香炉のなかに忍ばせて
途中宿を取りながら南下していき、遂にカナダからアメリカに入った。まだ万全の体調ではないであろうにこの長距離の移動に耐えてくれた螢に何度も心配の言葉をかけたが本当にもうすっかり良くなったようで少し疲労の色を見せたくらいだった。アメリカのミソネタ州の西部にあるベッカー群、そこの群庁所在地であるデトロイトレイクス市が今回の目的地である。近年ノーザンパシフィック鉄道が建設されたおかげで随分と活気が付いてきているらしく大きなホテルが2つ、銀行に新聞社、オペラハウスまでできたのだから発展はすさまじいものがある。流通に重きを置いて町作りを進めていった都市はこうして急激に成長を見せていることからその重要さがうかがえる。賑やかな街並みに少し驚いた様子を見せた螢に笑いながらこっちだと逸れることのないようにしっかりと隣を歩く。今回の任務はイノセンスの回収である。その中で時間が許す限り螢にイノセンスの使い方を教えてほしいと兄には言われたが、汽車の中で神田からなにも聞かされていないことが判明し思わず頭を抱えてしまった。神田が名乗ってすらいなかったことには本当に、なんだかもう考えることを辞めてしまいたくなった。
嘘でしょ、とぼやいたがその言葉すら螢には通じないほど、私と彼女の意志疎通は難しいものなのだ。取りあえずイノセンスがあの赤いものだということ、それでAKUMAと戦うという事は聞いていたらしいがそれ以外は全くであった。私は日本語が全く分からないし、螢は英語が少ししか分からない。この状況で千年伯爵がどうだとか、ノアの大洪水がこうだっただとか、そんな話が出来るわけもなかった。救いだったのは螢が英語が全く分からないという訳ではなく、比較的こちらの言いたいことを聞き取ってくれているという点だろう。それも以前話した時よりも格段にその能力が上がっているのがここ数日で分かり本当にホッとした。なんとか訓練をするのだという事も伝わった、と思う。そんな私達が訪れたこの街の一角にある屋敷に、目的のイノセンスはあるらしい。そこに住まうのはこのベッカーの成長に一役買った公爵らしく、一瞥しただけでもその屋敷が立派なものだと分かった。
イノセンスと思われる品は、オークションで買い付けた鉱石。家に持ち帰ったその晩から妙な事が起きるということで屋敷に務めている支給の女性から通報があった。公爵の家の一角、件の鉱石が保管されている部屋から七色の光が溢れる。加えて例えるには難しい、妙な音が聞こえてくる。たったそれだけの通報であったらしいが地元の警察は動いたらしい。
しかし支給の女性が気味悪がったからと言って公爵の家、しかもオークションで競り落としたコレクションが並べられているような部屋に押し入るなんてことは出来ず。門前払いをくらって愚痴を零していた警官の話をファインダーが偶然耳にした。
警官から紹介してもらい、通報者である支給の女性とコンタクトをとったファインダーはどうにか調査をさせてもらえないかと動いた。そしてどうにか公爵に教団の説明をするにまでは至ったらしい。
しかし公爵としては自分の資産がいきなりそんな妙な宗教団体に取られていくのはよく思わないようで、当然の如く受け渡しにも調査にも応じてもらえなかった。ファインダーではそれ以上の交渉にも応じてもらえそうにもなく、現在イノセンスと思わしき物体は公爵の屋敷で保管されたままだという。悪魔の気配はないとは言ってももし本物だとしたら、こんな人口の多い街で大惨事が起きかねない。なんども説明と説得を繰り返していたら、ある日公爵からエクソシストであれば調査をさせてもいいと唐突に妥協案を出されたのだという。
そんな流れがあって私が派遣されたため、今回の調査報告書は公爵についてが八割で肝心のイノセンスについては一割、残り一割はファインダーによる公爵への愚痴だ。ああ、これも公爵についてだから公爵九割に訂正。
ふう、と細く息を吐き出す。肺をじっくりと縮め身体が強ばりそうになる直前にゆったりと肺を膨らませる。そうすることで自分がしっかりと地面に起立している感覚を強める。
この場でローズクロスを付けているのは私だけ。エクソシストとして振る舞うのは、私だけ。
「次にホームに戻ったら螢の服も作ってもらわなくちゃね」
そう笑いかけるも通じなかったようで首を傾げられてしまったがきっと久しぶりに女の子の制服だから、みんなも喜ぶだろうなとこっそりと笑ってみる。どうかこの町でAKUMAと出会いませんように、そんな事を思ってしまうくらいに螢の横顔は前と違って穏やかだった。
2019.1.26
投稿日:2019/0126
更新日:2019/0126