黎明の子

顔を出した彼女が少し身構えたのを肌で感じ取った。
それに悲しいような虚しいような思いをしながらも、それ以上に目を引くものがあった。
泣き黒子だ、その周囲に汚れが伸びたようなそんな跡があったためそれに隠されていたのだろうと当たりを付けそれだけで印象が変わった彼女をジッと見つめてしまう。
やはり、青い目は深い色ではあったが別段気になるようなものでもない。あの時感じたものの正体が気になってしまったのだが今はそれどころではないと頭からそれらをはじき出す。

リナリーやコムイさんの話で判明したこともそうだが、この子にはたくさんの謎が付きまとったままだ。しかし、先ほども思ったがこんなに顔色も悪く傷だらけの彼女にいろいろと問いかけるのもしたくない。多少言葉が通じることがわかり、彼女の名前も分かっただけでも大収穫だ。
螢、ファミリーネイムではない、と思う。彼方此方様々な国を旅していたがそれでも聞きなれない音だ。そういえば彼女は日本人だったと思い出し、神田を呼ぼうという話になったのだが、なんと奴は報告をして早々に任務に出てしまったらしい。
どうやらタイミング悪く任務に出ていたファインダーから連絡があったようで、彼も任務から帰ったばかりだというのにさっさと行ってしまったらしい。初めは大した報告でもなく、緊急でもないようなので他のエクソシストに行ってもらおうとリーバー班長が指示を出そうとしたそうだったのだが、その場に居合わせた神田が任務をかっさらっていったそうだ。

逃げたな、とその話を内線で聞いた僕らの心境が重なったのがわかった。
日本人で言葉が通じると分かっている神田が彼女と僕らとの通訳になればとだれでも思うように神田もそれを察したのだろう。


「あーあーダメだよ横になってないと」


彼女が着替え終わるまで待っていたドクターだったが、そもそも目覚めるかさえ分からなかった彼女が自ら着替え、起きていると聞いて戦々恐々とした顔をしていたのを思い出す。
しかし僕たちの話を聞いて、彼女が相当警戒心を持ってしまっているのも分かってくれたのだろう、そっと怯えさせないようにして動作だけで横になるように伝えようと奮闘している。しかし不思議そうに首を傾げてしまっている様子からそれが伝わっていないのが伺える。
ベッドに入るように、それはなんとか分かったのかゆっくりと足を布団の下にしまうようにして入れているのには、微笑ましく思ってしまった。
それでも横になるつもりはないのか、ジッとこちらを見つめたまま偶にふらりと上半身を揺らす彼女をみてまた悲しく思え、ここまで気を張らせてしまっている自分たちが憎くさえ思えた。


「すこし…ごめんなさい」


断りを入れてベッドのリクライニングを弄る。
ギッと音を大きくたてて持ち上がって出来上がった背もたれだったがそれでも彼女が背を預けるにはまだ角度が小さいのだろう。
しゃがみ込んでベッドの脇から見上げる様に幼い彼女を見れば、できるかぎり反対はしに寄っているのが分かって苦笑してしまう。嫌われるのも怖がられるのも慣れてはいるが、こんな風に自分たちの行いがこんな状況を作ってしまった場合はどうしたらいいんだろう。見た目だったりイノセンスの発動だったり、しょうがないと割り切ってしまえることでは今回はないのだ。隣のベッドから枕を拝借し、彼女をベッドとの間にそっと差し込む。その時もビクリと目の端で体が動いているのが分かったが、怖がられたって怯えられたってそれ以上に彼女の体の安静を第一にしなければと考えた。


「はい、これでいいですよ」


本当なら掛け布団ももう少し引き上げてしっかりと体にかけてあげたかったのだが彼女の心労もことも思わなければならない。
これ以上近づいては余計に気を張らせてしまうだろうからと、すぐに一歩下がる。
にこりと笑って両手を開いて終わり、とばかりにそう示す。同時にこちらには敵意がないのだとできれば知ってほしいと、そんなことも思ったがそれはすこし傲慢かと思い直す。
両手を見せて、種も仕掛けもありません。ピエロのパフォーマンスでも笑いを誘うようにこんな動作をする。笑ってほしいなんてそこまで高望みはしないが少しでも安心してくれればと、そう願わずにはいられない。


「…あ、りガト…」


だからこそ驚いた、拙い言葉で小さい声だったがそれでもしっかりと届いた声は確かに“ありがとう”といったのだ。彼女の表情は未だに固いままだったし体もなるべく僕から離れようとしているのか腰が引けていた。そんな微塵も感謝を伝えられるような心境でもないはずなのに彼女はそれをしてやったのだ。だから余計に悔しくてやるせなかった。こんなに優しくて強い子が、どうして敵だなんて思えるんだろう。
初めは、泣いてしまうだろうと思っていた。しかしそうだったと、あの時神田と対面していた時も彼女は強かに真っすぐあの鋭い眼光に怯むことなくいたのだと思い出す。


「ど、どういたしまして…」


喉がカラカラになってしまったかのようだった。突然のことに動揺を隠せず少しだけ裏返ってしまった声に情けなくなる。
だってこれじゃああまりにも嬉しいと表現してしまっているようなものだ。気まずくなってせめてほころんでしまった頬だけでも見せまいとその場から離れる。
あれ、別に笑顔を見せても感謝をもらったことに喜ぶのも、いいことじゃないか。それなのにこんな態度をとってしまった自分に彼女に背を向けてからやっと気が付く。そして動揺する、こんなつもりも全くなかったしなにをこんなに妙な反応をしてしまったんだろう。本当は横になっててほしいけど、と小さくぼやいたドクターはボリボリと頭をかきながらナースに点滴を用意してと指示を出す。


「なにか食べてもらいたいんだけど、」


食べてもらえるのかな、と嫌味を込めてコムイさんに問う彼は確信犯なのだろう。半目になって聞く声はまだ少しだけ責めるような声色だった。
確かに言いたいことは分かるがそれでも食べてもらわなければこれ以上に彼女が衰退してしまうのは分かり切っていることだ。
ごめんね、と僕の様に一言断って僕以上に警戒心を刺激しないよう彼女に近づいたドクターに、怪訝な顔はしたもののそれに過剰な拒否は見せなかった。顔は強張っていたが白衣の為か僕の時の様に身を引くことはしなかった。そっと、本当にそっと手を取って小さく話しかけながら包帯を解く様は、なんだか儀式めいていた。しゅるりと落ちていく音が、この空間では小さい存在のはずのそれがこんなに耳につくというのはきっと訳があるのだろう。


「脈だけとらせてね」


包帯を解ききることはしなかったが、薄らと血の滲んだ部分が見えてあの下はきっと酷いのだろうと考える。もう寝ている間に注射はしちゃったからねーと暴露するドクターに苦笑しつつも大人しくされるがままになっている彼女の手の小ささが際立つようだった。
うん、大丈夫だね、とその包帯をそのまままくのはきっとその傷を僕らに見せないためだろう。リナリーなどさっきの滲んだ血を見ただけでつらそうな顔をしていた。
どうにかしたい、この溝を埋めてぼろぼろの彼女に手を貸したい。
それでもそうするには僕らは彼女を傷つけすぎてしまった。
でもだからといってこのままではだめなのだ、それこそ僕らのせいで作ってしまった溝を僕らが埋めないでどうする。僕らのせいで作ってしまった傷を僕らが癒さないでどうする。よし、と誰にというわけでもなく心の中でひっそりと決意して螢という少女を見つめた。


 - return - 

投稿日:2017/0428
  更新日:2017/0428