異観を呈する崖

 海へ出た。本島へと続く鉄橋を目にしてレイルスは目を細める。船は見当たらないが、ドフラミンゴがこちらの思惑に気が付いてサニー号を沈められるのが一番嫌な展開なため、むしろ好都合。島の中はほとんど空を飛ぶようにしていたローだが、海岸へ出ると空中で位置を入れ替えられるものがないために地面に足をつけ走り出す。ローの手に握られた小石を一瞥したレイルスは降ろされた地面にうまく着地し自ら走り出す。シーザーはいまだローに引きずられるようにしている。この状況を打破するためにもとレイルスはローへと声をかけた。
「提案が」
「聞かねぇ!」
「聞けよ!」
 一刀両断されて吠えたレイルスにローは録でもない話だろうと顔すら向けない。レイルスはドフラミンゴの言葉がどうも先ほどから引っかかっていた。「エルリック、お前には劣る」そう言ったその意図が読めない。まるでレイルスのこれまでの人生を全て知っているかのような言い回しは暗にレイルスが単なる賞金首ではないのだということを指していた。海軍に聞いたのかとも思ったが、ドフラミンゴは確かにマリンフォードとも言った。レイルスの手配書が回る前から何かを知っていたということだ。となると、あのセリフは元天竜人として出た言葉として考えられないだろうか。シャボンディ諸島でレイリーが口を酸っぱくして髪や目を隠せと言っていた根本も天竜人。そもそも、レイルスが疑問を持つのが遅かったのだ。天竜人が何を知り、何を求めているかに気を取られすぎていたともいうが、何故知っているのか。その疑問を最初に抱くべきだったのだ。奇しくもローに向けて理由も理屈もわからないけれどと投げかけた言葉がそのまま戻ってきたのをレイルスは理解し嘲笑する。
 錬金術のないこの世界で、何故。ホーエンハイムを知る由もないこの場所で、どうしてレイルスの血が求められるのか。
 ドフラミンゴが振るった糸がレイルスの帽子にかすって、反動で帽子が地面へ転がる。解れた髪の一部が潮風に踊り金色を惜しげもなく煌めかせた。この世界でこの髪と目が持つ意味とはなんだ。背後に迫る男がそれを知る可能性があると思うとレイルスの足が止まりそうになる。止まったところでドフラミンゴが素直に全てを話すとは思えない、レイルスにはそれが嘘か誠か確かめる術もない。ドフラミンゴの部下でボコったら簡単に喋るやつがいれば楽なんだけど、とチラリとシーザーを見ながらそんなことを思うレイルスの耳に悲鳴が届く。
「しまった、あいつら!」
 レイルスとローが目を向けた先にはサニー号。ドフラミンゴもこちらへの追撃の手を止めて海へと目を向けて、ニタリと笑う。ふわりと体を浮かび上がらせてドフラミンゴはサニー号へと飛んでいく。
「待てドフラミンゴ!そいつらは関係ねぇ!」
 ゼー、と息を吐き出したレイルスは一度膝に手をついて砂浜を見下ろす。考え込むようにして目を瞑り、意識して息を吸い込む。前傾した姿勢から起き上がりすっかりくしゃくしゃに崩れてしまった髪に右手を伸ばして乱暴に引っ張る。
「ドフラミンゴが空を浮く原理は」
「今それどころじゃ……!」
「いいから、サニー号が逃げるにしても飛んで追われたら元も子もない」
 静かなレイルスの目を見たローは言葉を飲み込んで、低い声で語る。空に浮かぶ雲に糸を引っ掛けて体を浮かせている、そのため雲がない場所では追ってくることはない。なるほどと頷いたレイルスは準備運動のように肩を回し手首をぶらぶらとさせた。髪は結われていたせいか所々癖になってしまっているものの、普段と変わりないレイルスの表情、落ち着き具合にローも息を整えるべく痛む喉をごくりと鳴らしてため息のような息を漏らす。荒い呼吸を繰り返したからか、戦闘のせいか喉の奥から血の味がした。
「何をするつもりだ」
「見てればわかる」
 ふらりとレイルスが波打ち際まで足を進める。遠く見つめる先にはドフラミンゴが飛ぶ後ろ姿とサニー号。目測おおよそ1キロと言ったところだろうか。水平線は距離が掴みにくい。バチバチバチ、とレイルスの体の横に下されていた右手から小さな静電気のような音が発生する。ローはなるべく静かにその様子を伺った。レイルスがああいう目をしている時、大抵は細かな計算をしていることを知っていたからだ。頭の中で完結させるには凡人では無理な計算を展開させて、凄まじい演算力で答えを弾き出そうとしている。口を開こうとしたシーザーの鳩尾を殴って黙らせる程度にはローもレイルスの思考を途切らせたくなかった。チグハグな女だ。粗く見せて繊細で、バカに見えてその実恐ろしく賢い。人間臭いのに、こうしてふと同じ空間にいることすら躊躇うような空気を発する。レイルスの口角がニッと持ち上がるのを見たローは、いつの間にか細くなっていた呼吸を、意識して大きく整えた。
「大人しくしてると思って舐めんな!!」
 ざぁ、と波が引いた瞬間、レイルスは地面へ手のひらを叩きつけた。深閑とした空気を荒々しい声と行動で一気に突き破る。バキバキと大きな音を立て、猛然とした勢いで海が一気に白んでいく。ローは錬成光の眩しさにか目を細めていたが、次第に驚きから目を見開く。潮風が祝福するようにレイルスの髪を巻き上げた。
「う、海を凍らせやがった……!」
 ありえない光景にシーザーが悲鳴のような声を上げる。これではまるで青雉だ。ローもまさかこんなことまでレイルスができるとは思っていなかったため息を呑んでその光景を一瞥する。サニー号を避けるようにしているのだろう、船だけはいまだ波に揺られているが凍った海面は船の場所まで届いている。現にサニー号を襲っていたのであろう闘魚が海面付近で凍らされているのを見つけたローは「ハッ」と笑ってしまった。
「上出来だ鉱屋!」
「そらどうも!」
 ほとんど同時にローとレイルスは海へと足を進める。海面が一気に冷やされることでの利点は何も道ができることだけではない。急激な温度変化によって海面付近の空気は冷却されて収縮する。空気が重たくなるのだ。これによって発生する上空との気圧差――上から下へと向かう下降気流が発生する確率が上がる。これだけの晴天なら尚更だ。下降気流が発生すると雲が少なくなるのは有名で船乗りであれば予想できること。今すぐに、というわけではないだろうがその時間はローが稼げばいい話。言葉を交わさずにここまで互いに考えがわかるのは、レイルスがハートの海賊団にいた時間による産物と言えた。
 ドフラミンゴも途端に凍った海面を見てパンクハザードであった青雉を思い出して動きを止めた。そして海岸からこちらへと走って向かってくる金色を見て全てを悟る。
「ああいいねぇ、可愛がってやりたくなるなァ」
 誰にも拾われることのないその呟きに1人ほくそ笑んで、船へと向かう。突然あたりの海が凍ったことでまさか青雉がとパニックに陥っているサニー号ではナミがチョッパーに「闘魚は!?青雉はァ!?」と悲鳴をあげていた。双眼鏡を持っていたチョッパーが冷や汗をダラダラとかきながら「青、あお、嫌だァ!!」と言葉にならない絶叫をあげながらもあたりを見渡す。海面がしっかりと凍っているのだろう、気泡とともに先ほどまで元気いっぱいにサニー号に体当たりしてきていた闘魚の群れが一匹残らず氷漬けにされていてチョッパーはついに涙を流した。
「と、とと闘魚が全部凍ってるゥ!!よかったけど、よかったけど!!」
「じゃ、じゃあ青雉は!?見えるところにいるの!?」
「青雉は……アレェ!?ど、ドフラミンゴが飛んでくる……!!」
「えぇえええ!?」
「何この悪夢!私たち死んじゃうの!?」
「いやぁ!!死にたくないです!!私もう死んでますけどォ〜!」
「言ってる場合かァ!?」
 お互いに抱きしめあって号泣する4人は本気で死を覚悟した。ローからシーザーを受け取って仕舞えば船が狙われることは予想できていたが、受け取る前から狙われるなんて思ってもいなかったのだ。相手は七武海、勝てっこない。ブルックは先程戦闘して捉えたドフラミンゴの部下、ジョーラが「若様!」と嬉しそうにしているのを見て「私たちにも来てください助け〜!!」と他力本願に叫んだ。
「クソ!間に合わねぇか!?」
「ローだけ能力で飛べば……!」
「バカ言えあれだけ上空に飛ぶのに何度能力使うと……!いや待て!!」
 ローの見聞色が何かを捉える。ローの視線につられるようにレイルスも顔を上げればドフラミンゴに向かって何かが接近している。目を凝らしていたレイルスだが、それが誰であるのか気が付いて一気に安堵の表情を浮かべた。
「おい!泣いて嫌がるうちの仲間に……近寄んじゃねぇよ!!」
「さ、サンジ〜!!」
 サニー号の危機を知って現れたサンジの渾身の蹴りが、ドフラミンゴの動きを停止させた。駆けつけたサニー号を取り囲む状況の異様さにサンジは驚きながらもドフラミンゴと対峙する。周辺の海は凍てつき、海面から深くまで分厚く氷が張っているのが見て取れる。前半の海で同じ光景を見たことがあった。ロングリングロングランド――トンロボ現象によって広範囲にわたり大きく潮が引くことによって、普段は転々と離れている島が年に一度、数時間だけ環状に繋がる。3年に一度の頻度で島から島へと移り住む民族の男、トンジットを家族の元へと戻すためと言って、青雉は島と島を隔てる海を凍らせたのだ。地面よりもずっと硬い分厚い氷。あの時の光景だとサンジは思わず喉を鳴らす。海軍をやめて賞金首となった青雉を敵とみなすとしても、「今」相手取るのは愚策。武装色で硬化した脚で捉えたドフラミンゴの攻撃から、その強さははっきりとしている。サニー号の周辺だけはぽっかりと穴が空いたように凍っていないがどういうことだろうかとサンジは眉を寄せた。
 レイルスは上空で戦いを続けるサンジとドフラミンゴを見て「人間びっくりショーか!」と怒鳴りながら凍りついた海面を殴りつける。人が空を飛ぶことが当たり前に思えてしまいそうだ。バキバキと音を立てて、円錐状の氷柱を作り上げたレイルスはローへと向き直る。
「サンジ回収がてらシーザー捨ててこい!!それ邪魔!」
「テメェこの俺をなんだと」
 シーザーがレイルスのセリフに噛み付いている間にローは能力を展開し、レイルスが立てた氷柱から落下する欠片と自分の位置を入れ替える。そこからであればドフラミンゴも射程圏内。手に持った小石をできるだけ遠くへと飛ばし、ドフラミンゴと小石、自分の位置を一気に入れ替えてサンジの腕をがっしりと掴んだ。じわりとローの手が血に濡れる。
「悪ィ俺のミスだ、船へ飛ぶ」
 ローが思考する時間がないほどの状況にサンジが追い詰められていたというのもありローはレイルスの言葉の通りに行動をせざるを得なかった。実際シーザーは荷物でしかない。ドレスローザにシーザーを置いておくよりは今ここにいる麦わらの一味に託してしまった方が都合がいいだろう。あらかじめサニー号に置いていたロー自身の心臓を船内から回収し、ローの心臓位置に収めていたシーザーの心臓を返してやりながら改めてドフラミンゴを確認する。まさかの場所から出てきた己の心臓にシーザーは今日一番の声を上げた。やはり船へと向かって来る敵影にローは舌を打った。レイルスはと顔を向けてギョッと目を見開く。
「あの馬鹿!」
 レイルスはドフラミンゴへ向かって走り出していた。ローの声になんだと同じように顔を向けた一味は、氷の上を走る金色の髪を見つけてガーンと揃って口を開いた。氷上の上の黄金色はとんでもないほど目を引いた。
「レイルスさん〜!?何やって、危ないですよォ!?」
「なんでああなの!?なんでなの!?相手はあんたのこと狙ってるってあんだけ言い聞かせたじゃないの〜!!」
 そんな船の上の悲鳴も聞こえていないレイルスは姿勢を低くして指先で氷を引っ掛けるようにして触れる。バッと前方にスイングした腕に伴って触れた指先から氷が盛り上がり、凄まじい勢いで氷の壁がドフラミンゴとサニー号の間に発生する。反動で反転した体をレイルスは器用に氷を滑って止める。
「な、なんで青雉の能力を……!?」
「海を凍らせたのもレイルスだったのか!?」
「今はそれどころじゃねぇ!お前らは今すぐシーザーを連れてゾウへ向かえ!!」
 ゆっくりとした動作でドフラミンゴがレイルスへと目を向ける。「熱烈じゃねぇか」と笑いはするものの、ドフラミンゴが腕を一振りしただけで壁は粉々に粉砕される。頭上に落下してくる氷塊を避けながらレイルスは確実にドフラミンゴに近づいていく。声が聞こえる範囲にまでやってきたレイルスを見下ろしながらドフラミンゴは忠告のように言葉を吐き捨てた。
「今お前に構っていられないんだ、エルリック!後で相手をしてやるから良い子で待ってろ」
「Sacrifice Anything for Dan」
「!」
 レイルスが静かに口にした言葉は不思議とドフラミンゴの耳に鮮明に届く。レイルスの口角がニッと吊り上がり金髪の間から覗く黄金色の瞳が爛々と輝く。足を止めたレイルスは首を逸らしてドフラミンゴを見上げた。見下ろしているはずが、気高く気品あるレイルスの風格にあたりの空気が静寂を孕む。
「うまく名付けたね、それとも皮肉?」
「……何が言いたい」
「9割の欠陥品を生み出すシーザーへの皮肉なんじゃないの」
 ゆるりと首を傾げるレイルスの顔はのっぺりとした笑みが張り付いている。小さな氷の欠片が、キラキラとレイルスの周囲に降り注いだ。ドフラミンゴはそこにおぞましさを垣間見てブルリと背筋を粟立たせる。マリンフォードであの場にいるほとんど全員の視線を掻っ攫ったあの大掛かりな儀式。あの時の空気が肺にまぎれ混んだような心地に陥ったドフラミンゴは、楽しげに笑ってみせる。
「色々話は聞きたいけれど、その前に」
 右手をグ、グ、と握りしめて感覚を確かめるようにして開閉してみせたレイルスは顔から笑みを消して無情表でドフラミンゴを見上げた。風に遊ばれて靡いたレイルスの髪がゾッとする色の瞳を覆い隠す。
「2、3発ぶっ飛ばす」

 - return - 

投稿日:2022/0722
  更新日:2022/0722