輝く者が天より墜ちた
次に目を覚ました時、わかりやすく状況は最悪だった。じめじめとした纏わりつくような空気、何かが潜んでいそうな暗がり、それでいてなんの温度も感じられない、そんな空間。独房だと、自分のいる場所がどういう場所であるのかを私はすんなりと理解し自分の置かれる立場もなんとなくだが分かってしまった。人生の中で独房に捕えられるようなことになるなど滅多なことをしない限り、きっと経験などせずに済むものだ。だからこそここが独房だとすぐにわかってしまうのも、分かったうえで取り乱したりしないのも、普通ではないのだろう。
だが皮肉なことにそんな経験を私はしたことがあったのだ。流石に最初は驚いたし、泣きそうにもなったがこう何度もあればそれもまたかという呆れや慣れが出来てくる。独房に入れられているという事実よりもそれが普通のことではないというのを忘れそうになってしまう自分が少し怖いくらいだ。
じゃらりと明らかに大きさのあっていない手枷と足枷をぼんやりと眺める。相変わらず冷たくてごつごつしていて痛い。
しかし、その枷が妙だった。大きさが合わないのもそうだが、ただの鉄ではないだろうか、これ。ほんの少ししか効果がないのは私が一番知っているが、こういう拘束具は決まって対悪魔性である聖銀だった。力が入りにくくなるというだけでそこまで効力はなく、意味のなさないものだったがこうもあからさまに唯の拘束具を付けられると違和感があるものなんだなとはじめて知った。物足りなさというか、軽いというか……あれも少しは意味があったらしい。
持ち上げてまじまじと見れようと腕を上げれば鎖に肉が食い込みぎりりと痛んだが無視をする。ここの気温よりも数段に冷え切った鎖は錆びついて血にも似た鉄臭さを漂わせている。その錆が容赦なく手首の薄皮を抉っているようだったがそれも放っておいた。
特に護りの文字が刻まれているようでもないし、なにかしら術を行使しているわけでもなさそうだと確認をし、重たい腕を捨てるようにおろす。こんなもので閉じ込めて、何をしたいんだろう。そんなこと考えたくもないのだがこうも今までの対応の仕方と差を見つけてしまうとそれが気になってしまう。
……いや、あまり変わらないか。
やっぱり考えたくないものは考えたくないままらしい。どうせこの後嫌でもこの身を持って知ることになるのだから、今くらい考えないでいよう。膝を抱えて少しでも冷え切ってしまっている体を小さくまとめる様にして暖めようとしてみるが足を抱えた腕も同じくらいに冷たいままだった。
そういえばここにいるのを誰か知っているのだろうか。どういう状況で今ここにいるのかすらわかっていない自分の頭が恨めしいが覚えていないものは覚えていないのだ。
ああ、どうしよう。
きっとまた、悲しませてしまう。いやどうだろう、いい加減にもう悲しんでくれることすらしてくれないかもしれない。大事な私の家族、家族だと思っていたい。
こうやってひとりになるとどんどん嫌な方に物事を考えてしまう。私だけが独りよがりで、勝手に家族だと思っているのかも、もしかしたらもう私は邪魔で、私だけが………。自分の鼓動の小さな音と、細い呼吸音すらこの空間の静寂に食われたようなそんな恐ろしさを感じて自分という存在が消失してしまったかのような感覚に陥る。最初に目覚めたときとは打って変わって今度は静寂が耳に痛いほどだ。圧迫されて、押しつぶされて、最後には砂の様になって消えうせる。
「(だめだ、なんてこと考えてるんだ)」
全ての思考を吹き飛ばすようにぶんぶんと首をふり、ついでとばかりに頬を両手でバシリと思いっきり叩いてやった。ガシャン!っと頬を叩いた音を鎖が地面に叩きつけられる音が綺麗に消してくれて、しっかりしなければと思った。
最近は本当にこんなことを考えてしまうことが多くなってしまっていた。自虐的で悲劇のヒロインのようにどんどん滅入っていく。こんなのはらしくないし、大嫌いだ。そう、大嫌いだ。嘆いている暇なんてない、立ち上がって胸を張って、堂々と生きると、強くなると決めたのだから。ふざけるなよ自分、なにちょっと独房に入れられたぐらいで泣き入ってるんだ、そんなんじゃ置いて行かれてしまう。
二人に、置いて行かれてしまう。
頬を叩いてそのままだった手のひらをずらして耳を塞ぐようにして立てた膝の上に顔を突っ伏した。もうすっかり体の調子も戻っていて今は寒さだけが際立っていた。
まるであの痛みがなかったの様な感覚だが、べっしょりと冷たくボロボロであちこち切れていたり焼け焦げている制服があの痛みが現であると教えてくれた。もうこれは修復不可能というレベルに容易にカテゴリされるくらいには見事にずたぼろだ。ああ、この前買い換えたばかりだったのに。
体温が妙に低くなっている気がしてそんなボロボロで血に濡れて冷たいはずの制服もないよりはましと言い聞かせて体を震わせた。
いったいどれくらいの間ここに入れられているんだろう、今何時位なんだろう。
当たり前のように窓のない真っ暗闇で、自分の呼吸音しかしない空間では本当になんにも分からない。そもそもここは本当にヴァチカンなのだろうか、私が勝手にそうだと思ったがよく考えればこんな独房ではなかったし、あんな制服も見覚えがなかった。
真っ黒でずっしりと存在感がある、そこは同じだったからかあの時には気が付かなかったが今思えば明らかにデザインが違った。知らない間に衣替えでもしたのだろうかと馬鹿なことを考えてみるがそれがないことは私が一番知っていた。
これでも祓魔師だ、歴史あるあの常服がそんなに簡単に変わらないことを知っている。それとも京都出張所のように元々外部の団体だったのが吸収されたはいいが、そこの歴史や宗教を重んじて……とも考えられるが、よっぽど辺鄙な場所にあるのだろうか、全く見覚えがないというのも妙だ。
だがそれにしては立派な独房だと思う。
立派な、なんて変な言い方だが薄らと暗がりの向こうに鉄格子が二重に見えたからきっといくつも部屋があるんだろう。
ああでも、最初に目覚めた場所から別の場所に移動させられているのかも。
ここがでヴァチカンはないにせよ上層部に連絡はいくだろうし少ししたらそこから上級の“祓魔師”が派遣されるだろう。
あの場からここに移されたあたりきっとここはヴァチカンに繋がる“鍵”すらないんだろうか。だとしたらここに繋がれたというのも納得が行く。
よし、頭が働いてきた。
冷え切ってかじかんでいる指先に少し力を加えて、大丈夫だと頭の中で何度も自分にいう。兄の様にそこまで頭はよくはないし、そこまで強気なままでもいられない。けれどそうあろうとする努力は絶対にしていたい。所詮はただの真似事だと笑われるかもしれないけれど私にとってはとても大切なことだ、笑いたければ笑えとハッキリと言い張れるくらいには意地としてもっている。
これくらいの事でいちいち挫けたりなんてしたらダメだ。肌身離さず、常にそばになければないはずの刀だってないけれど。寒さに身震いをし、耳を塞いでいた手で膝を抱き込めば冷たい空気が鎖の音によって小さく震えた。この震えもすべて寒さや音のせいにしてしまえ。
私は大丈夫、大丈夫だ。
投稿日:2017/0428
更新日:2017/0428