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ザッ

ザッ

ザッ



暗闇に響く引きずるようなだるい足音。

歩き方が悪いのか、昔から「足音だけでわかる」とよく言われていた。

ナイジェルは上着を羽織り、空の見える中庭へ。



チッ。

夏が近づいているとはいえ、夜の外はやはり多少冷えている。

本当にアイツが、んな所にひとりで……





…あ…いた。




歩いていたナイジェルの目に、風に揺れる金色の長髪が見えた。

本当にいるとは思っておらず彼も少し驚いた表情。

水路を見たまま背を向けており、まだこちらの存在に気づいていないらしい。

不信感を抱きつつもナイジェルは彼女に近づく。


「おい、サラ。んな所で何やってんだ?あぶねーだろ」

「……っ」



振り返った顔。

真っ赤な目に、彼は咄嗟に言葉を失う。

この瞬間、彼女の身に何かが起こった事は容易に察しがついた。


「どーした?目赤いぞ?なんか悲しい事でもあったのか?」

「…あった」

「あったのかよ。とりあえず部屋に戻んぞ。んな暗い中ひとりでいたら危…」



腕を引いて部屋へ連れ戻そうとするが、すぐにその手を反対の手で掴まれて引き戻す力が弱くなった。

普段のサラとはまるで別人のよう。

よほど悲しい事があったのか。



「サラ。マジでどーした?らしくねーぞ」

「………。」

「どっか痛ぇのか?オジサンに言ってみ…」

「リッキーがね、私の事…諦めるって言ってきたの」

「…ッ……」



目を見開いたナイジェル。

先程の飄々とした男の顔が思い出される。


「…」

「私が悪いの。いつまでも自分の気持ちに答えを出せなくて…あの子の事傷つけて」

「はは。んな事で、あのしつこいガキが…」

「リッキーは最初からわかってたのよ。自分よりもっと好きな人がいるって…。だから…自分から身を引こうと」

「………。」




夜風が吹いて沈黙が続くふたりの空間に

草木の揺れる音が聞こえる。


サラの手を掴む力が徐々に強くなっていく。


微かに感じる震えと呼吸の音。


熱い思いが込み上げ、その緊張感が伝わってきた。






「おい、サラ…」




リッキー…ありがとう。




私、もう…逃げないから…








「ナイジェル…私、貴方の事、愛してる」


「…ッ……」



スッと力が抜け、握っていた彼の手が離れた。


もう逃げない。


サラは彼の顔を見上げたまま言葉を続ける。




「私は誰よりも貴方が好き。貴方が記憶を無くした時…いえ、むしろもっと前から。

今まできちんと伝えられずにごめんなさい…」

「サラ…」

「…貴方の答えを聞かせて欲しいの」




貴方は私よりずっと年上で大人の男性。


私の事を結局「お嬢さん」としか、見ていないかもしれないし

最初から遊び相手としか考えられていないのかもしれない。


以前はそう思っていたから、貴方が誘ってきた時も怖くて拒んでしまった。

あの日の後悔は今でさえ悔やんでも悔やみ切れない。


本当は私だって貴方の事を愛していたはずなのに。



だから…もう嘘はつかないと決めた。


どんな結果になっても必ず受け止める。


リッキーのあの最後の切なく笑った表情を思い出し、顔を上げる。



待つこの数秒間、生きた心地がしなかった。





「…………。」






貴方の顔は、突然の事でぽかんとしていたようだけど

目を真っ赤にした情けない私の顔を見て…


「はぁ…」


意味深な大きなため息をつかれてしまった。

呆れてしまった意味だろうか。

それでもサラは彼の顔から瞳をそらせない。











彼はだるそうに口を開いて、その答えを聞かせてくれた。



「俺は一度記憶を無くして、自分の事も仲間の事もお前の事も全部忘れた時があったな」

「…っ」

「全て何もかも忘れて…それでも俺はまた同じ女を好きになった。それで俺は確信した。

思い出した時、ちゃんと言っただろ?」

「……。」

「これから先、何回記憶を無くそうが、どんだけ致命的な大怪我をしようが…俺の気持ちは変わる事はねぇって」



大きな風が中庭を包み込んだ。




蘇る、彼が記憶を取り戻した瞬間の言葉。

あの言葉…まだ覚えていてくれたんだ…

あの忘れん坊のナイジェルが。




「今はもう何もかも思い出してるよ。

自分の生き方も、仲間達の存在も、思い出の場所もタバコの味も

愛してる女の事も全部な」


「…………。」




呆然と立ち尽くす。


意地悪そうにニヒルに笑う彼。

今の彼は本物のナイジェル・ヨークだ。

ひとつも記憶を失っていない、私の好きな「面倒臭がりなダメ人間」


でも今の彼の前では…いつもみたいに冷たくあしらう事だって出来るはずもない。


こんなにも喜んでしまう自分がいるなんて。

これじゃ本当に恋してるお嬢さんじゃないの…





「長かったな、俺達」

「…ごめん」

「フッ」


風に髪がなびく中、私の体は優しく彼の腕に包み込まれた。

ふわりとタバコの香りを感じる。

その瞬間だけ、あれだけあった全ての自分の中の悩みが消えて無くなってしまった。




「俺は今みてーに素直なお前も可愛いと思うが、普段みたいに冷たく扱ってくるお前が一番好きだな」

「…うっさい。ドMが」

「はは、そーだな。でもベッドの中じゃ同じような台詞は言えねーようにしてやんよ」

「…ッ///…最低、エロ親父。死になさい」


下ネタを何の躊躇もなくぶっこんでくる所は普段の姿と変わらない。

ムードも何もないんだから。

リッキーはあんなに誠実で良い子だったのに…。






笑った彼は顔を近づけてきて、僅か数センチの所でピタリと止めた。

お互いの前髪が当たる距離で見つめ合ってしまう。



「キス…するか?」

「待って」

「えぇ」


大人っぽい声に、腰に片腕を回す手つきは「もう離さない」の合図。

こんな近くに来なきゃわからないオレンジ色の瞳。

生温かい息が耳にかかり、妙に鼓動が早くなってしまう。


「ナイジェル…」

「もういい加減お預けは飽きた。どんだけ待ったと思ってんだ」

「ッ…///」


「いーから大人しくしてろ」




最初に出会った時。

貴方とは絶対、こんな関係になるはずなんてないと思ってた。


いきなり嫁に来いだなんて……馬鹿なんじゃないの?






「ンッ…くちゅっ」

「…ちゅ…あっ」



ゆっくり時間をかけて。

唇を裂いて舌を絡ませてくる大人のキス。

ナイジェルとのキスは甘くてタバコの香りが混ざり、意識が朦朧としてしまう程のもの。


「クチュッ…チュッ…」

「んはっ…んっ!…ナイッ…」



記憶が無かった時より数倍色っぽく上手くて、熱く無意識に腰が砕けてしまう。

気持ち良くて体が溶けてしまいそうだ。

足元が覚束なくなると片腕だった手を両腕回して私の体を支えた。





「んぁっ…はぁ…///」

「はぁ…顔赤いぞ?」

「アンタがしつこいからでしょ」

「ははっ。可愛いぜ、サラ」

「……ッ…」



回した手を離し、指を絡めてもう一度手を強く握ってくる。



「嬉しいよ。お前が俺を好きになってくれて。

リッキーの思いも絶対に無駄にしねぇ。それくらい…俺が今後大切にするから」



だらしない性格からは想像がつかない、真面目すぎる程の彼の言葉。

それを聞いた瞬間、私は改めて感じた。



「愛してる」

「俺も」

「もう…私の事忘れない?」

「あぁ。100回記憶喪失になっても絶対ぇ忘れねぇ」

「記憶飛びすぎ(笑)」

「そーだな(笑)」

「ふふっ。……ンッ」




もう…私は迷わないし逃げたりしない。


やっと自分に素直になれた。


辛い時に不器用ながら慰めてくれた。


陰から支えてくれた。


そして2度も、命がけで私を救ってくれた。


そんな人。


好きにならないわけがないでしょ。

























ガチャン。




既に真っ暗な部屋の中。

ナイジェルが部屋に戻ると、リッキーがベッドに横たわって寝ていた。


「………。」


電気をつける事なく、背中を向けて寝息を立てている彼を見ながら隣のベッドに座る。



「お前は随分、狸寝入りが上手いな」

「……」

「サラは一生をかけて俺が大切にする。絶対ぇ…お前の気持ちは無駄にしねぇから」

「……」

「ありがとな。本当に。おやすみ」



返事が来ないまま、リッキーの隣で静かに眠りについた。


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