死海に揺蕩う

「おい」


唐突に部屋にやってきたと思ったらいきなり睨まれ、おまけとばかりに舌打ちをされた。なんて理不尽なんだと思うも眼光の鋭さと漂う険悪な空気から口を閉じ、大人しく返事をして姿勢を正す。臆病と言うことなかれ、英断だ。眉間にこれでもかと皺と刻み、大きくため息を吐きながらどかりと目の前の椅子に座り込んだその人の様子を見ている時に、ふとここに来るときの船の情景がリンクした。日本人かと確かめられ、戦争に出てもらうと言われたあの時。悪魔と戦うというようなニュアンスで言われた言葉は未だに理解が及んでいなかったけれど、体調が回復してきてやっと落ち着いて考えられるようになった頭で、気が付いてしまった事があった。
ここは、悪魔がいない。
どれだけ綺麗にしていても、これだけ寒かったとしても外には必ず一匹は居るはずの魍魎すらいない。こんなことあり得るはずがないと普段なら絶対にしないのに、わざわざその小さな黒い煤のような悪魔を探してしまったくらいだ。それでも、いなかった。もしや私が見えなくなったのではとも考えたがまずありえない。“半分混じっている”のにそんなこと合っていいはずがないのだからその可能性は捨て、では本当にいないのかという結論に至る。だが私の中のその存在は確かに霞むことも無く明確に存在しているし…なんて自分の視界を疑ったりしたが一度町で霊を少数だが確認したのでその疑いも晴れた。生まれてこのかた見えていた景色が多少クリアになっただけで、それは未だに正常であるらしい。だからこそ、その少なすぎる悪魔に違和感を持ち始めた頃にそうしてこの人から「さあ面倒だが話してやるか」と言わんばかりの場を作られて、聞きたいことが頭の中をぐるりと巡った。けれど、やはりそれを聞いたとして鵜呑みにしていいものかと、それを聞く意味があるのかとおもう自分の心も薄れることなく確かにあったので、結局はジッと黙ってそれらの質問をお腹のずっと奥の方に押し込んだ。結局は、未だにお互い信用が出来ないままなのだ。


「お前のそれ、刀に巻き付いたそれだ」


くい、と顎で指されたのは未だに倶梨伽羅にとんでもない巻き付き方で落ち着いてしまっている羅索で、倶梨伽羅を抱えたままだった私はついそれを指でそっとなぞってしまった。こんな状態なのにも関わらず慣れてきてしまったあたり時間の経過を感じられたが依然として植物のツタの様にしてくるくると紋様を描くように巻き付くそれを直視すると少しだけ頭が痛くなった。


「それがお前のイノセンスだ」


はぁ、と気の抜けた返事をしそうになって慌てて空気を飲み込む。先ほどよりも凶悪な顔が目の前にあったのだから当たり前だ。改めて思うけれど、この人本当に怖い顔してると思う。指でなぞっていたそれをそっと見下ろしてイノセンスという言葉を頭で復唱してみる。以前にもこの人から聞いていた言葉だったがやはりよくわからない。前もよく考えたがその単語でヒットする経典の中の文が多少あるくらいで、その単語単体で意味を持っているなど私は知らない。同じくAKUMAと表記されていたあの書類の中で見られた違和感にしても、結局答えは出ないままなのだ。
そんな私の内心を微妙な反応しかしない私から読み取ったのか、また大きく舌打ちをして嫌そうに口を動かして言葉を落とすように吐き出した。


「…イノセンスは、AKUMAを唯一破壊できる物質だ、だからこそお前はこの戦争に強制的に投下される」


「……」


「イノセンス自体も少なければその適合者はさらに少ないんだ、教団はお前をどんな手を使っても縛る」


破壊?唯一?色々と情報が混線しているような感覚を覚えるが確かにこの人はそう言った。悪魔祓いをしていて破壊という表現の仕方はあまり聞かない。あるとすれば悪魔の憑依している物質の一部を壊す行為がそれに当たるかもしれないがあれは救済措置であったりどうしようもない場合にすることが殆どだ。そんなことをすれば悪魔が凶暴化することもあるし、憑依された物質が壊れるだけで、また近いものに悪魔がすぐに憑依する。ようは根本的な解決に至らないのであまりとらない方法なのだ。悪魔は破壊ではなく祓うもので、壊すという言い方はまるで悪魔を生き物として扱っていないようで違和感が強い。
それに、悪魔を祓う方法が唯一という言い方はまるで可笑しい。一つの悪魔に対する対処が限定されて唯一になることはままあるが、悪魔全体の祓い方は千差万別だ。乱暴な言い方をすれば、全ての悪魔に対して唯一の方法があるのであればエクソシストなど必要ない。それくらいに対処の方法は悪魔別で全く違う。一瞬だけ、青いそれが頭を過ったけれどそれを振りかぶるように、なかったものにするように嫌に乾いてしまった喉に唾を流す。
とにもかくにも、こんな成りになってしまってもこの羅索に悪魔を祓う力はない。あるのは悪魔を捕縛して力を抑え込むものであって、間違っても破壊なんてできるような代物ではない。だからこそこの倶梨伽羅に封をしているのだから。


「お前のそれはお前しか使えねぇ、使い方は自分でなんとかしろ」


結局私に多くの謎を増やすだけ増やしてそのまま退室してしまった背中が部屋から出ていくのを見送って、それが見えなくなってソファーに倒れこんで思わず唸った。




 - return - 

投稿日:2017/0502
  更新日:2017/0502