死海に揺蕩う
「そういえば神田さん、螢さんってどうしてペヨーテなんて知ってたんでしょう」そうルイーズに言われた言葉は俺自身も考えていたことだった。ルイーズ曰くそこそこ有名な麻薬らしいがだからと言ってあの餓鬼がそれを知っている理由には繋がらない。さあなと言いつつも顔を顰めてため息をつく。どんどんと面倒になってくる餓鬼だ、どっかでぽっくりと死んでもらった方が相当に楽だろう。中央のこいつに関する今後の扱いにしてもとっくに結果が出ているだろうにこちらに連絡を寄越さないコムイにも苛立ちが増す。子守だけ押し付けておいてどんなつもりでいるか知らないが俺が思っている以上にあの餓鬼は災厄の物になりうるのかもしれない。中央からの連絡も危惧していたのだがそちらもないということは簡単に処理することすら渋られる。すべての責任は直属の上司に当たるコムイに行く、あいつが今の席を退いて面倒な上官が新しくつく方が不利益に思えるからこそ下手に動けない。
「で、捜査は」
「新しい情報はなにも」
とにもかくにも、このどっちつかずの任務にそうそうに白黒つけることが先決かと面倒事を一旦忘れることにして考える。ルイーズには例の店の調査をさせていたのだが目ぼしいものは出てこなかったらしい。幻覚症状に関してはあの店が原因とみてもいいのかもしれないがそれにしても情報が足りない。店主が使い物にならなかったことが未だに腹が立つ物致し方ないと眉間に皺を寄せる。そこで、あ、と資料を引っ張り出してこちらに差し出してきたルイーズ。なんだと目で聞けば「例のペヨーテに関してのものです」と言われ渋々受け取る。なんだってこんな麻薬だか知らないがこんなものの情報を知らねばならんのだと思いつつもそれに目を通す。
ペヨーテとはサボテン科ウバタマサボテン属(ロフォフォラ属)の植物でとげのない小さなサボテンである。青虫を意味するペヨテルが語源でありその見た目は全体に産毛が生えていることが所以らしい。乾燥させたものを、そのまま噛んだり煎じて飲むことによって、幻覚などの精神的効果が表れる。ただし、ペヨーテは非常に苦く、効果が得られる前に吐き気に襲われることが多々あり少量でも効果時間が長いことから危険薬物とされている。などなどと綴られ、儀式に使用するやらどの国のどこでこういう意味で使われているなど関係ない情報が入ってきた辺りで読むのをやめた。結果として資料の一割も読んでいないがこれ以上はいらないだろうと机に放る。治療に関しては全く乗っておらず全く使い物にならないものだ。
「治療は」
「抜けるまでジッとしているしか今のところは分かっていないみたいで」
しかしこれだけの量の情報がすぐに用意できるあたりやはりそこそこには有名なものらしい。それにもかかわらず幻覚の原因に今まで街の医者が行きつかなかったのはなぜなのかという考えが頭に過ってまさか、と嫌な予感を覚える。
同時に忘れようと考えることを放棄したはずの面倒事に関わらなければならないことを察し、大きく舌打ちをしてそのまま立ち上がり餓鬼のいる部屋に向かえば慌てたように「神田さん!?」と後ろから呼び止める声が聞こえたが無視をしてノックも無しにその扉を蹴って開けた。蝶番が妙な音を立てたからもしかしたら壊れたかもしれないがそんなことは知ったことではない。暖炉の前で顔色を悪くした餓鬼がこちらを見上げ、のろのろと起き上っているのを睨みながら近くまで歩みを進める。
元から、母国である国の言葉は好きではなかった。思い出も何もないくせに話せることも記憶から薄れずに未だに話せることも嫌に癪にさわって腹が立つのにこいつに関わるにはその言葉を使わなければならないことが苛立ちを駆り立てた。
「お前」
「はい、」
「ペヨーテだとどうして分かった」
結局はルイーズが疑問に思っていたことを聞く羽目になって、しかも情報源がこの餓鬼しかないというのが忌々しい。この町の医者がその可能性に微塵も気が付かないのにもかかわらずこいつがそれに行き当たった理由。
「…食べた時に、味がしたので」
「それで」
「…なにを聞きたいんですか」
「ペヨーテに関して知っていることを話せ」
味だけでそれが分かったのだ、少なくともあの使えない資料よりは確実に情報をこの餓鬼は持っている。それがどうしてかなのかは俺の知ったところではない、コムイにでも押し付ければ済む話だ。過去にこいつがそんなやばいものを口にしていた理由など、どう考えても知って得するものではない。知りたいのは知識だけであってそれ以外は余計だ、それこそあの無駄な情報の多かった資料と同じで、机に投げて捨てるような要らないものだ。
「…ペヨーテの、一番強い幻覚作用をもたらす成分のメカスリンのせいで極彩色の幾何学模様や景色の幻視、時間感覚のゆがみが起きます」
「……」
「ただ、正しい使い方をすれば治療薬としても使えます」
煎じてスープに突っ込むのはどう控えめに見ても間違った使い方なんだろうと思いながら幻覚作用が随分と曖昧な事に気が付く。
「幻覚はそんな抽象的なのか」
「……いえ、人が見えたり、自分の願っていることが見えたり色々だと思いますけど、他の麻薬と違って恐怖に駆られることは多分少ないです」
「…この町の病院、あそこにいた連中はこの薬物が原因か」
びょういん、と一度口にして考え込むようにして黙った餓鬼はなにやら思案しているようである。それにしてもすらすらとこんなことを喋れる餓鬼だとは、今回の薬物を偶々知っていたというにしてもだいぶ気味が悪い。因みにまだこいつの歳すらも知らなかったのでこの時はそう思ったのだが、あとから年齢を聞いて納得しかけてそれでもやはり気味が悪いと思った。歳不相応、どう考えても普通ではない。
「個室で、」
細くて不気味にすら見える指で膝にかかっていた毛布を手繰り寄せてから口を開き、真っすぐにこちらに視線を寄越したその目は嘘をつく目ではなかった。
「個室で暴れていた人はたぶん……寝ていた人はそれを押さえつけるために睡眠薬でも盛っていたんですか?」
「…ペヨーテに睡眠作用はねーんだな」
「ない、です」
なればルイーズの言っていた通り眠っている連中は別に理由があると見た方が良いらしい。あまり期待せずについてとばかりに口に出ていた言葉に思いもよらぬ答えが返ってきたことによって、まさか全てが解決に向かうとは夢にも思っていなかったのだ。
「一ヵ月以上昏睡するような理由に心当たりは」
「……昏睡?」
「いたろ、病院でベッドでぐったりしてたのが」
「……烏羽玉に、昏睡」
「なんだ」
「烏羽玉と、ナナカマドを併用していれば多分、そうなります」
「…は?」
「ナナカマドを燻って、その時にできる灰を吸えば確か……あ」
「…」
「あの雪山の…洞窟の前…なにかの灰が入口にあった気が………」
「…ルイーズ!!」
溜まらず後ろで見守っていたのであろうルイーズの名を叫び洞窟前まで走らせた。
投稿日:2017/0502
更新日:2017/0502