暮靄に吼える犬
「信っじらんない、本当に寝てないなんて」
バックバックとうるさい心臓を押さえながらナミはレイルスに非難の目を向ける。甲板からの明かりに照らされたレイルスの瞳が暗闇の中でギラリと光っていたのがなかなかに怖かったのだ。ベッドに横になるどころか、起き上がってジャケットから色々と取り出して整理をしていたレイルスは床に座り込んで暗闇の中作業をしていた。なるほど、首と体を切り離さなければ寝なかったというローの言葉もあながち誇張されたものでもなかったようだとナミは理解した。
明かりをつけられた女部屋にて、レイルスは頭を抱えてナミをじとっとした目で見上げる。驚いたナミに殴られたのだ。しかしそんな視線を無視したナミは、「そうだ!」と思い出したように手を打ってドレッサーへと向かう。小棚の一番下の引き出しを開けたナミは、そこに大切にしまっておいたものを取り出す。
「これ」
そう言って見せたのはレイルスがサニー号から離れる際に餞別として置いてったものだ。透けるダイヤモンドの持ち手に繊細な模様の入った万年筆。未だ使用されていないのであろう、新品同様のそれをみてレイルスは驚きに目を見開く。
「気に入らなかった?」
「ああ違う、そうじゃなくて本人から渡されたいじゃない?」
少し凄みのある笑みにレイルスはヒクリと口角を引き攣らせた。ナミはまだ起きていたことに対して引きずっているだけで、当時レイルスが船を降りようとしていたことを咎めようと言うわけではない。実際レイルスは何度も降りると宣言していたし、換金所でもそういった発言があったのをナミは記憶していた。最初にシャボンディに降り立った時点でレイルスの気持ちが決まっていたのであれば船に戻れなくなってこれらを回収できなかったと言うのも、サンジの話を聞いて腑に落ちたため今更何かを言うつもりもなかった。
「……そう言うもん?」
「そう言うもんよ、そもそもどうやって使うのよこれ」
「え?いや普通に万年筆だから……」
そう言ってナミから万年筆を受け取ったレイルスは膝にそれを置いて器用に片手で金の金具――みかんの葉をあしらったペン尻の蓋部分だ――を外す。興味津々にナミがレイルスの前にしゃがみ込んでまじまじとレイルスの手元を凝視した。
「ここからインクを補充して閉めれば密閉されるから……」
そう言いながらレイルスはナミに見やすいように万年筆の中身を見せる。よく見れば中は二重構造になっているらしく、レイルスは「この内側に入れればいいから」と親指の爪でそれを指す。
「ま、待って待ってだったらインク持ってくるから!」
「あ〜……じゃあスポイトとかない?」
「ない!」
「チョッパー持ってないかな」
ナミの様子から本当に万年筆を知らないらしいと気がついたレイルスはダメもとで聞いてみたものの、元気に首を振られて笑ってしまう。本来の用途とは違うが一つくらい譲ってもらえないだろうかとチョッパーの名を出せばナミは「もらってくるわ」と立ち上がって部屋を出ようとする。
「チョッパー!」
部屋を出て呼んでくるのかと思いきや、扉を開けて顔だけそこから出したナミがその場でチョッパーを呼び寄せたのでレイルスは犬猫じゃないんだから、と少し呆れてしまう。
ナミから渡された際にベルベットの布の袋に仕舞われていた手元の万年筆を改めて見下ろしたレイルスは、袋まで用意してしまってあったのか、と気が付いて複雑な顔をする。指触りのいいダークブルーの布には風車の刺繍がされている。
「レイルス〜!俺のも〜!」
「……なんで?」
チョッパーと共に戻ってきたナミに目を向ければ肩をすくまされてしまう。チョッパーの手には確かにレイルスが2年前に置いていったものと、小さめのスポイト。いつの間にかインクも用意したのかナミの手にはインク瓶があった。
「それで?」
ナミがワクワクしたようにチョッパーを抱えて床に座り込んできたので、まあいいかと流されることにしたレイルスはナミからインク瓶を、チョッパーからスポイトを受け取る。器用に片手でインク瓶の蓋を開けたレイルスに興味津々で2人は様子を見守る。
「適量、インクをスポイトで吸い上げて、中の筒にインクを入れる」
「あんた器用ね」
「どうも」
親指と人差し指でインクを吸い上げたスポイトをもち、小指と薬指で万年筆を持って言葉通りに中にインクを入れたレイルスにナミが感心した声をかける。スポイトをインク瓶の中へと突っ込んで開いた人差し指と親指で金色の葉を持ち上げたレイルスは「音が鳴るまで押し込む」と言いながら親指で蓋を押し込んだ。カチ、と軽い音がナミとチョッパーの耳に届く。
「逆さまにしない限りインクが漏れることはないだろうけど、たまに先端のペンポイントとペン芯……ああ、ここね、を取り外して水の入れたコップに一晩つけとけば、中でインクが固まるのを防げるから」
「もしかしてこれ、いちいちインクを付けなくても」
「そ」
そう言って悪戯に笑ったレイルスはナミにペンを渡す。受け取ったナミは驚いた顔をして、慌ててドレッサーへと向かった。どうやらメモか何かを探しているらしい。すぐに見つかったらしいメモ帳にするすると何かを書いたナミは感動したように声を上げた。
「すっごい!これ便利!!ありがとうレイルス!!今度からこれで海図書くわ!」
「おぉ!本当にインクにペン先付けなくてもかけるんだな!鉛筆みたいだ!」
パァ、と子供のような笑顔で喜ぶナミにレイルスも「どういたしまして」と笑顔で返す。異様なほどのナミの喜びようだが、実際海図を書く際にインク瓶が邪魔になることは多く、一息で書きたい時に途中でインクが掠れていてストレスが溜まることも多かったのだ。インクを付け足した直後も調整が難しいので試し書きは必須であったが、これならそんなこともないだろう、海図を書くスピードがあげられるとナミは頬を赤らめて純粋に喜んだ。
「な、なあなあ俺のこれって、これもナミのと同じか?」
そう言ってソワソワとしながらレイルスに差し出されたものは、確かにペン型のもの。しかしそれには首を横に振ったレイルスは「軽く振ってみて」手を左右に揺する。言われるがままにペンを持った手を振ればカチ、カチと中で何かが動く音と振動がある。
「おお!動いてるぞ!」
「だいたい5回で3分くらいかな」
「3分?」
「真ん中から上の部分回してみて」
「ここか?おおおおぉ!?」
くる、と蓋だと思っていた部分を回せば、なんとペン先部分のガラス部分が点灯した。目をキラキラとさせながら驚きの声をあげるチョッパーの息が荒くなる。
「さっきと同じところを回せば光を絞れたりするから……傷口見るのに暗い場所だと大変でしょ」
「す、すげぇ!!」
「わざわざ振らなくても、普段から持ち歩いてれば勝手に充電されるから」
医者には必須であろうペンライト。前に船に乗っていた時も一度も使っていなかったのでもしかして持っていないのかと思いつくったのだ。ピンクの帽子に合わせて淡い桃色のペンをチョッパーは改めてじっと見つめる。回転させる部分は金が使われているのだろうランプの光に照らされると、海面のようにキラキラと光っているようにも見えてチョッパーはデレ、と頬を緩めた。
「俺、俺!ずっと持ってるよこれ!!大事にする!」
あんまりにもその表情が嬉しさを伝えてくるものだからレイルスはらしくもなく少しだけ照れたように、はにかんで笑顔を返した。
この後、談笑している彼らに気がついたローにレイルスの首が吹き飛ばされて本気の悲鳴をあげることとなるチョッパーとナミだったがそれまではしばらく穏やかな時間が続いた。
投稿日:2022/0522
更新日:2022/0522