった扉の中に入り、私も訳がわからないまま後に続く。
ここはロッカールームみたい。
電気はついていないが、開いた扉から入ってくる太陽の光のおかげであまり暗いとは感じない。
それにしても…
「バレルさん…?あの…」
「変なモンが入ってねぇか、持ち物の中を確認しろ」
「は?あ、はい…」
状況がいまいち掴めない状態で、所持していたバッグの中を見てみる。
ハンカチ、手帳、財布、化粧道具…特におかしな物は入っていない。
「入ってないです」
「体には何も付いてねぇか?」
「体…?付いてないと思いますけど」
足元を見た後、自分で背中など届く限り触ってみる。
「知らない奴に声をかけられたりは?」
「いいえ」
何これ?
なんだか尋問されているみたい。
「戻ったら部屋やホテルの周りにカメラやおかしなモンがねぇか調べろ。わかったか」
「どうしたんですか?バレルさん」
さすがにここまでくると、質問をしなければこちらの気が済まない。
ローラは刺激しないよう笑いながらバレルに問いただすが
「…………。」
彼はピクリとも笑わず何も答えない。
「バレ…」
「今は黙って言う事を聞け」
「っ…」
やっぱり…何も答えてくれないんだ。
彼女の顔からもついに笑顔が消え、寂しそうな表情に変わった。
こちらに帰ってきてからの彼は、明らかにいつものバレルさんじゃない。
誰が見たってそうなのに。
ザッ
ザッ
ザッ
「…?」
沈黙が続く中、全開になった扉の向こうから微かな音が聞こえてきた。
これは…人の足音?
この店の人だろうか。
それは私にもはっきり聞こえる程、草を踏みつけながら歩く大きな足音になっていく。
目の前の彼ももちろん気づいているみたいで、視線だけを外へ向けている。
ザッ
ザッ
ザッ
ますます大きくなって近づいてくる足音。
不気味なリズムに意味もなく胸がざわついた。
「誰か、こっちに来るみたいで…」
ガッ!!
「…ッ!?」
彼は突然私の後ろに手を伸ばし、ロッカーの扉を開けた後、
もう片方の手で肩を掴んできた。
そして
「ッ!!?」
ガチャン!!
体に衝撃が走り
そのまま強い力で体を押され、狭いロッカーの中に無理やりひとり押し込まれてしまった。
すぐに彼は扉を閉めてしまい、私の視界は真っ暗に。
それは2〜3秒の内に全てが終わってしまう程の一瞬の動作。
何も考えていなかった私にとっては、状況さえ掴めずにただ口を開けている事しか出来なかった。
ビッ…ビックリしたぁ…
驚きのあまり、思わず無意識に口を手で抑えてしまう。
次の瞬間だった。
「あれれ〜?バレル君、今何か隠さなかったぁ?」
外からバレルさんではない、別の男の人の声が聞こえてきた。
どこかで聞いた事のある気がする声。
真っ暗闇の中、ドキドキする心臓の音を体で感じながら必死に耳を澄ませる。
「んー?ねぇ、バレル君。そのロッカーの間からはみ出てるのは何かなぁ?」
間からはみ出ているの…?
ゆっくり自分の服を手探りで探ると、それが何なのかすぐにわかった。
いけなっ…!
私のスカートがロッカーに入りきらずに外にはみ出ちゃってる!
コツッ
コツッ
コツッ
近づいてくる足音。
ど…どうしよう!
このままじゃ見つかっちゃう!!
「俺に話があんだろ。こっちも仕事で忙しんだ、さっさと済ませろ」
バレルさんの声と共に歩き出す音。
やってきた男の人も彼の後に付いて外へ出た様子。
よ…よかった。
ひとまず助かったけど…何なの、今の人。
頭の中が真っ白になり、恐怖のあまり一瞬だが死を覚悟してしまった。
とにかく、今は事態がおさまるまでこのままじっとするしかない。
・
・
・
・
一時して再び足音が聞こえる。
「…っ」
恐怖を堪えて、目をギュッと瞑り…
ガチャン。
「出ろ」
「はぁっ…」
視界に光が戻ったと同時に、立っていたバレルさんの姿が目に映った。
息を止めていたらしく、彼の顔を見た瞬間よほど安心したのか、大きな息を吐いてローラは狭いロッカーから出てきた。
「はぁ…はぁ……誰ですか…今の?」
「…。知り合いだ」
「じゃぁ、なんで私を隠す必要があるんですか!?」
恐怖と興奮のあまり強気で問いただしたが、私がどれだけ必死な顔をしても彼は顔色さえ変わらない。
答えてくださいよ、バレルさんっ…
ここまできて、まだ「何もない」とシラを切るつもりですか!?
「答え…」
「バレル!いつまで休んでんだ!もう休み時間はとっくに終わっとるだろ!!」
「ッ…」
ホールから聞こえる枯れ気味の店長の大声にローラの口も止まる。
詳しく話を聞きたくても、彼は仕事に戻らなければならない。
「…………。」
バレルは何も言わないまま、彼女を閉じ込めていた自分のロッカーの中に手を入れる。
そこから黒い財布を取り出して
お札を取り出し、それを彼女に差し出した。
「これを使ってタクシーで帰れ」
「…っ」
「ホテルの入口で降りろ。ケチって手前で降りたりすんじゃねぇぞ」
「バレルさん…」
やっぱり…やっぱりおかしいよ。
私が頼りない事はわかってるけど、どうして誰にも相談してくれないの?
「そんな…自分のお金で帰ります」
「黙れ」
「……っ」
彼の気迫に負けて渋々そのお金を受け取る。
悲しい顔でギュッとお札を握る彼女を、バレルはただただ無表情に見下ろした。
「今後外を出歩く時は、極力公共の乗り物を使うか人通りの多い道を歩け。それが無理なら電話しろ。
絶対ぇひとりで歩き回んじゃねーぞ」
「…わかりました」
小さい返事で「失礼します」とお辞儀をする。
数分後。
彼女がファミレスの前でタクシーに乗った事を確認した後
バレルは自分の携帯に送られてきたメールをもう一度見返した。
メール本文には何も記載がない。
アドレスも見知らぬもの。
しかしそれには、ひとつだけ添付されている写真があった。
ローラの写真。
しかも一緒に写っている店の電子掲示板の日付が一昨日。
彼女がこの出張でこちらに帰ってきた後に撮られた新しい写真だ。
道を歩いている姿を後ろから撮られている。
「…………。」
バレルは黙って携帯を閉じた後、騒がしいホール内へ戻って行った。
- 691 -
*PREV NEXT#
ページ: