ピエロの行方
人造悪魔の実。先のパンクハザードでシーザーが製造していたのはそれの素になるSADという薬品で、世界でもシーザーしか作ることができないという。またシーザーの裏にいる男、ドンキホーテ・ドフラミンゴはこの人造悪魔の実を四皇の1人、百獣のカイドウに売っていた。実際、カイドウの部下にはゾオン系の悪魔の実の能力者が500人はいるのだという。そんな話をしている間、隣にいるルフィが心底暇そうにしていたのでレイルスは声をかけた。
「ルフィ」
「んあ?」
半分寝かけていたルフィが眠たげな声で返答をする。それに苦笑しながら、レイルスは「話がある」と続ける。ぱち、と目が覚めたように普段通りの目の大きさになったルフィは首を傾げる。レイルスの隣に座っているローはこのタイミングで話し始めたレイルスに殺意を少し抱いたが、実際麦わらの一味はシーザーを気にしているため作戦についての話は進んでいない。「ぎゃあ」汚い悲鳴がシーザーから上がる。サンジに蹴られたらしかった。
「エースの話……ここでも大丈夫?」
「あ!俺も聞きたかったんだ!」
「え?」
「いやな?レイリーがエースのことでお前にはちゃんと感謝しとけって言ってたから、理由は教えてくんなかったけど」
レイルスは息をつめた。おそらく、マルコがレイリーに話したのだ。アマゾン・リリーにてあの2人が同時にいた時間は少ないが、2人だけで話していた時間があったことをレイルスは覚えていた。アマゾン・リリーにいたメンツで、あの話を知っていたのはマルコとレイルスだけ。となればマルコしか考えられない。レイルスは観念したように息を吐き出して、ルフィを見る。
「感謝するかはまた別だよ、人によっては嫌悪する場合もある」
「難しい話してるか?」
「……ルフィが戦場からいなくなった後、私が何をしたかって話」
キュ、と口をへの字に閉じたルフィに今度こそ困ったように笑うレイルス。ルフィは走馬灯のようにあの時のことを思い出していた。当時その場にいたレイルスとローがいたから余計に鮮明にフラッシュバックする光景に、火薬や血の濃い匂いまで漂ってきたような気がして鼻の頭にクシュっと皺を寄せる。ルフィのそんな顔に、レイルスは少し沈黙してから「聞きたくないなら話さない」と伝える。伝えるべきだとは思うが、本人が嫌がるものを無理に蒸し返してまで話したいと、レイルスは思っていなかった。
大きく息を吸い込んだルフィは、バン、と己の胸を叩きつけてまっすぐとレイルスを見た。ローはあの時の胸の傷、ちょうど真ん中に拳を入れたルフィをじっと見つめてから立ち上がる。こんな場所で、聞き耳だって好きに立てられるような場所であっても聞くべきではないと判断させられたローは、背中にレイルスの視線を感じながらも振り返らない。
「聞く」
どっしりとあぐらをかいてレイルスへと体を向けたルフィへとレイルスも視線を戻す。そして自然と重たくなる口を舌でこじ開けるようにして開いた。フラットな表情、声色。レイルスはまるで人形のように語り始める。
「……戦場でも何度か見たと思うし、今日も見たでしょ、私の」
そう言ってレイルスは自分の右手を持ち上げて、そこに視線を落とした。サンジが持ってきた紅茶をもつレイルスの手は相変わらず真っ白で死人の手のようだ。レイルスはティーカップから見上げてくる自分の顔に悪態をついてしまいそうになりながらもそれを押し込み、グッと歯を食いしばってルフィへとまた顔をしっかりと向ける。
「あれで、エースの体を弄った」
「……」
「エースのことも……ルフィのことも、誰のことも考えてなかった……」
「……」
「ただ、私が……あいた穴を見たくなかった」
ルフィの真っ黒い目からレイルスは目を逸らさなかった。言われた言葉をなんとか理解しようとしているのだろう、ルフィの眉が少しだけ眉間により皺を作っている。麦わら帽子から差し込む光が、ルフィの頬に星のような光を当てている。
「穴って……」
「赤犬が空けた穴」
いっそ黒く見えるほどの濃い赤色。エースの命を刈り取って、レイルスの腕を奪っていった色。瞼を閉じた時に一瞬その色がチラつくことがある。ルフィはぎりりと奥歯を噛み締めた。グッと奥の歯茎が悲鳴を上げたように軋んで、手のひらを無意識に握り込む。
そして不意に、点と点がつながるように、脳がクリアになる。あの時の穴。弄った。礼を言っておけ、見たくなかった。ルフィの脳裏にパンクハザードで、ゲートの穴が光とともに閉じていく光景が流れた。全身から力が抜け、次の瞬間また強ばる。がば!と音を立ててルフィはレイルスの肩にしがみつくように両手を伸ばした。薄い肩を掴む指先は僅かに震えを孕んでいた。
「それ、それって」
「……」
「あ、あの穴、お前……」
「……塞いだ」
本当に、静かな声だった。レイルスの唇からそろっと落とされたその言葉はかろうじてルフィに届く。感情が読み取れない凪いだ表情でルフィを見上げてくる金色は昼間の高い位置にある太陽に照らされて爛々としている。珍しく狼狽えた様子のルフィに、レイルスは殴られることすら覚悟して静かに断罪されるのを待つ。身勝手な行動だった、遺族を顧みない衝動は今となれば恥じいるものだ。それでもきっとレイルスは何度でもそうしてしまう、そんな自分のこともわかっていたからルフィに謝りはしない。後悔はしていなかったからだ。
しかしどれだけ待ってもルフィは言葉を発さない。唇がぱくぱくと開閉こそしているものの、そこから音になりきらない。肩を掴む腕も力が込められることもない。引っ掛かるようにしてレイルスの肩に乗っかっているのみだ。
ルフィが何かを聞いてくるまで何も言わないつもりでいたレイルスだが流石の沈黙に少し心配になってしまい、それが一瞬表情に出てしまった。途端。
ブッワ、音が聞こえそうなほどルフィの瞳が一気に潤み、そこから涙が溢れ出した。
「え」
「お、おお”〜!」
絵に描いたような号泣。まさか泣かれるとは思っていなかったレイルスは完全に予想外だったのだろう、持っていた紅茶のことも忘れて立ち上がろうとしてしまう。しかしそれを感じたのか、ルフィが何語なのか判別できないような言語を泣き声と共にこぼしながらレイルスに思い切り抱きついた。太陽と海の匂い、体温の高いルフィにしがみ付かれるようにして抱えられたレイルスは、されるがままに呆然としてしまう。
その瞬間、パッとレイルスの手から消えたカップの温度にうっすらとローの能力の膜を目にしたレイルスは驚いて視線を巡らせる。辛うじてルフィから避けていたカップを気を遣って回収してくれたらしいローが悠々と紅茶に口をつけていた。
「おで、おでぇ!!あのどぎ、何にも、おぉお!!」
「ルフィうるせ、ってぇええ!?」
「あら、号泣ね」
「おばえも、うでおでの……おでのせいでぇぉおおぅ!!」
「え、なんでルフィ泣いてんだ!?」
「ルフィお前レディに何し、離れろ〜!!」
「なのに、えーず、あんな、おで!!」
「……レイルスが泣かせたんでしょ」
「ヨホホ、我慢してましたもんねぇ」
「おきだのにレイルスいねぇじ、ジャボンディにもごねぇじ……!」
「アーウ!珍しくルフィが距離測り兼ねてたからなぁ!」
「おでよりもしょうぎんだげえじっ!」
「やっとか、世話の焼ける」
「でも、でも……あぢがどう〜!!」
ほとんど何も聞き取れない中で、最後の感謝の言葉だけは、嫌にレイルスの耳に届いた。行き場をなくしていたかのように空に浮いていたレイルスの右手をぎこちなくルフィの背中に添えれば肩に染み込んでくる涙の量が増えた気がした。撫でることすらできずにいるレイルスの右手は、ただルフィにうっすらと触れているだけ。その分ルフィが隙間を埋めるようにギュウギュウと容赦なくレイルスに抱きついてきて、レイルスにはなんだか痛かった。
ポーラータングに乗っていたとき、いつもローに問いかけようかと迷って、結局は口に出さなかったとある疑問。トクトクと少しだけテンポの速いルフィの心臓の音を聞きながら、レイルスは空を仰いだ。
レイルスはローから渡されたコートを持ってアクアリウムバーへと移動した。メモ用紙が多かったため甲板で広げて飛ばされてしまう可能性があり、話が中断してしまったこともあって、ナミに一言告げて中へと失礼したのだ。
「う、うっ……」
べったりと背中にくっついたままのルフィをそのままに床に座り込んだレイルス。ぐっしょりと濡れている左肩に困った顔をしつつもどう声をかけて良いかもわからず好きなようにさせていた。話が中断した理由は言わずもがなルフィがそれどころではなくなったからである。サンジが「いい加減離れろゴム野郎!」と鬼の形相で引っ張り剥がそうとしていたのだが、ルフィの腕がびろーんと伸びただけでルフィはレイルスから全く離れなかった。なんならルフィが伸びて引き戻された衝撃でレイルスの体が軽く吹き飛んだのでサンジは顔が真っ青になっていた。マストにぶつけた後頭部をレイルスはそっと摩る。
すんすんと鼻を鳴らしてるルフィを背中に、レイルスはコートから資料を取り出す。その気配を感じたのか、容赦なく足まで腰に回されてしまってレイルスは思わず「う」と苦しげな声をこぼした。
「あのさぁルフィ、なんでそんなに私を船に乗せようとするの?」
残念ながら人を慰めることなど出来ないレイルスは、現実逃避のようになんでと思いながら聞いたことはなかったかもしれない、とふと思ったことを問いかける。
「本音を言うと、次の島で降ろしてもらいたいと思ってる」
レイルスのやることと、麦わらの一味とローの目的はおそらくずれている。今後のことを考えると、なるべく早くに降りたほうがいいと言うのがレイルスの本心だ。
「行くところもあるし」
「……帰りたいんだろ」
「あ、ああ……いや、帰らなくて良くなった」
ずっ、とルフィが鼻を啜る。メモや資料を仕分けながら、レイルスはそういえば彼らにはそう話していたなと懐かしく思っていた。2年前は確かに、帰ることを考えていた。資料は関係のないものが多く、そっとため息を吐き出しながら左側の山の天辺に乗せる。やけに亜酸化窒素についての記述が多いことを怪訝に思いながらサッと目を通すと、どうやら遺伝子実験らしい。DNAを固定しながら抽出し、安定化を測ろうとしているようだ。そこでなぜ亜酸化窒素?とレイルスは首を捻る。関係ないと思っていたが、遺伝子にまつわるのであれば多少目を通しておいたほうが良いかもしれないと、レイルスは大きくなっていく左側の山を一瞥して思案した。
「じゃあどこ行きたいんだよ」
「今調べてるところと……探すの大変そうなところ」
また関係のない資料だ。植物のRNAからも遺伝子の抽出をしようとしているようだが、当たり前だがDNAより苦労しているらしい、データのばらつきが大きいグラフが出てきた。再現性が取れなかったようである。
「俺はレイルスと冒険してぇ」
レイルスの手がぴたりと止まる。資料から顔を上げて背中に目を向ければ、ブスッとした顔のルフィと目があった。わかりやすいほどに面白くなさそうな顔にレイルスは少し面食らった。何かの拍子で麦わら帽子が脱げたのだろう、ルフィの表情がその分よく見えた。あまり見慣れない真っ黒な瞳にレイルスはひっそりと狼狽える。
レイルスはここまでまっすぐに同じ要望を押し付けられたことがあまりない。それは周りの優しさだったろうし、レイルスに今までそんな余裕もなかったから、何かを望まれていても見ないふりをしてきたというのもあっただろう。良くも悪くも、言ってもしょうがないと言った諦めがレイルスの周囲を覆っていたのだ。多分、唯一と言っていいほど何度も同じことを言っていたのは幼馴染の家の大黒柱であった老婆だけ。優しさだけを詰め込んだような彼女の頼みは、いつも少しの息苦しさが付き纏った。「あんたの顔忘れちまうから帰ってこい」。電話のノイズ越しに聞こえるその言葉はレイルスにとって毒のようだった。
レイルスは自覚していないが、優しさを嫌煙している。一時的な、その場限りの優しさならば受け取れるが、そうではなくなってしまった時に途端に距離をとりたがる。
しかしルフィの言葉にそう言った優しさは含まれていなかった、どこまでも純度の高いルフィの意思だけ。だからこそ、本心なのだとレイルスにまっすぐと伝わった。
「おもしれーもん見てぇし、美味いもん食いてぇし、すげぇもん見てぇ」
「……十分仲間がいるでしょ」
「今お前の話してただろ!」
ぐわ、と歯を剥き出して威嚇するように怒鳴られてレイルスは閉口した。本気で噛み付いてきそうなほどの形相だったのだ。
「島3つ過ぎるまではどっちみち降ろさねぇ、レイルスもドレスローザは行くぞ」
「うーん」
「何が不満なんだよワガママだな!!」
ルフィには言われたくないというセリフをレイルスはギリギリで飲み込んだ。我儘を絵に描いたような性格をしているルフィにすら我儘と言われるとは、とレイルスは眉を下げる。それにレイルスは我儘というよりは頑固だ。
「ドレスローザ行って、その後はトラ男に聞かねーとだけど、そこも行って、お前の行きたいところも一緒に行けば問題ねーだろ!」
気がつけばすっかりルフィの涙は引っ込んだようで、目元と鼻の先こそうっすらと赤いもののもう瞳は潤んでいない。2年前も泣いたんだろうな、レイルスは先ほどの様子を思い出して喉が詰まるような異物感を覚えた。
「だからそれまでは一緒に行くぞ!いつ俺が超えるかわかんねーんだから!」
「麦わら屋、言っておくがハートの海賊団でも予約済みだ」
ややこしいのがきた、とレイルスは思わず持っていた紙を床に放り出して頭を抱えた。バチンと音が出るほど勢いをつけて額に叩きつけられたレイルスの手のひらにルフィが少し驚いた声を出すも、部屋に入ると同時に不穏な言葉を発したローに視線をすぐに向ける。
「今でこそ七武海で取り下げられているが……お前との同盟が報じられてば除名はすぐだ」
「予約ってなんだ!」
「お前らは島3つなんて甘い条件らしいが、俺はこいつよりも額が1ベリーでも上回ればどのタイミングだろうが乗せる」
「はぁ!?」
レイルスを解放して勢いよく立ち上がったルフィ。その風圧で重ねていた資料が少しふわりと床を滑った。レイルスは呑気に「ああ」とそれらに手を伸ばしてちまちまと配置を戻している。そんな間にもローとルフィは顔を突き合わせる勢いで睨み合いを始めてしまっていた。
「七武海勧誘前が4億4000万……脱退となったら確実にそれより上の額になる」
「俺だって次上がる時は10億は上がる予定だ!」
「現実を見ろ、ガキみてぇなことをいうな」
関係のある資料はこれだけか、とそれを膝に乗せて一枚ずつ確認する。培養液の濃度や酸素濃度、栄養源の補給割合が書かれたリスト。経過観察のメモもあったが、本当にメモ書きでしかないためこれだけでは判断がつけられない。情報として欠けが多いなとレイルスは顔を顰めて米神をトントンと叩いた。
「俺としても、こいつの意見を聞いてもはっきりしねぇのはこの2年でわかった」
「それは俺もわかる、だから無理矢理乗せるんだろ負かして」
「あとは俺とお前、どっちが先にこいつの額を超えるかだ……お前が島3つ以内に越えられなかったら自動的にうちで引っ張るぞ」
「おいレイルス!オメェの話してんだから聞いとけよ!!ヒジョーシキか!!」
「あだ」
ルフィに軽くチョップを入れられてレイルスは驚く。またもルフィに言われるには屈辱的であろう言葉を向けられていたのだが、そう言われてもいいほどレイルスは全く話を聞いていなかった。ローもルフィも苛立ちで血管が浮いていた。なんでこうもこいつは自分のことに無頓着なんだとローは呆れの目を向ける。
本来であればレイルスがはっきりと意見を言えば済む話なのだ。麦わらかハート、どちらかはっきり選ぶでもいいし、乗らないなら乗らないなりの理由をしっかりと述べればそれで終わる。ローはそれが期待できないことがわかっていたためルフィのいう条件をつけての勝敗で、レイルスを無理矢理納得させるという方法が一番面倒がないと考えていた。そうでもしないとレイルスもなあなあに船に居続けることになる。ルフィはそこまで考えては居ないものの、2年前にシャボンディで海賊になれない理由を聞いた時も納得できるものでは到底なかったことは覚えていたため、だったら意見は聞くつもりがないという暴君ぶりを発揮していた。
「トラ男と俺、どっちがレイルスの額超えるか勝負だ!!」
「決まるまでお前もこの同盟の配下にいてもらう」
「……手伝えってこと?」
「それはいい、ドレスローザではお前は船番にするつもりだ」
「勝手に決めんなよ!俺はレイルスとドレスローザ見てまわりてぇんだ」
「お前も勝手なことを言うな、大体パンクハザードでヴェルゴのセリフをお前も聞いていただろうが」
「しらねぇよどうせぶっ飛ばすんだから!!」
「馬鹿なのかお前!」
投稿日:2022/0430
更新日:2022/0430