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……………
一時は騒然となったこのハイマリンコンツェルン裏側の敷地だが、
組織の全員が警察に身柄を拘束され、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
彼らを確保した後、警察官のひとりがサラとビッキーに近づく。
「負傷者を救急車で運びます。怪我をされた方は乗ってください」
「あっ…そうそう、バレル君!」
最も重傷なのはもちろん彼だ。
ビッキーはバレルを探すため、右へ左へ頭を振る。
「怪我をされている方がいるんですね?」
「はいっ…でも、どこに……あっ」
こちらへ歩いてくるひとりの男性。
先程までバレルの傷の応急処置を行っていたクラウディだ。
「あっ!クラウディ君!バレル君は!?救急車に乗せたいんだけど!」
「………。」
笑顔で手を横に振るクラウディ。
「えっ、なんで?早くちゃんと手当てを…」
「……ッ…」
ふと、サラの目にある光景が映る。
砂利道の上を裸足のまま走りだすローラの姿だ。
クラウディ君…。
君って子は…
「やっぱり後から私達が病院に連れて行くので大丈夫です」
「はぁっ?サラまで何を言って…フグッ!」
ビッキーは後ろからクラウディに口を塞がれる。
走る彼女の姿を目で追う事しか出来なかった。
自分がずっとずっと…恋い焦がれていた女性。
でも…これでいいんだ。
自分は初めから、貴方の支えになる事を約束した立場。
貴方の幸せが…自分の幸せなんだ。
これでやっと。
自分の役割はようやく終わる。
今は、今だけは…ふたりきりにさせてあげよう。
「ハァッ…!ハァッ…ハァッ…」
部屋から直接引っ張り出されたので、靴も何も履いていない。
素足が土で汚れても構わず、ローラはがむしゃらに走った。
向かうのは彼が連れて行かれた小屋の裏側。
リッキー君がバレルさんをその場所へ運ぶ所がハッキリ見えていた。
きっとそこに…ッ!
「バレルさんッ!!」
彼の姿は確かにそこにあった。
「ハァ……ハァ…ッ…グッ……」
「ッ…」
ローラの目に映ったのは
フラフラの足で壁伝いに必死に立ち上がっているその人の姿。
応急処置を施されたのか、あらゆる部分に包帯が巻いてあったり絆創膏が貼ってあるが
あれだけの酷い暴行を受けた後だ。
もちろん歩けるような状態ではない。
ローラは慌てて彼に近づく。
「バレルさん!無理しないで座っ…
……………ッ…」
ふと、自分の背中に腕が回る。
えっ…
ガシャァァンッ!!
そのまま重みに耐えられず、
背中が金網にぶつかり、それを伝い、地面に座り込んでしまった。
「バレッ…」
「…………。」
気がついた時には、彼の腕の中にいた。
押し倒すように体がのしかかってきたため、その衝撃に耐えられず、背中を金網に支えられて座り込む形で。
バレルは肩で大きく息をしながら、ただただ強くローラの体を抱き締める。
苦しくなってしまう程強く。
「バレル…さんッ…」
「ハァッ…ハァッ…ッ…ハァ…」
また…触れる事が出来た、彼が生きている温もり。
ローラは無意識に、汚れた手のままバレルの背中の服を掴んだ。
「バレルさん…ッ…どうしてこんなボロボロになるまで…」
「………。」
「正直に話してください。貴方がこんなにまで怪我をしていた理由って…」
「………。」
「どうして…殴られても反撃しなかったんですか?」
彼女も薄々感づいていた。
ある日を境に、バレルは普段より多くの傷を負って帰宅する事が増えた。
それは今回の件からではない。
それよりもずっとずっと前から。
彼の傷の数は異様な程。
まして普段はケンカで負け知らずの人が、毎回大量の傷を負うはずもない。
それなら理由はただひとつしかなかった。
殴られても、この人が殴り返さなかったから。
私がここへ無理やり連れて来られて、ようやく本気で戦おうとしていたが、
恐らくそれまではほぼ無抵抗。
その時のダメージも重なり、彼は100%の力が出せなかったのだろう。
「ずっと前から…わかっていました。そんな事。
でもその理由が私にはわからなくて…」
「……ハァ………ハァ…」
呼吸もだんだんと落ち着いてきて、それでも黙り込む彼。
やっぱり…何も教えてくれない。
バレルさんはここまできてもまだ、私に真実を話してくれな…
「やり直したかった」
「え…」
答えを聞かされた瞬間、
バレルは背中に回していた手をローラの頭に置いてグッと自分の方へ引き寄せた。
「全部…やり直したかった。
イチから……お前と」
「ッ…」
心臓がドクンと動く。
「俺は…今まであまりに多くの人を傷つけすぎた。
さっきの男だってそうだ。
俺がアイツの人生を狂わせた。
胸の中では人を傷つけて楽しいなんて…考えた事もなかったのに、もう当時は自分だけでは止められなかった。
闇雲に人を傷つけ、そして何度も後悔に溺れ
俺は最後は人に恨まれながら死んでいく」
「そんな事言わないでくだい!」
「お前と出会って…変わりたいと思ったんだ」
…私が…貴方を変えてみせます―………
「……ッ…」
蘇る…
銃で撃たれて入院している貴方へ、私が言った言葉。
バレルさん…
まさか…
抱き締める力がより一層強くなる。
「あの瞬間から…俺はお前とふたりで生きていきたいと思い始めた。
誰も傷つけず、くだらねぇ話をして、馬鹿みてぇに笑って、そんなありふれた人生を送りたいと…願ってしまったんだ」
「バレルさん…」
「馬鹿げてるのは自分でもわかっていた。そんな事、出来るわけがない。
こんな血と憎しみで汚れた俺が…」
「そんな事…っ…ありませ…」
「俺にはお前が眩しすぎるんだよ!煤v
「ッ…」
耳元で声を荒げるバレル。
その言葉にローラの瞳孔が開いた。
「こんな真っ暗な…闇のような世界で生きてきた俺にとって
お前はあまりに綺麗すぎる。
嘘も裏切りも、血も汚れも何も知らない。
こんなに汚い俺が触れていい存在じゃない。
そんな事は初めからわかっていた…。
わかっていたのに…
…それでも俺は変わりたいと思ったんだよ!煤v
「……ッ」
「もう…俺は人を殴らない。
傷つけた分、その分の罰を受ける。
もしそれで今までの罪が許されるのならば…
そう思った瞬間から…俺は人を殴れなくなってしまった」
話を聞いたローラの手が小刻みに震える。
信じられない…思ってもいなかった。
彼が「殴られ続けた理由」それは。
全部全部…私のため…?
「でも!もしそれでっ…バレルさんが死んでしまったらどうするんですかっ!?」
ローラの言葉に再び黙り込んでしまうバレル。
何も答えてくれない代わりに、手の力が緩くなってしまった。
「だが…結局は無意味だった」
「…ッ」
「変わりたいがために今までそうしてきたのに…
結局はお前を巻き込み、また危険な目に遭わせた。
俺にはもう、
お前の傍にいる資格はない…」
「何故それを貴方が決めるんですか!?」
「…ッ」
次はローラの方が大きな体を抱き締め、珍しくバレルは目を見開く。
「私はっ…私はバレルさんが会いたくないって言ってもまたお家に来ます!
来るなって言われても…
絶対にまた何回だって、しつこく通い続けます!」
「…………。」
「閉め出されたって平気です!
帰って来なかったら何時間だって待ちます!
私はっ…
それだけバレルさんの傍にいたいんです…」
「…………。」
涙ぐみながら必死に強気の言い方をする彼女に、バレルも何も言い返せない。
「危険な事は…初めからわかっています。
貴方の足手まといになる事だって…
でも私は…バレルさんが怪我をしたり、お腹を空かせて帰ってくるのなら…
手当ての準備をして、美味しい料理をたくさん作って…
貴方の帰りをずっとずっと待っていたいんです…」
「…………。」
非情と呼ばれた男の瞳が、ゆらゆらと不安定に揺れる。
「もう…ひとりで全部抱え込まないでください…。
周りの人を頼ってください。
何の力にもならないけど、私にだって何かあれば話してください。
お願いです。
バレルさん…
もう…孤独だって、思わないで…」
「……ッ…」
遠くに映るパトカーの赤い光。
誰も見ていない小屋の裏の陰で。
バレルは何も言わずに彼女の胸に頭を埋めた。
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