魚の内臓


「―――、―――――――」


「―――――――」


これでもかと豪勢な屋敷の前に来たと思ったら躊躇いもなくそこへと足を進めたリナリーさんにええ…と驚きながらも付いていけば、品が無いほどに煌びやかな客間らしき場所に通らされた。居心地最悪である。様子からしてリナリーさんの知り合いの家という訳でも無いようで、なぜここに来たのかもわからない私だったけれど目の前でニコニコと笑っているオジサンの笑顔が、なんとなく生理的に受け付けないのは確かだった。なんだろう、キモチワルイ。
当たり前に英語で話し合っているので何を話しているのかは分からないが、改めてリナリーさんが私に合せて話してくれていたのだと実感した。前にも似たような事を思ったが本当にゆっくり話してくれるありがたさを知った。全く持って聞き取れない。
時折オジサンの眼がこちらに向くのが堪らなく不快だったがそれを表面に出すのは不味いのは分かり、しかし営業スマイルを浮かべる気にもならず無表情で時間が過ぎるのを待つ。身振り手振りが大げさなのが妙に鼻にかかるようなボディーランゲッジをするオジサンを見ているのも嫌で、白い石でできたテーブルのマーブル模様を眺めてこれは大理石だろうかなんて思考を飛ばした。現実逃避という奴である。
大理石を眺めるのも飽き、しかしあからさまに話を聞いていない態度もよくないかとオジサンの背面に位置する場所に飾られている絵を見上げる。絵には男女の二人が描かれており、初老にも見える男は座り込んで疲れたような顔を浮かべている。その傍らに立つ女は桶を手に持っており、中の水を男の項に向けて流している。「ヨブとその妻」の絵だ。
ヨブとその妻に関する記述はヨブ記、いわれる旧約聖書に収められており、ユダヤ教の伝統ではこれを執筆したのはかの有名なモーセであったとされている。ヘブライ語で書かれたこの書物を隅から隅まで覚えている訳ではないが、大まかな内容は流石に知っているし、この絵に描かれた描写も有名な場面だ。
ヨブという男は異常なまでに高潔な男で、神への信仰心をどんなことがあっても穢すことをしなかった。例えサタンによって酷い病魔に侵されようとも、だ。この絵はサタンによってひどい皮膚病に冒された時のヨブと、それを看病する妻を描いている。この当時、皮膚病は社会的に死を宣告されたことを意味するほどに重いもので、ヨブの妻まで神を呪って死ぬ方がましだと主張するようになる。それでもヨブは皮膚病をおったその体で、神からの貰い物であれば不幸すらいただくべきだと口にする。結果としてヨブは140歳という驚きの年齢まで生きながらえ、老衰によって死を遂げる。
描かれてこそいないがサタンに関する絵だ。私が知らない方が“おかしい”。

それにしてもこんな絵を客間に飾るなんてセンスがない。
礼拝堂にあるならば分かるが、本当に普通の客間で、なんなら絵の真下には大きな暖炉すらある。有名な画家の絵を模写したものなのだろうが、妻が皮膚病を負ったヨブを介護しようと水で冷やしているその絵の真下に暖炉。いかがなものなんだろうか。
そういった背景を知らずにこの絵を買ったんだろうなあなんて思ってしまう。まあ信仰者でないのならそこまで煩くいう人間もいないだろうし本人が絵画としてこの絵を鑑賞するために買ったというのであれば文句を言うべきでもない。そもそも私も信仰深いとは言い難い人間である。


「―――、――――」


「―――」


リナリーさんが立ち上がるのに倣って、遅れて立ち上がる。革張りのソファーに深く腰を掛ける気にはならなかったので浅く座っていたのだが、案の定というか体がすこし強張っていた。話は終わったのか、とチラリとリナリーさんに目を向ければ少し難しそうな顔をしている。ついでオジサンに顔を向けるとこちらもどうやらあまり上機嫌という訳ではなさそうだ。


「――、――――」


あ、今のは少しわかる。あげいんって聞こえた。
また、ということはまあ、そう言うことだろうなあと嫌な顔になりそうな表情筋をなんとか諌めてリナリーさんに促されるままに部屋を後にした。
廊下に出るとこれでもかと壁に施された装飾と、煌びやかすぎるツボやら金の織り込まれた絨毯やらが厭味ったらしく目前に広がり、我慢できずにため息をこっそりとついた。敢えてもう一度言う、居心地最悪である。



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投稿日:2020/0531
  更新日:2020/0531