ピエロの行方
欲しい情報があまり得られなかったレイルスは不貞腐れるようにアクアリウムバーで大の字に寝転がっていた。いつの間にかローとルフィはいなくなっており(喧嘩しながら出て行ったのをレイルスは聞いていない)薄暗い部屋の中、レイルスは顔の真横に堆く積まれた、関係なさそうと分類した資料を恨めしげに睨んで、観念したようにそれを手に取る。
メモよりも圧倒的にきちんとした資料も多いため、適当に紙を持つと顔にはらりとしなだれかかってくる。レイルスはペラリと顔に乗ってきた資料に眉を顰め、ふぅと息を吹きかけて顔から退かせて、紙をピンと立たせた。片手で持たれた紙は緩やかに湾曲を描いている。レイルスの瞳が上から下へ、ゆっくりとそのカーブに添いながらも伏せられていく。
亜酸化窒素による遺伝子挿入。最初は眉唾な羅列にレイルスは顔を顰めていたのだが、意外にも中身はぎっしりと詰まった内容。どうやら真面目に取り組んでいるらしいとしっかりと読み込んでいけば、読めば読むほどレイルスの眉間の皺が深くなる。むっくりと起き上がったレイルスはその眼光で人でも殺せそうなほどだ。山になっていた資料をかき回すようにして広げ、レイルスはそれらに改めて目を走らせる。凄まじい速さであっちこっちに目を向ける眼球が、次第に険悪に細められていく。さら、と視界に落ちてきた自身の髪が資料に重なり一瞬、集中が途切れた。
「レイルス、サンジが声かけても反応ないって泣いてたわよ?」
その瞬間を見計らっていたかのように、スッと声が脳へと届く。視界の左側が明るくなる。顔を向ければ困ったように眉を下げたロビンが、レイルスの髪をさらりと上げていてレイルスは自然と肩の力を抜いた。どうやらセリフからサンジに何度か声をかけられていたようで、甲板に繋がる扉近くで、サンジがソワソワしながらレイルスとロビンを見ていた。
「ごめん」
喉がくっついているようなヒリつき。声も相応に干からびていたのは緊張からか。レイルスはこくりと喉を鳴らした。
「随分集中していたわね、一度お風呂に入ったら?私はさっきモモの助君と入ったから」
モモの助とは、錦えもんの息子のことでパンクハザードに囚われていたのだという。遠目には何度も見ており、竜の姿に変身するところも目撃しているのだが、何やら怯えられているのかレイルスには一切近寄ってこなかった。あまり子供に好かれる性格をしていないと思っているレイルスはそこまで気にしておらず、ロビンもそれを正確に読み取っていたため気後れせずに名前を出した。
「あー……」
「ナミが一緒に入りたがってるわよ、多分」
レイルスの髪を耳にかけながら、ロビンは少し声を落として話す。魚人島を出てから落ち着いていたはずのサンジの女性に対する免疫が、どうもまた不安定になりつつあったのを考えてだ。風呂の話をしただけで鼻血を噴かれたらたまったものではない。
「一度頭を整理するにもいいわよ」
「……そうする」
1人ではもっぱらシャワーだけだったり、ひどい時は錬金術で汚れを分解するだけで済ませていたための間だった。浴槽となるとまだこの腕で1人で入ったことはない。ナミが一緒に、とは言っているものの迷惑だろうなとレイルスは最初からその提案を除外している。
「お風呂は梯子で上がる先にあるんだけど、フランキーがいいものを取り付けてたからあなた1人でも上がれるわよ」
「うん?」
レイルスがアクアリウムバーから甲板に出ると、西日が長く差していた。時間経過に多少驚きながらも、レイルスはぎゅうと目を瞑る。薄暗く、ランプの優しい光の中で資料を見ていたレイルスの目は自然の光に呆気なく破れて悲鳴を上げた。
「レイルスちゃん、まじで腹空いてない?パンクハザード出てからまだ何にも食ってないだろ?」
「まだ出て数時間じゃない?」
レイルスが食べないと言うのもあるが、麦わらの一味はルフィの大食いのせいもあってちょこちょこと短時間の間に食べ物を口にすることが多い。そのせいもあって、間食も全くなしに資料と睨めっこしていたレイルスにサンジは「飲み物だけでも」と思っていたのだが、声をかけても気がついてもらえず、素晴らしいほどの集中力に落ち込みながらメロリンするという器用なことをしていた。せっかく出した紅茶も気がつけばローが飲んでいたのをこのコックはしっかりと把握している。サンジは確かに白いレイルスの顔の目元に、うっすらとした隈を見つけてそっとため息をタバコの煙と共に吐き出した。そして、先ほどローに聞いた話を思い出す。
チョッパーとサンジは、レイルスがアクアリウムバーにこもっている間にローに呼び出しをくらい、「念の為だ」と言われてレイルスの体について共有された。レイルスがそれを知れば個人情報の扱いどうなっているんだと多少不機嫌にはなっただろうが相手は海賊である。3人ともそんな気遣いをしている暇があるならレイルスの体を気にした方がよっぽどいいと思う質だったためレイルスの人権はこの時底辺にも等しくなっていた。レイルスほど自分のことを話さないような性格なのであればこれくらいで丁度いいだろうなんて、常時であれば気を使うサンジですらも納得していた。
ローも深いところまでは話すつもりはないので、必要最低限共有すべきと思ったレイルスの体の状態のみを話して聞かせた。それでもぐるぐると、目を回すようにチョッパーが顔色を悪くして嘆いた。
「じゃ、じゃあレイルスが食べられないのはその病気の後遺症なのか……!なんで言わないんだあいつ!!」
「不眠……気絶してる時以外、あんまり寝てなかったのは気のせいじゃなかったか」
不調を訴えない患者ほど厄介なものはいない。自覚があるにしろ無いにしろその厄介さは変わらないがレイルスのそれはピカイチだ。ゾロとサンジも似たようなものなので、チョッパーはまた増える、と頭を蹄で掻きむしった。そんなことを思われているなんて梅雨とも思わず、サンジは「頑張れよドクター」と呑気にタバコを肺に溜めた。
「でも子供の頃って、いつだろうな」
ふと、チョッパーの疑問言葉にローの顔が下にあるチョッパーへと向く。
「だって、子供の時にそんな後遺症を負ってたなら、あんなに成長できないだろ?」
「確かに」
チョッパーが腕を組みながらそういった言葉にサンジも頷く。ローは問診をしたときのレイルスとの会話を思い出していた。あのあと抗体検査をしたが、確かにレイルスの血液中にはレイルスが言う抗体が見つかった。しかし見つかるのがそもそも「おかしい」。レイルスの話では、代謝によってウィルスが大抵は排出され、重症化しない。しかし抗体が取れると言うことはウィルスの毒素と身体が戦ったと言うことだ。無毒のウィルスからでも抗体はできるだろうが、まずレイルスの胃だけああもはっきりと後遺症が残っていると言うことは確実に重症化が起きたと言うことだ。
「あいつの話を聞く限りじゃ、胃だけに症状が出ることがまずおかしい」
「……そうだな、2回目のウィルスの増殖で全身に回るんだろ?他に後遺症が出てないのは不自然だ」
「俺にはその2回目で有毒になるってのがよくわからんが」
サンジが煙と共に疑問を溢す。
「縄張り争いだと思えばいい」
「縄張り?」
「最初に体内に侵入した菌は、コロニー生成のために助け合うんだ。だから喧嘩しない」
「しかしある程度増殖が叶い、体内に散らばった菌はそうじゃない」
「菌同士で喧嘩して、その時に毒を産むんだ……だから、全身にその痕跡が残る」
「おー、わかりやすい」
実際には分裂の過程や変異なども関係しているのだが、流石麦わらの一味の船医、そんな小難しい話は全てカットした。ルフィ仕様な話し方である。ローは元から人に説明することも上手い人間であるため例え話なども得意だ。その手腕が中々にアホなクルーへの説明のために磨かれたものなので、ハートの海賊団と麦わらの一味は、その点に限って船長とクルーの関係性は真逆である。
感心したようにサンジが目を瞬かせた。「ウルセェ嬉しくねえぞコラ!」チョッパーがデレリと顔を蕩けさせたのを見ながら、ローは嫌な考えが脳裏に掠めた。
「考えたくはないが……」
言葉を途切れさせたローにサンジの目が向く。続きを促してみるも、「いや」とローは言葉を続けることを拒んだ。憶測が何かあるのだろう、サンジはローの顔を見て追求をやめたのだった。
「飲み物は大丈夫」
「そうか……」
兎にも角にも、ローとの会話で判明したことはレイルスはあれ以上の量を食べることが困難ということだ。であれば食べさせるものを厳選し、いかに栄養を取らせるかが鍵となる。特製のスムージーか栄養ドリンクなら、と画策していたサンジは喉も渇いていないらしいレイルスにしょぼんと落ち込んだ。落ち込んだと言うには大袈裟なくらいに凹んでいるサンジを放置してロビンはレイルスの背を押す。レイルスもレイルスでそんなサンジの様子に全く気が付かないままロビンの指さす先にあるブランコのような椅子を見て首をかしげた。
「あ!レイルス、お風呂入るわよね?私着替え持ってくるわ〜」
止める間も無くさっさと女部屋へ向かってしまったナミ。ロビンがさあさあとレイルスの背を押したことでレイルスは後ろを振り返りながらナミの背中が女部屋へと消えていくのを見送ることしかできなかった。ちなみにだが、タイミングの良すぎるナミの登場は、ロビンがあらかじめ能力を使ってアクアリウムバーから出る前にナミに声をかけていたからこそである。おかげでナミはそれまで一緒にいたモモの助を錦えもんのもとへ預けてこられた。
「お!使うのか?俺様のスーパーなブランコエレベーター!」
「エレベーター?」
コーラの瓶を片手に、フランキーが陽気に声をかけてくる。こちらもロビンの能力で声をかけられてダイニングから出てきた1人である。素直に首を傾げるレイルスにフランキーは気分上々に「まあ座ってみろ」とレイルスを促した。
「普段はただのブランコだが、ロープにスイッチがあるだろ?」
指を刺された方向に顔を向ければ、確かに顔の横のロープにスイッチが付いていた。上下にボタンが三つ、等間隔に並んでいる。上は青色、下は赤、中央にはグレーのボタン。
「まずは真ん中だ、押してみろ」
言われるがままに真ん中のボタンを押せば、少し重たいボタンがカチリと沈む。腰を下ろしていた木製の椅子が、ず、と一度持ち上がってレイルスは驚いて背もたれにぶつかった。その様子にフランキーが豪快に笑う。
「今ので重さを計測してんだ、悪いな多少は揺れる」
「先に言って欲しかった」
コン、と頭上から音が鳴ってなんだと見上げた先に、ブランコを支えていた支柱が壁の中へと引っ込んでいくのが目に入ったレイルスは目を丸くした。代わりに滑車とさらに上へと伸びるロープ、立て続けに起こるギミックにレイルスはあんぐりと口を開けた。新鮮な驚き顔にロビンとフランキーは微笑ましいものを見る目でレイルスを見守った。サニー号の変化を、レイルスは次第にキラキラとした目で見上げ始める。
「すごい」
「だろ?次は上のスイッチを押してみろ、上がっていくからしっかりとロープも掴んでおけよ」
コクコクと頷いてしっかりとロープを掴むレイルスは幼なげで、ルフィたちとは違った喜び方にロビンは胸を押さえた。2年前もそうだったのだが、どうにもレイルスはロビンのツボを的確に刺激しているらしいと横で見ていたフランキーは笑う。かち、レイルスがボタンを押すとするすると椅子が上へと持ち上げられていく。
「え、何それフランキーすごい!」
女部屋から衣類を持って出てきたナミが上へと上がっていくレイルスを見て感嘆の声をあげる。珍しく女性陣から好評の発明にフランキーも鼻高々に胸を張った。
投稿日:2022/0501
更新日:2022/0501