裂け目に潜む
長い時間波に揺られてたどり着いたのは辺り一面真白なひっそりとした街だった。海の紺と雪の白。それだけが目に映る色の全てでありそれだけがここにあるものの全てだった。何もない、本当に何もない。目を凝らせば家々の屋根に雪が積もっているせいでそれが見えにくいというだけなのだがしかしやはり建物もそこを行きかう人々もまばらであり、ここが相当辺鄙な土地なのだということが伺える。冷たい刺すような風が頬を撫で、思わず寒さに震えてしまう。船を降りる前に付けられるだけの防寒具は付けたが、それでも体は寒さに正直に震えた。今まで乗っていた船を振り返れば大きな荷物を次々に降ろしていっている船乗りが見え、その背景はこれに乗る前は朝方でまだ日も高くなかったのにも関わらず、今ではすっかりと日が暮れていた。船の中で二度ほど食事が出されたが正直味がしなかった。だって考えても見てほしい、目の前で常時眉間に深い皺を寄せて鋭すぎる眼光でこちらを睨みつけてくる男がずっといるのだ。生きた心地がまるでしなかった。
サクサクと雪の中足を進めてくのは簡単な事ではなく、すいすいと進んでいってしまう二人についていくのがやっとだった。ルイーズさんは何度も此方を振り返ってこちらを気にしてくれていたのだが、もう一人は私を置いていくつもりで進んでいるのだろうかと思うほどに早足に進んでいってしまう。息が上がりそうになってきたころ、一軒の大きな建物の前で立ち止まった彼らに、駆け足で駆け寄る。黒いブーツに包まれた私の足に飛ばされた雪が飛び交うように雪の上を跳ねた。見上げた建物の入り口は蝋燭の光で仄かに照らされており、その扉が随分と立派な作りであることを知る。全体的に木造の建物ではあるがどうにも安っぽさは皆無で、遠慮なく大きな扉を開けた先の内部が明らかに高級そうなそれだったため、少し身構えてしまった。ほう、と吐いた息が目の前のそれらを白く曇らせてそしてすぐに冷たい空気に溶けていった。
多分というか十中八九今晩はここに泊まるのだろう、フロントや中に入った途端近寄ってきたドアマンらしき人を見てここは宿だと分かりそう推察した。案の定ルイーズさんが二言三言フロントの男性と話したのち、荷物を預け代わりに鍵を受け取っていた。私の元へも荷物を受け取りにひとり来たので大人しく鞄を渡す。しかし倶梨伽羅まで受け取ろうとする仕草をされたのでそれには慌てて首を振ることで断る。すぐに引いてくれた男性にホッとしつつ、ギュッと肩からかかるベルトを握りこんだ。同じく、しかし堂々と刀を持っていた彼もそれを渡すことはしなかった。その様子をボンヤリと見つめ、そしてあの船での会話を思い出す。
船の中でされた話は、突拍子もない話でしかなかった。悪魔とか、戦争とか。正直訳が分からなかったし戦争が起きているという事実ですら受け入れるのに時間がかかったくらいだ。しかも、あの言い方では悪魔が相手のような、そんな。
祓魔師として、人に害をなすような悪魔を放っておけるほど私は非道ではないがしかし、敢えて戦争という言い回しを使ったことが気にかかった。全面的な戦闘をするようなそんな言い草。祓魔師としてその任務を受け持つことを言っているのではないと、なんとなく察した。だいたい今までだって散々危険な任務を回してきていたくせに、なんだ改まって。そこまで考えてその考えを丸めて捨てる。そうだ、私が“そう”であることは、知られていないのだった。それを思い出せば何の違和感もない言葉ばかりだったがじゃあだったらどうして私が祓魔師だと、彼らは知っているのだろうか。祓魔師なのを知っていて私の生い立ちを知らないなど、そんなことあるのだろうか。それにやっぱり戦争だなんて、訳も分からないしなにより意味もなく訳も知らずに無意味に悪魔を祓うことを、正直私は好んでいない。勿論それが甘いことだとも分かっているけれども自身に流れる半分の血がそうである限り、そして兄も私と同じである限りどうしたって私は悪魔に非情でいられない。身を護るために、兄たちを護る為に彼らの隣に立つためにこんな思いは捨ててしまおうと思ったこともある。けれどもいつだって上手くはいかない、決定的に生き物として違うのにもかかわらず情が捨て切れられないのはやはり私が、兄がそうだからなのだろうか。言葉では上手く表現できないのだが、感覚的に、生理的に嫌だと感じる任務も多く、昔から兄には怒られてばかりで神父さんには苦い笑顔を貰うばかりだった。戦争なんて言葉と悪魔という単語に嫌な予感だけは感じていた。しかし私が彼との会話から得られたものは何一つなく、しいてあげられるものもこの予感だけだった。
案内された部屋が途轍もなく大きい部屋だったことに驚くと同時に、その部屋に全員が入っていくのを見てこれはまたあの視線に晒されることになるのだと知って酷く億劫な気持ちになってしまった。そしてまた、そこで考えることをやめてしまう。
嫌な事を先延ばしにして、知らないふりをして、私はただ目を背けているだけだ。それが分かっていながらも沈黙し続ける私は愚かなのだろうか。けれども聞いて、望む答えは返ってくるのであろうか。
投稿日:2017/0502
更新日:2017/0502