10
……………
なかなか寝付けない事を理由に、突然深夜にリッキーから外へ誘われた。
とりあえず上着を羽織って靴を履き直し、迎えに来た彼と共にホテルの中庭へ出た。
周りに花や木が植えられた空間。地面は並んだ赤いレンガ。
行く宛もなくて、ふたりはその道をなんとなく歩き出した。
「星が綺麗ですね。風も気持ち良い」
「そうね」
誘われた当初は不思議な気持ちだったけれど
彼の言う通り、夜の空気は昼間より澄んでいる気がして清々しい。
それに設置してあるライトのおかげで真っ暗というよりは程よく薄暗く、周りに人の気配もなくて落ち着く。
虫の声や夜風で草木が揺れる音にはリラックス効果がありそう。
真上を見上げると、夜空は言うことなく綺麗だ。
毎日大きなエンジン音と危険の中で走る緊張感からか、こんなに和やかな気持ちになるのは久しぶり。
変に何度もベッドの上で寝返りを打っているよりも外へ出て良かったと素直に思った。
だけど
「あ、そういえばですね!見つけたあの新しいバイク、ネットで調べたんですよ」
リッキーが前を歩き、サラは後ろからゆっくり付いて行く。
その中で、なんとなく違和感を感じた。
「凄く人気の車種みたいだし、そもそもあまり製造がされてなくて。在庫切れの所が多くてなかなか手に入りにくそうな…」
今日発見したお気に入りのバイクの話をする。
楽しい。
好きなバイクを思い出して、きっと楽しいはずなのに…
何故かこちらを見ずに、ずっと背を向けて話している。
「そう」
「いつか俺も乗ってみたいな。俺が今使ってるバイクも大分ガタがきてるし、社長がダメなら理事長にでもお願いしようかなって思って…」
「………。」
「怒られるかな。こんな図々しいお願いしたら…」
「………。」
「それに…乗るなら、やっぱり男なら…格好良いバイクに乗りたいって…」
「リッキー…どうしたの?」
続けていた言葉は徐々に辿々しくなり、
サラに問いかけられて、ゆっくりになっていた口調がついに止まってしまう。
最初から薄々わかっていた。
こんな夜中に急に呼び出して外を歩きたいだなんて、どう考えてもおかしい。
この子は眠れないわけでも、そんな事を話したかったわけでもない。
でも何故こんな時間に私を呼びたしたのか、その理由が考えてもわからなかった。
「………。」
背を向けたまま、何も返事をしてくれない。
彼の様子は最初からずっとおかしかった。
一方的に話すばかり。楽しい話題を口にしているのに、前を向いたままこちらを全く見ない。
「リッキー?」
心配になったサラは歩き出し、彼の背中をそっと叩こうとすると…
「やめてください」
「…ッ」
指先が触れるあと数センチの所で手が止まった。
リッキー、どうしちゃったの…。
本当に普段の彼と全く違う。
夜風が吹き、葉と葉が擦れ合ってざわめく、張り詰める空気の中。
彼は聞こえるか聞こえないかの小さな深呼吸をした後に、
ようやく自分の声を絞り出した。
「俺は…」
「………」
「俺は…諦めました」
「えっ」
意味が理解出来ず、ただ目を見開いたまま立ち尽くす。
諦める…?何を?
「リッ…」
「そのままの意味です!俺は貴方を諦めると言ってるんです!」
「……ッ…」
中庭に響きそうな、あのリッキーの大きな声。
サラは言葉を詰まらせた。
私を…諦める…?
この子はずっと前から、こんな私の事を好きでいてくれた。
どういう経緯でそのような感情を抱いてくれたのか…正直そこまではわからない。
彼はいつも私の傍で優しい笑みを見せ、いつも気を遣ってくれて
そして初めて想いを告げられた瞬間、私は何も答えてあげられなかった。
私はリッキーにそのような感情があると知っていた。
嬉しい、私だって同じ気持ちだと思いつつも、
ナイジェルとリッキーとの狭間で思い悩み、今日の今日までどうしても答えを出せずにいて。
情けないと思う日々。
そんな中で、突然彼の方からその決心を告げられた。
「なんで?」なんて、もちろん私に訊く権利などあるはずもなく、ただ伸ばした手を引き戻す事しか出来なかった。
リッキーは顔を見せないまま、震える声で続けてくれる。
「もちろん…サラに飽きたわけでも…嫌いになったわけでもありません。
俺は今でも…貴方に憧れ、先輩、友人として信頼し…そして尊敬以上の想いを抱いています。
何度も傷つけたり迷惑をかけた事もありましたが、それでも貴方は俺を許してくれた。申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「そんなリッキーが謝る事じゃ…」
「………。」
「…ごめんなさい。私がいつまでも答えを出せないから、それで貴方を傷つけてしまっ…」
「違いますっ!煤v
ようやくこちらを振り返ると、彼の目には既に涙が溜まっていた。
この瞬間、こちらを見なかった理由はその涙を見られたくなかったんだろうとわかった。
貴方のそんな顔…初めて見るかもしれない。
「……ッ」
「ごめん…なさい…。覚悟を決めようと決心したはずなのに…男のクセに泣いたら格好悪いですよね…」
後輩の目頭を抑える姿に胸を締め付けられ、こちらまで息が苦しくなりそう。
リッキーがこんなに覚悟を決めて私に伝えてくれた決意。
だけどそれを受け止める勇気が…私には出てくれない。
「どうして突然…って思ってますか?」
「……ッ」
「深い理由は聞かないでください。俺もそれには答えたくないんです。
それに…貴方だって薄々わかってるんじゃないですか?」
薄々…。
言葉の後、彼が見上げたのは自分が泊まっているホテルの部屋。
305号室。
「……っ」
その意味がわかった瞬間に、体中に鳥肌が。
リッキー…
そんなっ…
「これからは…俺の事は気にしないで…貴方には自分の進みたい道へ進んで欲しいんです」
「…………。」
何も言い返せるはずもなく、ただ呆然と彼の顔を見つめた。
『初めまして。この度ウィンディランへ新しく配属されました、リッキー・スターンです。よろしくお願いします』
胸の奥が熱くて壊れてしまいそう。
『面白いですよ。ほら、猫ちゃん達がいっぱい載ってるんです。可愛いでしょ』
『痛ッ!何するんですか…(涙)』
『俺は…何をすれば、サラの力になれますか?』
あんなに…
あんなに幼くて馬鹿みたいに素直で。
いつもからかっていじめたり、反応を見て笑ったり
可愛い後輩だと思っていた。
『ふざけんなよッ!アンタにサラの何がわかる!?
こんな大それた一族の血を守るために、大事な物を全て捨て、したくもない結婚までさせられて…それでも彼女は掟に従おうとしてたんだ!』
『ずっとずっと前から、貴方の事を見てきたから』
『好きです。誰よりも』
こんな気持ちにさせられる日が来るなんて。
彼はもう…立派な大人。
私なんかよりずっとずっと成長して…
「貴方はいつまでも…俺の初恋の相手です。それさえ覚えていてもらえば、もう俺はそれで十分だから」
数々の思い出や言葉達が蘇り、サラの目から涙が溢れ出した。
先輩として恥ずかしい姿を見せたくないのに、それは溢れて止まってくれない。
「泣かないでください」
「無茶…言わないでよ…リッキーのせいでしょっ…!」
泣きながら怒り、涙を拭おうと差し出してきた彼の手を握った。
温かく 優しい 後輩の手。
その手を顔に近づけると、指の間に涙が零れ落ちる。
「ダメな先輩ね、私。こんなに後輩に気を遣わせて…」
「そんな」
「………。」
本当に、本当に好きだったから。
だからこんなに辛いのよ。
その気持ちを、伝えたくても出てこなかった。
「泣かないで、サラ…」
「…っ」
「俺は貴方に泣いて欲しくて、この決断をしたんじゃありません」
どうして…どうして貴方は…
「お願いです。笑ってください」
そんなに優しいの?
「ありがとう、リッキー…」
手を握ったまま、ようやく顔を上げてくれた。
目を真っ赤にして泣きながら笑ってくれた顔。
普段はクールな彼女のこんな顔、きっと俺しか見られないんだ。
ふと一筋の涙が、自分の頬から零れ落ちた。
「貴方は私にとって、最高に格好良い後輩よ」
「今日は可愛いじゃないんですか?」
「格好良いって言われる方が嬉しいって、いつも自分で言ってるじゃない」
こんなに愛して近くにいるのに、手の届かない女性。
その言葉は今までのどの言葉よりも嬉しくて…
どの言葉よりも遠く感じた。
あんなの…俺には諦める選択肢しかなくなってしまうじゃないですか。
サラは俺の物にはならない。
彼女の隣にいるべき存在は…俺じゃないんだ。
やっと…
やっとわかりました。
最後に「可愛い」じゃなくて「格好良い」と言ってもらえて嬉しかったです。
細く、白く、手のひらにマメがたくさん出来てしまっている手。
ゆっくりと愛しい女性の手を放した。
「ごめんなさい。本当に…ありがとう…」
「………。」
俯くサラの頬に手を当て、視線を上へ向けられる。
彼は笑っていた。
多分私達の中で、一番辛いはずなのに。
罪悪感を感じさせぬよう、彼はいつもみたいに優しく笑ってくれていた。
鼻の頭を赤くして。
「ここで…待っていてください」
「………。」
その場を立ち去る背中を、私はただ見送る事しか出来ない。
消えていく足音。
透き通る女性のようなグレーの髪。
香るシャンプーの香り。
残ったのは悲しい風と虫の音だけ。
- 777 -
*PREV NEXT#
ページ: