黎明の子
痛む体と眩む視界。猛烈に寒気が肢体を襲い、勝手に体が震えるようだった。状況が、わからない。未だにこちらに笑顔を浮かべてくるこの長い黒髪の女の子に対しての罪悪感は薄れそうになかったがそれでもそれ以上に状況が分からない事への恐怖が勝った。「――――、――」
5人のうちナースらしき人は部屋から出ていったらしく、今は4人。
そのうちの唯一白い衣服を纏っていた人物が何かをゆっくりと口にした。白衣に似ているがその形はスーツなどのきっかりしたものの印象を受けた。びくり、と肩が勝手に揺れてしまい悔しいような気持ちにさせられる。苦虫を噛み潰したような顔でその人物を見やる。眼鏡をかけて一見優しげな空気を纏っていたその人は困ったような顔でこちらを見下ろしていた。もう一度、口を開いた。今度は唐突でもなく驚くこともなく、その言葉をきちんと耳が拾う。やはり英語だ、そしてその言葉の意味をなんとなくだが理解する。
恐らくだが、名前を聞かれている。彼の名前もそこに含まれていたのだろうがそれを聞き取ることは難しかった。なぜという思いが浮かぶ、私の名前など知っているだろうになぜ聞くのかと。しかしすぐに独房で考えていたことを思い出す、もしかしたら本当にここの人は私のことを知らないのではないかと。悪魔なんて言葉を吐いていたあたりからエクソシストであることは間違いないだろう、服もそれっぽいし。
「…螢」
口を開かせたのは罪悪感だった。こちらが睨めば睨むほど、黒髪の女の子の眉が下がり心なしか瞳まで潤んできたように見えたのだ。しかし声を発して驚いた。想像以上に掠れきっていて言葉を発したとたんに鉄の味がするようだった。先ほども思わず謝罪を口にしてしまったがその時以上にそれを感じた。乾燥しきった口内が摩擦で熱まで持ってるようだった。体は冷え切っていて凍えているのにおかしいものだ。そのことにとらわれていて周りの反応まで気が回らなかったが空気がざわついたのだけは感じた。何度も名を呼ばれているのに気が付いて顔を上げれば先ほどの眼鏡の男が確認するような声色で私の名を呼んでいたのだと知る。合っているという意味合いで頷けばそんなにかと思うほどに嬉しそうに何か言われ、笑顔を向けられる。英語独特のイントネーションで呼ばれる己の名前に違和感は覚えたが子供のように喜ぶ様子にそれはそこまで気にならなかった。
「――――、―――?」
あ、これは分かる。日本人か聞かれた。
きちんとクエスチョンマークが語尾についているのがわかるようなそんな表情で聞かれたものだから迷わず頷いてしまう。あいあむじゃぱにーず、と答えることもできたが異国の言葉をその国の人の前で使うというのは恥ずかしく緊張するものだ。
私の反応に少し考える様な素振りを見せた眼鏡の彼は、賢そうに見えた。これだから眼鏡をかけた奴はと関係のないことを考えながら体の痛みから目を反らす。
深く呼吸をして吐く息が震えてしまわないように喉に力を入れる。
「―――、――――――」
今度は黒髪の女の子が何か言ったが全く聞き取れなかった。
しかし目線は私に向いていなかったのでよしとする、少しは勉強をできる方だと思っていたのだが自分の慢心だったらしいと思い知る。彼らがなにか話し合っているのを横目に、シーツを強く握る。寒い。
つい顔を俯かせてしまう、勝手に顔が下に向いてしまい瞬きの度に薄らと視界が揺らぐのが分かった。まずい、そう思っていた時にふと、声をかけられる。
女の子の声で螢とはっきりと聞こえ、意識が戻される。
顔を上げるとこちらに、あの着替えらしき布を差し出されているのに気が付いて視線を彼女に向ける。なるべく私から離れてこちらに差し出されていたそれはそっとした手つきでベットの足元に置かれる。その間も何か言っているのだが、やはり聞き取れない。
そして自分の来ていたコートをパタパタと動かして笑顔を向けられてやっとそこで思い当たった。着替えて、ということだろうか。そう思って一応頷いて見せればホッとしたような、少し悲しそうな顔をされてしまいつきりと胸に何か刺さる。
「――――――、――」
しかしその表情もすぐに隠すように背を向けられてしまい、彼女は他の面子も追い出すようにしてベットのカーテンに手をかけた。
最後にもう一度にこりと笑顔を残してそれを閉められて、少しボンヤリとそのまま動けずにいてしまう。そしてハッとして、何とか体を動かして点滅するような視界のなかボロボロの制服に手をかけた。
投稿日:2017/0428
更新日:2017/0428