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……………
一昨日の焼き肉。
柔らかくて美味しかったなぁ。
そんな事を考えながら、エマは階段を一段ずつ上がっていた。
やってきたのはいつも通っているお気に入りのカフェ。
手にはバッグの他にノートブックも。
昨日は家の用事で何かとバタバタ忙しかったので久しぶりの休日だ。
今日もまたテラスでのんびり日記でも書こうかと、この店に足を運んでいた。
カランカラン!
「いらっしゃいませ」
私はすっかりここの常連になってしまったので、店員さんも顔を覚えてくれた様子。
もちろん、私の耳が聞こえない事もわかってくれている。
テラスのいつもの席が空いていたので腰掛けると、店員さんがメニューを持って来てくれた。
…たまには普段選ばない飲み物を頼んでみようかな。
タピオカジュースを指差すと店員さんはぺこりと頭を下げて戻っていく。
さてと…それじゃ何から書こうかな。
ノートブックを開いてペンを握る瞬間。
この時が私にとって一番ワクワクする時間だ。
言葉では上手く話せない頭の中にいっぱいある言葉を、この道具と自由に動かせる手ならどれだけでも表現出来る。
先日、weather lifeの皆で焼き肉を食べに行った事。
学校の宿題について。
お母さんと一緒に観てるドラマの内容。
こうやって文字にして書き留めていれば、後から読み返す楽しみも増える。
あとは何を書こうかな…
『エマちゃん、みーっけ!』
「…ッ!」
突然視界に携帯電話の画面が滑り込んできた。
下ばかり見て気づいていなかった私が驚いて顔を上げると、そこには私服姿の七音君が立っていた。
「なお…とく……びっくり…した…」
『この辺ブラブラしててさ!いるかなと思って来てみたらやっぱりいたから!』
早速、私の許可も取らずに向かい側の椅子に座る彼。
いつも制服姿だからか。
青シャツに白パンツ、ストールを巻いた私服姿になんとなく違和感を覚える。
「わ!何これ?珍しい物飲んでるね」
エマの飲んでいた飲み物を覗いて「タピオカ?」と独り言を呟いている。
「飲んで…いいよ」
「え、本当に?じゃぁ遠慮なく頂きまーす!」
エマの了解を得て、太めのストローを口に咥える。
私が使ってたの…気にしないのかな。
『ぶにぶにしてオモチみたい!面白い食感だね。美味しい(*^o^*)』
飲んだ感想を私に伝わるように文字にしてくれた。
『詩書いてたの?』
「ううん…日記…」
『見せて!』
「それは…恥ずかしい…から…嫌」
「えー、ケチ!」
七音君は私がここで寛いでいると、たまにどこからともなくフラッと現れる。
彼が突然現れて私を無理やりweather life事務所へ連れて行った日が懐かしい程、何度もこうやって向かい合わせに座って話をした。
昔は他人にこの時間を邪魔されてしまう事をあんまり良く思わなかったけど、何故かこの人は自然と受け入れる事が出来た。
それがどうしてなのかは、よくわからないけれど…
『僕も良いフレーズないか考えよっと!紙とペン貸して!』
こんな風に無邪気に笑って、壁を感じさせない彼の性格が…私には救いだったのかもしれない。
お互い悲しんだり、辛く苦しい時もたくさんあったけど
七音君の事はどうしても嫌いになれないんだ。
一番後ろのページを破り、予備に持ってきたペンと併せて彼に渡してあげた。
・
・
・
・
『エマちゃん!この歌詞良くない!?』
「…クルンテープ…マハーナ、コーン…アモーンラッタナ……………な、何…これ、呪文?」
『バンコクの正式名称』
「なんで…それを歌にしようと思ったの?」
「あー!七音じゃん!偶然!」
「…っ?」
ふたりで机に向かっている中、七音君の視線が動いて自然と私もそちらの方向を見た。
わ…綺麗な女の人がいる。
現れたのは背の高いモデル体型のふたりの女性。
美空に話しかけた方の人は高そうなブランド服を身にまとい、濃いメイクや盛った髪型の、まるでキャバクラにいそうな女性。
遊び慣れていそうだが、誰もが「美人」だと認めるルックスでエマは思わず目を奪われた。
「あ」
美空は立ち上がり、話しかけてきたその女性に近づいた。
「リーナちゃん、久しぶり」
「久しぶりじゃないわよぉ!この間、メール断られてリーナがどれだけ傷ついたと思ってるの!?」
甘えたな瞳とネイルが施された指で肩をつついてくる彼女に、美空は苦笑いを浮かべる。
「ははっ。ちょっと仕事が忙しくて手が離せなくてさ」
「もう!ねぇ、それより今からウチらとカラオケ行かない?」
「え?あぁ…今日も次曲の打ち合わせで忙しくてさ。無理かな」
「またぁ?七音最近いっつもそうじゃん!リーナと仕事どっちが大事だと思ってるの!?」
「そりゃどっちも大事だけど、これやんないとミヤ君に怒られちゃうからさ(笑)」
ぷんぷん怒る彼女を宥めていると、ふとリーナと呼ばれる女性の目にその人物は映った。
「…てかあれ誰?」
「え?仕事仲間だよ」
「本当にぃ?まさかリーナに黙って浮気してるんじゃないでしょうね!?」
「浮気って(笑)とにかく、また今度埋め合わせするから!今日はふたりで行ってきなよ」
何度か彼の言い分を聞き、女性達は諦めた様子。
どうやらこのまま引き上げていくようだ。
「ほんとに浮気したら許さないんだからね!」
「はいはい、また今度ね」
彼女達の姿が小さくなってから、美空は疲れたため息をついて独り言を漏らす。
「…浮気って。別に付き合ってないじゃん」
七音君と綺麗な女の人を「絵になる」なんて思いながら、私は眺めていた。
何を話していたのかは聞こえなかったけど、あの女の人は七音君を気に入ってるんだってすぐにわかって。
顔を向かい合わせて話す姿はまさに美男美女。
内心とても羨ましいと思った。
…私もあんな人を真似してみれば、もう少し七音君に女性として見てもらえるのかな。
似合うかどうか全然自信ないけれど。
数分して彼は私のテーブルに戻ってきた。
「よかったの…?今の…人…」
『別に気にしないで。続き考えよ』
「………。」
何故かエマが美空の顔をじっと見ている。
『どうしたの?』
「ううん…さっきの…人……綺麗…だったな…って…」
『そうかな』
「七音…くん…女の人…見る目が、肥えてるんだね。…お友達?」
『そんな事ないよ。まぁお友達…かな』
詩以外の話題で妙に食い付いてくるエマちゃんは珍しい。
それと同時に違和感があり、彼女の顔を覗き込んだ。
『エマちゃん、何かあった?』
「う…ううん。別に…」
『嘘ついた。言ってよ?』
続けざまに携帯の画面を見せてくる美空に対し、右に左に視線を泳がせ、エマはようやく観念した。
「あ…のね……私も…あんな女性に…なれたらって…思って…」
「え?」
その言葉にポロッと声が零れる。
「でも…私…あんまり…お金持ってないし……第一、顔が…地味だから、似合わない…なって(笑)」
冗談のつもりなのか、恥ずかしそうに笑うエマに彼は固まってしまっている。
「メイクとか…もっと勉強して…着る服とか……もう少し…拘った方が…」
『そのままでいいよ』
見せられた携帯の文字に顔を上げた。
「…っ」
『君はこのままがいい。僕は変わって欲しくない』
「七音…くん?」
なんとなく、さっきまでのヘラヘラした顔つきと違う。
その表情には少し焦りの感情も窺えた。
ブッー!ブッー!
一時、時が止まったようにお互いの顔を見つめ合っていたら、
その沈黙を破るように携帯のバイブが鳴り出した。
あ。これは私の携帯だ。
美空の顔を無意識だがすぐ近くで見ていた事に頬が熱くなり、エマは目を逸らして携帯を手に取る。
「メ…メールだ…」
「メール?」
「もし…かして、お母さ…んか…も……っ…」
携帯を開き中身を確認した途端、エマの表情が動かなくなった。
それと同時に言葉の語尾が小さくなる。
簡単にそれが母親からのメールでない事が予測出来た。
「エマちゃん…?」
「え…っ……や…。その…」
…落ち着きがなくなった。
返信もしてないのに携帯を閉じてしまい、「なんでもない」と呟く。
美空はその反応から、すぐに相手が誰なのか感づいてしまう。
『ミヤ君?』
「っ…」
びっくりした顔のまま、返事が返ってこない。
ほんと、わかりやすいよね。君。
「なんで……わか…った…の…?」
『なんとなく。なんて来たの?』
その言葉に躊躇いを見せたものの、手を差し出してくる美空に渋々エマは携帯を開いて渡した。
From:雨宮君
件名:無題
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前回貰った詩について打ち合わせがしたい。
短時間で終わらせる。
時間があれば今から事務所へ来れるか?
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雨宮らしい業務的なメールだ。
堅苦しくてわかりにくい、彼からのふたつの意味を持ったメッセージ。
美空の眉間に微かにシワが寄った。
「お仕事の…話…みたいだし…行った方が…いいのかなって…」
「………。」
「七音…君?」
黙り込んでしまう美空はそれを返し、再び自分の青色の携帯を手に取った。
『行かなくていいよ』
「えっ…でも…」
『時間があればでしょ?今は僕と一緒にいるじゃん』
「………。」
『休みの日まで仕事する必要ないよ〜。今日はふたりでイチャイチャしてよ!』
わかりやすくあっけらかんと笑う七音君は…
やはりなんだか無理して笑っているように見えた。
仕方なく彼の指示に従い、私は雨宮君に断りのメールを入れる事に。
To:雨宮君
件名:Re:無題
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ごめんなさい。
今日は用事があるので行けそうにありません。
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もちろん罪悪感も芽生えたけれど。
すぐに「忙しいのにすまない」と返事が返ってきた。
私は再びタピオカジュースを口に含み、今日一日は七音君とふたりで過ごす事を決めた。
ごめんね、雨宮君…。
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