ピエロの行方
「ああ、いい顔だ!」少年の声が地下道の中で反響している。何重にも重なって折り合って、鼓膜を揺さぶるその声はまるで多くの人間が同時に話しているかのような厚みを持っていた。それでもその場で声を発したのはゲラゲラと笑う少年だけで、その他全ては沈黙している。
足場の悪く、視界の悪い場所。手元のランプの灯だけが視界を確保しその先は塗りつぶされたかのような黒。少年の背後にはそんな暗闇がのっぺりと鎮座しており、密度の高い黒が蠢いている。不自然なほどに真っ赤な舌先でべろりと白い頬を舐めた少年は、引き攣ったような楽しげな声で無邪気にはしゃいだ。
「笑えるよねぇ!あれだけ従順に成り下がっていたのに、結局全部叶わなかったんだから!それも、当の本人達から巻き込まれにくるなんて!……ほらぁ、頭のいいお前ならわかるだろ?僕らに怒るの、お門違いだって!」
「ドレスローザ?」
「ああ、そこでやらなければならないことがある」
行き先についての話をしているローとルフィを見て、あれとレイルスは首を傾げる。錦えもんとその息子、モモの助がドレスローザという島の名前に過剰に反応している傍でレイルスは口をペッタリと閉じてこめかみをぐりぐりと指の甲で押し込んだ。むむ、と閉じた口がへの字に曲がる。
なんで、ローとルフィが一緒にいるんだ。今更すぎる疑問に顔を険しくしているレイルスだが、海はそんな会話の時間も許してくれない。
「海流が、変わる……何よこれ!?」
ナミが驚きに声を裏返す。凄まじい速さで波を下り始めたサニー号に、他のクルーもギョッと驚く。
「坂ァ!?」
「早ぇ!船がはんぇえ!!」
「なんなんだよ、この海!」
「海坂だ、よくある」
喜んでいるのはルフィだけである。突然甲板が斜めになったことでレイルスはメインマストにべたりと背中をくっつけた。それでもいまだに悶々と考え込んでいるのか、船の騒ぎは耳に入っていないようである。ウソップはそれを見て「かわんねぇなマイペース!!」と思わず怒鳴った。その声すらもレイルスには届いていない。ウソップはよくこいつ今まで生きてこられたなと心の底から改めて思った。
「無理に流れに逆らう必要はない、ドレスローザはログポースの真ん中の指針が示している……まっすぐ進まず、迂回して島を目指せ」
「なんで?」
「その方が都合がいいからだ」
「勿体ぶった言い方しやがって」
ゾロがつまらなそうにローに噛み付いたが、ローは気にすることなく海流の流れを確認している。ナミはその視線に、ルフィと違って航海術も多少は齧っていそうだと感心した。大抵船に乗っている全員が最低限の知識を持って然るべきであるが、悲しいかなナミは完全にルフィに毒されているためそんな常識は捨て去ってしまっている。
「そういえばあなた、さっき電伝虫で話していたようだけど、相手は誰だったの?」
「ドフラミンゴだ」
「ドッフラミンゴ〜!?七武海の!?一番ヤベェってやつだろそれぇ!?」
「もう作戦は始まっている」
ウソップが涙を流してローに詰め寄るも、バッサリと引き戻れないことを端的に伝えたロー。しかしウソップは「え」と間抜けに固まるだけでその言葉の真意までは掴めなかったようで素直に「作戦?」と首を傾げている。
「そうだ!作戦教えろ!みんな〜あつまれ!!」
「はいはいこの坂越えたらね!」
ルフィが満面の笑顔でそう叫ぶも、航海士にピシャリとあしらわれてその笑みが即座に不満げに歪む。こればかりは仕方ないと分かったのか、ルフィも「登れ早く!」と声を上げるに留まった。
海坂を乗り越え、比較的に海流が落ち着いたあたりで全員が甲板に集まりだす。自然とレイルスの座っているマストの下に集まったのだが、その中心にいたレイルスはいまだ思考の海に沈んでいた。それに気がついたローはため息を吐いて一度レイルスに呼びかけたが、やはり反応はない。今度は舌打ちをしたローは容赦なく刀を振り上げた。
「鉱屋、お前はいい加減話を聞け」
「うわ……ごめん」
「貴様何晒しとるんじゃ〜!?」
鬼哭でガツンとレイルスの後頭部を殴ったローは悪びれることなく鼻を鳴らしてレイルスの隣にどかりと座る。驚きでぱちぱちと瞬きを繰り返すレイルスは隣にいるローに睨まれて、呼ばれていたらしいと気がつき素直に謝った。しかしそれを許せないサンジは、ウソップとチョッパーに抑えられながら暴れた。
「レイルスちゃん殴るなんざ……なぐ、はぁ!?」
「おおお落ち着けサンジ〜!?七武海、相手七武海!!」
「やめてくれサンジ〜!!」
もふっとした鬼哭の鍔で叩かれたのもあって、派手な音ほど痛みはないのだがサンジにそんなことは関係ない。レイルスの頭に触れた時点で死刑、七武海がなんぼのもんじゃと顔を真っ赤にして足を振り回したがレイルスがキョトンとした顔でサンジを見つめていることに気がついて途端に静かになった。
「……グハッ!!」
「サンジィ〜!!」
レイルスの裸(背面)を思い出したサンジは鼻血でハートを描きながら幸せそうな笑顔で倒れた。ローは心底引いた目でサンジを見たが、ゾロが「病気だ気にするな」と冷たく伝えた。優しいチョッパーだけがせかせかとサンジの鼻にまたツッぺを詰めてあげている。じわじわと血に染まるコットンを見て、チョッパーは「またリハビリが必要かな」と悲しげに呟いた。
「トラ男のところと同盟組んで、四皇倒すことにした!」
レイルスを挟んでローの反対側にしゃがむように座ったルフィはにししと笑ってあっけらかんと凄まじいことを一言で告げた。案の定クルーからは悲鳴のような声が上がり、ウソップは「はい!反対の人!」と手をあげている。一緒に手を挙げたのはナミとチョッパーだけ。「はい!はい!」と騒ぐウソップにゾロが「黙ってろ」と一喝したことでウソップは今度は静かに「はい」と大人しくなった。
「反対したらどうにかなるんですか」
ブルックの的を得た言葉に反対派の3人の顔が絶望に染まる。いつの間にか復活したサンジが、飲み物を女性陣にサーブしながら「どうせルフィが決めたんだろ」と呆れたように続けた。ルフィが決めた、イコール我儘船長の決定である。どうにもならないことだと3人もわかってはいるのだが足掻きたいのか不服そうな顔のままである。
「へぇ」
レイルスはローとルフィの間で、意外そうな声を発した。そしてなぜローがここにいるのかも理解してすっきりとしたものの、であればどうしてローが単身なのかという疑問が浮彫になる。利害が一致していれば確かにローであれば同盟といった手を取ることもなくはないだろうが、それにしたって相手がルフィとは。
「はい、レイルスちゃん……愛情たっぷりのオレンジルイボスティー」
「あ、ありがと」
サンジから紅茶を受け取るも、いまだに両方の鼻にツッペが詰められているものだから、レイルスはどういう表情を作ればいいか分からず言葉がつっかえた。しかし直ぐにオレンジの香りの立ち上る湯気に気持ちが緩み、口角が自然に上がる。ング、と苦しげな声を出してサンジは口と鼻を覆った。
ローはなんだかんだ女にだらしない奴だと思っていたコックが、しっかりとレイルスの体調を鑑みて飲み物をサーブした事に内心で感心していた。未だに不眠は健在らしいので、カフェインの入ったものであれば止めようと思っていたローは馬鹿では無いらしいとサンジを見上げる。
「忠告しとくが、お前の思う同盟とルフィの思う同盟とは多分少しズレてるぞ……気ィつけろ」
サンジは目のあったローにデレデレの顔を引っ込めて、ローに耳打ちするように声を落としてそう告げる。レイルスもその言葉には全く同感だったので右手をカップで温めながら頷いた。ローがグッと口を引き結ぶ。この言葉をクルーから言われるのは2人目だった。それに実際パンクハザードでのルフィの動きは突発的で予測不可能。ローの話の1割も聞いていないという始末。
「損得だけを考えたり、ビジネスライクなものは無理だと思った方がいいよ」
「……本気で言ってんのか」
「いや、ねぇ?」
「?おう!」
レイルスもおそらくローが想定している同盟は無理だと伝えれば、信じられないものを見る目で凝視されたため、隣にいるルフィに話を振れば、聞いていなかったのであろうが元気に肯定が返ってきた。ローは何度目か、失敗したかと心の中で後悔のようなものと戦い始めた。しかしローは、パンクハザードで麦わらの一味が現れたと聞いた時確かに何かを感じたのだ。この流れは逃してはならない、こいつらを巻き込めと勘に近い何かが訴えてきた。巡り合わせだって運だってこの海では馬鹿にできないものだとローは知っている。だからこそ、だったのだが。
ローは諦めたように大きくため息を吐き出して眉間の皺を揉んだ。これ以上頭が痛くなるようなことが起きなければいいのだが。麦わらの一味に拘る以上そんな願いは無謀なものであるということをローは知らなかった。
投稿日:2022/0428
更新日:2022/0428