猩猩緋の鈴に続け
取引時間の45分前となり、一行はいよいよ鉄橋へと足を踏み入れていた。コンクリートと鉄で作られた橋をレイルスはじっくりと眺める。手で触れた鉄の部分は長く潮風に晒されたためか赤錆が浮いている。ザリ、と指先についた錆を親指と人差し指で擦り合わせているレイルスにロビンが「どう?」と声をかける。
「200キロぐらいの衝撃ならなんとかって感じかな」
「闘魚が200キロ未満だといいわね」
「そもそもどう襲ってくるんだろ」
「さぁ……巨大な牙を持っていて噛み付いてくるのかも」
「じゃあ200キロ未満の咬合力なら耐える」
「お前ら楽しそうに物騒な会話すんなよ!」
半泣きでウソップが声を荒げる。シーザーは嫌そうにしてレイルスを睨みつけ「何が200キロだ、あの太さの鉄の強度であれば」とぶつくさ言い始めている。
「どっちかというと折れにくい低炭素鋼だから……まあ、グニャって曲がるぐらいで済むかもしれないけど」
「ていた……あんだって?」
「低酸素鋼……鉄に炭素を微量に混ぜ込んだものを鋼って呼ぶの」
捕捉された説明にウソップはそれなら聞いたことがあると頷く。伊達に工房で色々といじっているわけではない。炭素量が増えていくと、鋼は強く硬くなっていく。しかし同時に靭性を失っていきしなやかさが欠けていく。本当に、嫌味なくらいにぴったりな名前だなとレイルスは思うところがあり指先のサビを光にかざすように掲げる。炭素の割合によって、鋼は極端にその性質を変える。硬さをとるか、柔軟さをとるか。用途によってバランスをとって配合を決める必要性があるのだ。
貫くべきところと、進むために曲げなければならないところ。折れないように、でも芯を曲げないように。きっと彼らは多くを選択したのだろう。そうして悩んで時には失敗して、大人になっていったのだ。そこにレイルスが関わる余地は一切なかった、それでよかったのだとそんな風に思えるほど彼らは立派に、誇れる人間になっていた。
「じゃ、じゃあ大丈夫ってことなのか?」
ウソップの問いかけに視線を落としたレイルスは顔をあげて「さぁ」と首を振る。ほろった指先からサビが落ちて潮風にさらわれていった。
「そもそも、普通鉄橋に使うのであればさらに合金元素を加えるのが一般的だし……それをこの材質で作ったってことは、折れないことに重きを置いて、靭性にステータス振ってるんだろうなと」
「……つまり、あえて曲がりやすい素材を使ってると見た方がいいってことか」
「よっぽど投げやりな工事じゃなければね、だから大丈夫かどうかはその魚次第じゃない?」
「お前の答えが投げやりじゃん!大丈夫っていえよそこは!」
ローの言葉に頷いたレイルスは、念のため最悪のパターンを口にするも、それは無いだろうと分かっている。何せこの橋を建てるために何度も試行錯誤をしたであろう形跡が見られるのだ。おそらく、これが一番「マシ」な形。それでもあえて口に出したのは、ローに釘を刺すためでもあった。どうも、普段のローには見られないほど今回は豪胆な計画なのだ。常時であればもう少し万全を期して計画を練っているところを、流れに任せる部分が多いようにレイルスは感じ取っていた。何より、人手が必要であろう工場探しにハートのクルーを連れてきていない。ツナギさえ脱いでしまえばこの国に紛れることだって容易であろうに、それをしていない。その説明がローからないということは、麦わらの一味にとってはいいものではないのだろう。
「さっきも思ったけれど、レイルスは成分だとか……そういう専門知識がすごいのね」
ロビンの言葉にレイルスは少し首を傾げる。専門知識が何を指しているのかわからなかったのだ。
「そういやカフェの時も地質がどうのこうの言ってたな、あれも本当なのか?」
「なんで嘘いう必要あるの」
心底不思議そうな声を出されてウソップはグサッと何かが刺さった気がした。基本的にああいう時は嘘で乗り切ることがほとんどであるためである。そしてそういえば上陸してすぐに地面にべったり張り付いていたな、と思い出してあのときに確認していたのかと推察する。だが、今も上陸時も基本的にはレイルスは対象を見ているだけだ。
「……そういうのって、普通ならこう……馬鹿でかい機械とかで調べないとわからないんじゃねーの?ほら、パンクハザードにあったみたいな」
パチパチと、レイルスの目がサングラスの奥で瞬く。意外にもこんな場面で錬金術に通じる質問を受けるとは思っていなかったためである。当の本人たちはそんなつもりは全くないだろうけれども。そして2人のいう専門知識が何に当たるか察して苦笑する。
「そ、そうだ!この鉄橋の成分が見ただけでわかるわけがないだろう!!まあ一流の俺様は?パンクハザードにそのためのOESやICなんかも完備していたがな!」
「いやもうあの研究所ぶっ飛んだだろ」
ウソップの冷たいツッコミにシーザーは「お前たちのせいだろうが!」と噛み付いた。ロビンと顔を合わせたレイルスは彼女の顔が不敵に笑顔を浮かべて目配せをしてきているのを見て、にやと笑い返す。
「……まあ、三流なら大袈裟な機械がなきゃわかんないだろうけどね」
「んな、貴様〜!!」
「はいはい、さっさと進も〜」
レイルスのわかりやすいほどの嫌味にローもどこか楽しげに口角を上げている。ウソップも「カッケェこと言うなぁ!」とゲラゲラと笑ってレイルスの後に続いたのだった。数歩進んだ後に恐怖を思い出してまた悲鳴をあげるのだが、数秒の間のみ程よい緊張感を纏いながらも和やかな空気が流れたのも確かだった。
「来たか」
「え!?」
「来たって?」
「おいおいそれって、まさか……!」
徐にローが足を止める。釣られて全員がその場で足を止め、その言葉の意味を察する。漣の音に紛れて、明らかに波を切る大きな音が近づいてきたことで全員が体を硬くした。真っ先に気がついたのは意外にもシーザーで、手錠をかけられた手で海を指さす。その先にはサメのような背鰭が、海から突き出して接近してくる光景。レイルスはとっさに橋から海を見下ろせる位置に駆け寄る。真下を通り過ぎる魚影の大きさにレイルスはヒクリと頬を引き攣らせた。轟音と共に海が持ち上がっていく、目測で幅を測ったレイルスはそれの重さを推測し、重力加速度やそもそもの突進力などを考えて鉄橋に勝ち目がないことに気がついてキュ、と口を閉じる。そしてとうとうその姿が水面から飛び出してくる。
「で、出た〜!」
ギョロっとした目が正面についており、その上どうしてかツノまで生えている。黒光する鱗は鉄のようにも見え、ウソップとシーザーは口を大きく開けて悲鳴を上げた。悠々と鉄橋の真上を飛び跳ねて通過した飛躍力、レイルスは改めて鉄橋を見つめてなるほど折れるよりマシと言うわけかと理解した。
「闘魚って……てっきり魚かと」
「魚じゃねぇか」
「もう魚じゃねぇだろありゃ〜!!」
「尾鰭が縦だったから一応魚類」
「そういうことじゃねぇんだよ!怪獣と変わらねぇ!ケモノだ!!」
レイルスの補足は見事にウソップに噛みつかれてしまうも、ロビンは「あら、尾鰭まで見えなかったわ」と少し残念そうにしている。ウソップはもしかしてこいつら知的好奇心の高さゆえに危機的状況が理解できていないのかと白目を向く。嫌なところで意気投合するなとウソップはついに涙が出てきた。顔に出ないだけでレイルスもロビンも充分驚いていた。
「また来た!」
「一匹じゃないわ」
「え……?ウヨウヨいるぅ〜!!」
「レイルス、鉄橋は持ちそう?」
「さ、流石に大丈夫だよな?」
「全然無理だと思うけど」
「そうかなら安心……って、え??」
全然、の後に嫌な言葉を言われた気がしたウソップは鼻水を垂らしてレイルスを見る。いや、聞き間違えかもしれない。だってそれならもう少し深刻に言うだろうしあんなサラッと無理なんていうわけが、と必死に現実逃避をしていたウソップの目の前に闘魚が海から飛び跳ねてこちらに突進してくる。ガァン、凄まじい音を立てて鉄橋をぐにゃりと変形させた闘魚の頭が目の前に現れてウソップとシーザーは甲高い悲鳴を上げた。
「もっと、もっと!深刻にいえ!頼むから!!」
セリフに込める感情に文句をつけられてしまったレイルスはどうしていいかわからずそれをスルーし「どうする?」と問いかける。このまま進むのは問題があるだろう。闘魚は群れで行動していることから、先ほどの攻撃が立て続けに降りかかる恐れもある。
「大丈夫だ、こいつらがなんとかする」
そう言ってローが指を刺したのはウソップとロビンである。あんまりにも他力本願な物言いにレイルスはええ、とたじろぐ。案の定ウソップは「お前がやれよ七武海!!」と長い鼻をローに突き刺す勢いでくっつけて怒鳴った。レイルスはウソップのこう言うところを見ると怖がりなのか度胸があるのか分からなくなる。
「いや、今俺は戦えねぇ……きたぞ」
「くそ、『必殺緑星』……ってぎゃ〜!!3匹もぉおお〜!!」
「『千紫万紅・巨大樹――スパンク』!」
ロビンが能力で巨大な腕を鉄橋外部に生やし、闘魚をビンタするようにして突き飛ばす。これまたとんでもない技だ、とレイルスはギョッと目を向く。何度でも思うが、本当に悪魔の実というのは反則的だ。
「『必殺緑星・ドクロ爆発草』!」
もう一匹いた闘魚も大きく開いていた口にウソップの爆薬を受けて海へと落下していく。残った一匹を見上げたレイルスは徐にしゃがみ込んで橋のコンクリート部分に手を当てる。バチバチという錬成光とともに、コンクリートが棒状に変形し闘魚へと凄まじい勢いで伸びていき、闘魚の眉間に轟音と共に当たる。急所に衝撃を与えられた最後の一匹も泡を吹いて海へとドボンと落ちていった。
「上出来じゃねぇか」
「バカ言え!どんだけいると思ってるんだ!」
「ウソップ!なんかすごい刺激臭を出す武器とかないの?」
「あぁ!?こんな時になんだ!!」
一斉に走り出しながら会話を続ける全員の頭に、戦っていてもキリがないという言葉が浮かんでいる。ベポの地図で見てもなかなかに長い鉄橋だったのを思い出したレイルスはウソップにダメもとで声をかける。全員怒鳴るようにして声を大きくして会話をしているのは、闘魚の跳ねる音で何も聞こえないからだ。
「闘魚の顔見たでしょ、あの鼻の大きさ!多分だけど地上にいるこっちの位置は匂いで判別してる!」
「!なるほどそういうことなら!『必殺緑星・ラフレシア』!」
後方へと狙いを定めて何かを放つ。チラ、と後ろを振り返ったレイルスの目には毒々しい色の花が見える。これで多少向こうに引き寄せられてくれるといいのだが、とレイルスが顔を顰めている間にもこちらに向かってきている闘魚は容赦なく襲いかかってくる。後ろにたなびくレイルスのコートの左腕を見てローがウソップにシーザーを解放するように指示を出した。まだ先は長い、ここで体力を削るのは愚かだ。
シーザーに戦わせるのはいいが、海楼石の錠を外してしまえばガスになって逃げられてしまう。そう懸念したレイルスとウソップが顔を顰めるもローは悪どく笑って一つの心臓を掲げた。
「下手な真似は出来ねぇさ」
「ま、まさか、それ!」
「うわあ悪」
「なるほどそれなら安心だな」
いつの間にかシーザーは心臓をローに奪われていたらしい。あっさりと手のひらを返してシーザーの錠を取り放ったウソップは、「よーしいけ!」と上機嫌ですらあった。よっぽど戦いたくないらしい。しかし、実際シーザーの能力は対闘魚において非常に役に立った。口から謎のレーザーを発射するシーザーにレイルスは心底訳がわからなかったし、なんでもありすぎて頭が痛くなっていた。
「おお強力!さすが3億の犯罪者!……って!さっきラフレシア放ったところヤッベ〜!橋がなくなってるぅ〜!!」
シーザーの放つ光線の爆発の隙間から見える光景にウソップは声を裏返した。橋が倒壊してなくなっており、その上そこからバッシャバッシャとえげつない水飛沫が上がっている。確実に多くの闘魚がそこに群がっているのだろうと理解したロビンとウソップはレイルスへと歓声を向けた。しかしこれで戻ることができなくなったのも事実。ローはより一層足を早めて「駆け抜けろ!」と一行に叱咤を飛ばす。
「だあから!オメェはなんで戦わねぇんだ!」
「そうだ!俺にばっかやらせんな!」
これまで一度も能力を行使していないローに、ウソップとシーザーが不満の怒鳴り声をあげる。
「俺の能力は使うたびに体力を消耗する、帰り道にこそ本領を出さなきゃならねぇ……わかるか!少しでも力を温存しておくんだ、相手はドフラミンゴだぞ!」
そんなデメリットがあるのか、とレイルスは初めて聞いたローの能力の制約に驚く。走りながらロビンに目を向ければ「私もそんなところね」と声を返されて、聞くまでもなく回答をされたレイルスは苦笑してしまった。悪魔の実は千差万別、しかしパラミシア系の能力者は能力の発動が体力の消耗によって賄われることが多い。体力だけで済んでるのがおかしいんだけどな、とレイルスは内心でまた白目を剥いた。何年経とうがレイルスにとって悪魔の実とは未知なものである。後方の闘魚をシーザーに一任し全速で走っていた一行だが、ついに前方の道がなくなっていたことで足を止める。闘魚によって破壊されたのだろう、ぐにゃりとおかしな方向に引きちぎれた鉄橋が海面に向かって項垂れるように伸びている。コンクリートの部分も綺麗になくなっており、霧の向こうにかろうじて見える続きの橋までには数十メートルの距離があった。
錬金術で伸ばすにしても、今立っているこちら側の橋をこれ以上薄くしてしまっては一瞬で闘魚にやられてしまう。それに伸ばしている間に闘魚がおとなしくしているとも限らない。レイルス1人であれば自分の足場のみ伸ばしてそのまま飛んでいくようにして反対岸にいくことはできたろうが、ローのいう「帰り」を考えるとそれも愚策でしかない。海に降りて氷の橋でも作るか、とレイルスが橋の下を覗き込もうとするのをローが襟に手をかけて止める。
「ぐぇ」
「正面から闘魚だ」
レイルスを引っ掴むのとは反対の手を地面に向けたローを見て、体力温存どころではないということか、とレイルスは顔を歪める。本当ならその手をガッと掴んで下ろしてやりたいところではあるが、レイルスにはそんな権限はない。実際今同行しているのも、協力しあっているのも目的が一致しているからにすぎないのだ。レイルスは2年前、そこを履き違えてしまったということをきちんと理解している。だからこうも彼らに情を移されてしまったということもきちんと。踏み込みすぎてはいけないのだと今更ながらに反省しているレイルスではあるが、本当に今更である。
しかし、ローの能力が展開するその直前、闘魚が空中で動きを止めた。どす、と銛のようなものが腹に突き刺さり、ブワリと闘魚を覆うようにネットがかけられる。一瞬の出来事にレイルスもロビンも驚きに顔を染めた。
「取れた取れた〜!」
「引けひけ〜!」
「今日は決戦!闘魚シチューで力をつけるぞぉ〜!」
おお!と複数名の声が上がる。辿々しい言葉遣いにレイルスは顔をさらに疑問でいっぱいにした。本当に彼らといると目まぐるしい。頭の処理が追いつかなくなりそうでレイルスはローに猫のように首元を掴まれたままぐりぐりと眉間を揉んだ。
「誰の声?」
「島の住人たちか……?」
「無人島じゃなかったのかよ……おーい!そっちにいるのは誰だー!俺たち、橋を渡りたいんだがー!」
ウソップが声を上げて声をかける。慌てたような声がしたと思ったら、倒れた闘魚がズルズルと引きづられていった。なんだったんだ、と全員がしばし呆然とする中、1人後ろの闘魚と格闘していたシーザーが息を荒げて怒りを露わにした。
「お前ら!いい加減にしろよ!!」
それを横目にローに降ろすようにと訴えるため、レイルスはチョンチョンとローの足を蹴る。思い出したようにローはレイルスをパッと手放した。
「シーザー、島まで飛べ」
そして容赦なくシーザーを移動手段として扱ったローの機転により、橋より遥か上空を、全員で飛ぶこととなる。まるで気球のように体を膨らませて全員を持ち上げるシーザーの顔色は相変わらず悪い。
「いやぁ絶景かな、絶景かな」
「最初からこうして移動すればよかったんじゃない?」
「んお?そういえばそうだな」
「ふざけんな!!4人浮かすのにどれほどのガスエネルギーを要すると思ってやがる!!」
「熱気球ならもうちょい効率良さそうだけど」
「俺様に死ねっつってんのか!」
ガス気球か、とレイルスがシーザーを見上げる。空気より軽いガスを詰め込んで浮かせる原理であるため、自然と原子番号の若いものが当てはまるが。一番軽いガスといえば水素、ついでヘリウム。大方その辺りのガスを発生させているのだろう。どちらも引火性はバッチリである。
「俺は大切な!人質だぞぉ〜!」
投稿日:2022/0624
更新日:2022/0624