輝く者が天より墜ちた
「…かえせ」自分でも低く空気を震わせるうなりのような声だと思ったが、それくらいには憤りを感じていた。あれがどういうものであるのかを知っているからこそ奪ったのだろうが、私にはそれ以上の意味をもつ代物であることに変わりない。
形見。神父さん(とうさん)の唯一の形見。それは私と神父さんをつなぐものでもあったし、私の決意でもあったし、私の命でもあった。だから、そうやって簡単に奪われてしまう自分の非力さにも腹が立ってしまって、相手への怒りと相乗しグラグラと頭が煮だつような気持ちの悪さを覚えた。
「…、くりから…かえして…」
それなのに発した声は不安だけを際立たせたようななんとも頼りない震えきった声だったから、今度こそ私は自分に幻滅してしまう。
こんな時くらい、兄の様に強気でいたい。
こんな時くらい、兄の様に冷静でいたい。
私がこんなだから兄は頼ってくれない、だからこそ強くなりたいとあの剣に、神父さんに誓ったのにどうしてこんなに簡単に私の決意は手元から離れていく。だったら力ずくで手繰り寄せろ、なのに私の体は動かない。だったら口八丁で奪い返せ、なのに頭も働かない。
「お前、日本人か」
そんな思考に囚われている私に冷たい声が降ってくる。
その言葉の意味を理解した時それが日本語であることに気がついて放漫に、それでいて睨みつけるように視線をよこせば先ほど掴みかかってきたあの男だった。
不本意なことだが知っている言葉で話しかけられたことに少なからず私は安心したらしかった。だからこそ虚勢をはって相手を睨みつけることができた。なんて無様だろうと自分でも思うが、奥歯を噛みしめてそれに耐えた。これ以上醜態を晒したくなどない。
「答えろ」
同時に刀の切っ先を目前に突き付けられ、視界がその刀が反射する光で一瞬眩む。それでも瞬きすらしてやるものかと拳をきつく結んで口を開いた。
「私の刀を、返してください」
途端、ビュンと風切る鋭い音と自分の髪の一房が空に舞ったのを視界の端で捉えた。躊躇いもなく凄まじい速さで目の前で振られたその刀をもう一度、今度は首もとに突き付けて目の前の男はさらに目を細めてこちらを見下ろした。
他者の声が聞こえていたが聞き取れないものであったし、目をそちらに向ける余力はない。自分の目も相手と同じように鋭くなるように歯を食いしばって明らかな殺気に耐えた。だいたい、日本人かなんて私を馬鹿にしているのだろうか。知っているくせに。
「次はその首を落とすぞ」
「…どうして今更そんなことを確認するんですか」
どんどん男の眉の間にできる皺が濃くなっていくのを見ながら、絶対に屈したりしないと自分に言い聞かせながらまたさらに拳に力を込めた。まるで私のことを知らないような口ぶりだ。悪魔か、なんて言ったくせに。
肯定ともとれる私の言葉でも男は満足しないのか未だに私の言葉を待っている様子で刀の切っ先が首の皮膚に食い込んでくるのを感じながら、この感情が刀を伝って相手に伝わらないでいることを願った。
「…日本人です」
そう正直に答えながら喉が動いたせいで切っ先がついに薄い皮膚を裂いたのを感じたが、それ以上にいまはまだ体の他のあちこちの怠さと熱さ、じわじわと収まりつつある鈍痛のほうが目立ってどうとも思わなかった。
「――――!――、―――!」
「……ッチ、――――、――」
日本人だと答えた私を怪訝そうに、それでいて見下すように嘲笑した男が口を開こうとしたその時、また私と男の間に何かが入り込んだ。
それは白銀色の鋭いような柔らかいようなそんな妙な印象を持たせる色で、声は明らかに咎めるようなそんな声を発していた。黒い服にその白銀は眩しいくらいに正反対で、それが髪の色だと気が付いたのは自分の首の圧迫感がなくなった時だった。
妙な感覚を覚えた。その感覚は危機的状況から取りあえずは脱したから気が付いたのかそれともこの眩しい白髪を見たせいなのかは分からないが、そっと私の感覚に訴えてきた。
あの突き付けられていた刀、なんだあれ。今更なような気もするがそれなりに私も必死だったのだ、手のひらに爪が付いこんで薄らと血が滲んでいることだってその証拠でそれくらいには意地を張っていた。
それがほんの少し緩んだ時に感じた妙な感覚の正体は、曖昧で希薄でつかみどころのない霧のようなものの気配だったが、なんだあれと思うくらいには感覚を刺激してきた。明確に視覚、聴覚などという器官に受容されていないからこんな曖昧な表現の仕方になってしまうのかもしれない。結局その正体なんて今はどうでもいいのだが、改めて周りに全く意識を向けられていなかったのだと、どれだけあの男に意識を持っていかれていたのかを知った。
そしてこちらに振り返った白髪の顔を見たとき、またそうやって意識を持っていかれるのを感じた。
なんだこれ、なにこれ。ぞわりと全身が粟立ち、ひやりと背中をなにかになでつけられたようにゾッとした。振り返った白髪は男の子で、その顔は恐らくは笑っていたんだと思う。振り返ったその顔は年齢の近さを感じたし、白髪とは縁のなさそうな好青年に見えた。どういう訳かその白髪はストンとそういうものだと、寧ろしっくりくるように受け入れられたのだが、目がいけなかった。左の目、紅い星が額から血を滴らせるように頬にまで線を引き、異様な雰囲気を漂わせていた、それだけならきっと私もこんな気持ちにはならなかっただろうが、その目の奥にいる何かがダメだった。
その目の奥からこちらをなんの感慨もなく見下ろし、閲覧してくるように眺められるような冷たい目、目の奥の目。
こっちを見ているのに見ていないあれは、なんだ。二重の目は一瞬でなりを潜めたがその一瞬で十分だった。恐らくこちらに一度笑いかけているであろう男の子には悪いが、まだ私はあの目に囚われたような感覚が拭えないでいた。
今自分がどんな顔をしているのかは分からないが表情を変えない私を不審に思ったのかほんのりと白髪の男の表情が変化してきたのを感じたとき、その顔にどう変化があったのかもわかる前に唐突に視界がガクリとぶれた。やばいと思ったときには既に遅く、痛みを感じる前に意識を体から引き離された後だった。
投稿日:2017/0428
更新日:2017/0428