6
……………
薄暗い部屋に夜の静けさが漂っている。
聞こえるのは人間の微かな呼吸と時計の秒針が動く音だけ。
彼女が眠りについて、一体どれくらいの時間が経っただろうか。
「ん…ぅ…」
寝返りを打ったと同時に、すっと意識が現実世界へ戻り始める。
あれ…
さっきまで夢を見ていたのに。
うっすら瞼を上げると私は見知らぬ部屋にいる。
見た事もないテーブル。テレビ。ライト。
でも荷物だけは私の物。
そっか…ここ、ホテルだったっけ。
「ふぁっ…ぁ…」
寝坊眼のまま起き上がり、青色の瞳を再び閉じて擦る。
カーテンの隙間から見える外の景色はまだ真っ暗。
携帯を開くと時間は2時。
起きるにはまだまだ早すぎる。
が…
「………。」
ぐしゃぐしゃになった金髪を直しながら、なんとなくスリッパを履いた。
「んぅ…」
重い腰を持ち上げ、グッと天井に向かって背伸び。
眠いはずなのに何故か体が起きろと言っている気がする。
頭がぽーっとして自分でもよくわからない。
慣れない場所に来て疲れたのだろうか。
なんとなく歩き出し、そして無意識にカーテンと窓を開けてみた。
月灯りが顔を照らし、白と黄色の中間くらいの淡い光が綺麗。
外は誰も歩いておらず、暗い夜の澄んだ空気。
涼しい外の風を体に浴びると、徐々に脳が目覚めてきた。
まぁこんな時間に起きる理由などないのだが、どうしてしまったんだろう私。
「…っ」
その瞬間、ふわりと嗅ぎ慣れた匂いがした。
これはニコチンの匂い。
サラはふと目を横にやると、タバコを握った左腕が隣の窓から外へ出ていた。
「…ナイジェル?」
「あ?サラ、まだ起きてたのか?」
姿は見えないけれど、聞こえてきた男の声。
まさかこんな時間に偶然彼がタバコを吸っているなんて思ってもいなかった。
「寝てたけど目が覚めちゃっただけ。リッキーは?」
「夢の中だよ。猫ちゃんの夢でも見てるんじゃねーか」
ナイジェルが首だけで後ろを向くと、背を向けて寝息を立てているリッキーの姿が映る。
こうやって見てると、アイツもまだまだガキだな。
軽く笑い、タバコの煙を外に向かってフウッと吐いた。
「猫ちゃんの夢ね…リッキーなら見てるかも。ナイジェルはどうしたの?眠れないの?」
「大人はこのくらいの時間まで起きてるもんなんだよ」
「ふふ。いつかどこかで聞いたような台詞ね」
目を擦り髪を触りながら、当時の事を思い出すサラ。
そういえば、このシチュエーションもあの時の状況に似ている。
あれはナイジェルが一時的に記憶喪失になってしまう直前。
妙に寝つけなくて私がベランダで外を眺めていると、どこからともなく彼はフラッと現れた。
あの時期は私のせいで彼が全ての記憶を失ってしまい、リッキーも傷つけ、そしてふたりの気持ちを痛い程思い知らされた。
辛く苦しい過去だったが、今となっては懐かしい思い出だ。
「俺、んな事言ったっけ?」
「何、忘れちゃったの?そういえば貴方あの時、壮大な物忘れをしてたからねぇ」
確信犯なのか、
ナイジェルのニヒルに笑う声だけが隣から聞こえる。
その顔は容易に想像がついた。
「まぁ、ナイジェルが物忘れ酷いのは今に始まった事じゃないけど」
「ケンカ売ってんのか?」
「本当の事でしょう」
軽くいじめるつもりで言ってやると少しの間が空く。
傷ついた?まさかね。なんて言葉を言おうとした瞬間。
再び彼の笑う声が聞こえた。
「覚えてるに決まってんだろ」
「…っ」
姿は見えないけれど、ふと目を横に向けてしまう。
同時にドクリと大きく心臓が動いた。
「んな心配しなくても、今はもう全部思い出してるよ」
「ナイジェル…」
「こんな所で大声じゃ言えねーあんな事やそんな事までしちまったしな」
「次は記憶喪失どころか、一生目覚めたくないみたいね…」
「怒んなって(笑)」
指をゴキゴキと鳴らす音に、返ってきたのは苦笑い。
彼はタバコの火を灰皿で消した。
その瞬間、香っていた貴方の煙と香りも切なく消えてしまう。
「さて…明日も早いし、そろそろベッドに入れよ。夜更かしはお肌の大敵だろ?お嬢さん」
幼い女の子に話しかけるような年上の男の口調。
彼は窓を握って閉めようとすると…
「本当に…」
「…っ」
微かに聞こえてきた声にぴたりと手が止まる。
その声は普段のサバサバした口調とは違う。
まさに「お嬢さん」が泣いてしまいそうなか細い声。
ナイジェルは窓を握ったまま動かない。
「本当に…全部覚えてくれてる?」
「…………。」
部屋に冷たい夜風が吹き込み、ふたりの髪は同時に揺れる。
ナイジェルは手を止めたまま、横目だけで隣の部屋を見るが、彼女の姿は見えない。
その一瞬だけ、時が止まった錯覚に陥った。
「…あぁ。多分な」
「………。」
「おやすみ」
「おやすみなさい…」
ゆっくりと向こうの窓が閉まる音。
*****
「サラの事好きだって伝えに来た」
「もう戻れないよ」
*****
記憶を失ってしまったナイジェルが、あの時ベランダで私に言ってくれた台詞。
交わしたキス。
高鳴る鼓動に貴方の体温。
確かにあの瞬間、私は貴方を愛していた。
いや、今でもその気持ちは変わらない。
記憶が戻って、あの時のように素直に自分の心情を話さなくなってしまったナイジェルだけど…
彼は今でもその気持ちを覚えているのだろうか。
貴方は今でも…
「全くどうしてこんな時に起きろなんて言うのよ、私の体は」
ぽつりと呟いた自身に対しての文句。
思い出したかったようで思い出したくない、過去の映像が鮮明に蘇ってくる。
その光景から目を背けたくてサラもゆっくりと窓を閉め、
まだ温かいベッドに再び潜り込んだ。
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