黎明の子
「…ますますふっつーの子だな」医務室を出て早々ラビがそんなことをいう。
でも本当にその通りだとおもった、普通の、女の子だった。
やはり最後まで強張った顔のままだったが名前を呼んでくれた時の感動に似た喜びはしばらく忘れられそうにない。そしてそれ以上にある罪悪感もそれに伴って高まるが、それを今口にしてもどうしようもないことがわかっているので心の中にしこりを残して声にはしない。
「そういえばアレン君、どうかしたの?」
先ほどの彼の行動は普段の彼を考えれば違和感を覚えずにはいられない。
誰にでも優しく柔らかい笑顔を浮かべる彼が初対面の人に対してあんな態度を取っている場面を私は見たことがない。それなのにくすりとも笑わず、真剣な顔で自分の名前を口にする螢を見ている様は、どこまでもおかしかった。
そーいや変だったなお前、とラビもアレン君の隣に並ぶ。
そういうラビも、少し普段よりも元気がないけれどそれを言ってしまったら彼が困るのが分かっていたから苦笑するだけにしておいた。
しかしアレン君の歩みが徐々に遅くなる。
疑問に思ってそれにならって少し足を前に出す速度を遅くする。
「自分でも、よくわからないんです」
横から顔を伺ってもその白い髪が目元を隠してしまってわからない。声色は落ち着いていて、でも普段の声よりは静かすぎた。クルリと後ろ向きに歩き始めたラビはそれで、と言わんばかりに頭の後もろに両手を組んだ。転ばないでよ、と思いながら器用に危なげなく歩いているのを見れば大丈夫なのだろうと頭の端でおもう。また、少し遅くなる足並み。わからない、そんな答えに思わずラビと目が合う。
「ただ…」
その言葉につられる様にしてラビがアレン君の顔を覗き込む。一歩一歩、踏みしめるようにして進む階段が彼には辛いかのようだ。窓の外から見える景色は曇っていて分厚い雲が気分まで重くさせる、遠くで大きな黒い影が飛んでいるのが見える。あれは鷹だろうか。その影もすぐに窓枠から消えていってまた灰色の雲だけの景色になる。
いったいアレン君は、あの時なにを思っていたんだろうか。
あの子の、螢の事を最後までずっと抗議してくれていた彼だ、彼女の怪我にだって渋い顔をしていたのを思い出す。あの子が敵なはずがないことは、誰もが分かっている。けれど色々な事があって兄さんがあんな決断をしたことだって私は分かっていたから、間違っていると分かっていてもアレン君のように声を荒げて批判はできなかった。
兄さんの話を聞いた後だって、納得してくれた様子のなかった彼にありがたくも思うと同時そんなに優しい彼だからきっと人一倍傷ついてしまうんだろうことが分かってしまって、複雑な思いになる。遂に、止まってしまった歩み。
「……いえ、なんでもないです」
ラビが彼の顔を覗く前に、自分から顔を上げたアレン君の顔はいつも通りに笑顔で、声だっていつも通りの優しい彼で。またいつも通りの速度で進んでいくアレン君に、先ほどまでの彼の様子は微塵も残っていなくて。気のせいだったと思うほどにいつも通りに歩く彼になんと声をかけていいのかなんてわかるはずもなかった。
「…あぁ、君たちか。どうだい螢ちゃんの様子は」
司令部の戸を開ければ兄とリーバー班長の姿。リーバー班長の眼の下を見てコーヒーでも入れてくればよかったと内心思ったが、それよりも寝かせてあげたほうがよっぽどいいだろうと思いなおす。濃い隈がどんよりとそこに存在していてラビとアレン君はまたかと言わんばかりに苦笑を漏らしていた。ここまでひどいのは久しぶりだとおもう。それにそういえば彼はコーヒーは飲まないんだった。
「ドクターが睡眠薬を混ぜてスープを出すって、だいぶ顔色も良くなってきていたわ」
そうでもしないと彼女は眠れないだろうから少しだけ、そうドクターが嫌そうに言っていて重症の彼女を見つけたというラビが妥当だな、と小さく零していた。
確かにそうなんだろうけどどうしてもやるせない気持ちが膨らむ、薬に頼るしか方法がないことが悔しい。そんな気持ちを粉々にして、飲み込む。喉の奥で突っかかるような痛みが走ったけれどそれを耐えて笑顔でそれを伝えれば眉を下げてそうか、と頷く兄に安心感を覚えた。そして、その兄が持つ物に気が付いてあ、と声が漏れた。
螢が持っていた刀だ、神田の持っているイノセンスと似ているようで全然似ていないそれ。回収したのは私だ。柄の部分に巻きつけられている真っ赤な紐が印象的でよく覚えている。複雑な模様が織り込まれているのか紐自体が特殊なもので成っているのか分からないが指に触れた時独特な手触りだった。そのあとすぐに任務だったが、結局あれはイノセンスだったのだろうか。疑問が顔に出ていたのか、ただ単に目線がそれを捉えていたからなのか兄さんがこれね、と持ち上げてカチャリと音を奏でた。
「リーバー班長に調べてもらっていたんだ」
お疲れ様、と目線で伝えている兄さんだったがリーバー班長はタイミングよく眉間を指で解していた。記憶違いでなければ私が任務にいく前から何日も徹夜続きだったはずなのでそれからまた今日までずっと寝ていないのだろう。おぅリナリーおかえり、とやっとこちらに気が付いたようでかすれた声でそういわれ、ただいま、と返す。なにかわかったんか、とラビがソファーに座り込みながら声をかける、足元の資料がまた増えていて脇で山になっているものを目に捉えながらそれにならってアレン君と共に腰を下ろす。
「あー…これな、これ」
げっそりしながら兄さんの手元から離れ机に置かれたそれを見るリーバー班長の顔は疲れ切っていて、いま室長に話すことろだったからお前らも聞いていけと兄さんには分厚い資料を手渡しながら壁に寄りかかった。ぺらりと兄さんが一枚、それを捲る。
「結論から言うと、イノセンスではない」
と思う。とはっきり言い切ったと思ったらそんな言葉が続いて呆気にとられてしまう。兄さんの様子から見てもイノセンスでないと、これから螢への対応が厳しくなるのは目に見えてわかる。ヘブラスカの間にあんなふうに表れてしまって現状、なにも解明していないのだから兄さんだってきっと庇いきれない。でもイノセンスではなかった、と思うといったリーバー班長。
「いや、正確にいえば俺たちの知っているイノセンスとは違う、か」
「どういうことさ?」
なんとも抽象的な言い方に疑問がさらにわく。また一枚、兄さんが資料を捲る。
「AKUMAを倒す力は秘めているはずだ、けれど」
がりがりと頭をかいて困った様にため息を一つ。AKUMAを壊すことのできる唯一の力がイノセンスだ、それなのにそれができるのであればどうしてそんな言い方をするのだろう。ヘブラスカもイノセンスに似ているなんて言っていたのを思い出す。似ているなんて、偽物みたいな言い方だ。任務から帰ってきて部屋に戻っていないので汚れた団服のスカートを手のひらでなぞる。プリーツの部分など元が白いせいで煤汚れた色が目立っていた。
決心した様にまた大きくため息をついたリーバー班長は少しだけ赤くなった目を真っすぐに刀に向けて口をひらいた。
「白状する、今の科学力じゃはっきりといえるのは対AKUMA武器としては機能するがそれ以外はさっぱりだ」
「まぁ…刀が抜けないからこれ以上の情報を得ようとおもっても難しいものね」
ばさりと資料を置いた兄さんが、それだけ謎だらけだったからその隈なんでしょうといえば、室長はホントに人が悪いっすよねと毒を吐くリーバー班長。
科学者だからこその探求心の結果がこの容体らしい、それを知って苦笑してしまう。よくあることだが今回はそれが仕事ということもあって余計に力が入ってしまったんだろう。
それにしても刀が抜けないとはどういうことだと疑問を声に出せばどうやらあの紐がどうやっても解けないらしい。試しにエクソシストである神田にやらせても同じ結果だったというので適合者にしか抜けないのだろうかと思案する。武装型で刀なんて、まるで神田みたいだと思い、そして彼女が日本人だということも思い出して日本人はイノセンスが刀になりやすいのだろうかなんて思って、ここにいない神田にはやく返ってきてほしいと願う。そんなことを考えていたとき、アレン君がポツリと声を落とした。
「そしたら、彼女はエクソシストとして戦うことになるんですか」
空気の温度がなくなってしまったかのようだった。それまでずっと黙っていたアレン君が、疑問としてではない声色でそんなことをいう。
誰もがわかっていた、この場にいる人間はみんな理解していた。彼もそれがわかっているからそんな声で問うたのだろう。そうでなければ、彼女を庇う術がこちらにはないのだ。しかしそうやって音にして、あんな普通の女の子を戦わせなければならないことに、恐怖を感じる。それは戦場に立っている自分だからこそ感じるものだった。だってあんな怖いものの前に、螢をつきだそうというのだ。自分たちであんな風に閉じ込めて傷つけておいて、出したとたんにさぁ剣をふるえと。あんまりだ、酷い。でもそうしなければ、きっともっとつらい思いをさせてしまう。もう彼女は教団から逃げられないのだ、かつての自分の様に。いや、どちらも地獄だ、あまり変わりはないだろう。それを知っているのに、できればこちらの地獄に来てほしいと思ってしまう私は、おかしいのだろうか。
2014.9.27
投稿日:2017/0428
更新日:2017/0428