無計画な自由
太陽光で表面がつるりと溶け始めた氷上でレイルスは横たわっていた。ゼーゼーと洗い息をつきながら、起きあがろうとするレイルスの背中を踏みつけたドフラミンゴは心底わからないと言った様子で氷を血で汚す女を見下ろした。最初からレイルスにはドフラミンゴに勝つつもりがなかった。殺気を持たずにここまで戦っている理由が見えない。麦わらの一味を逃すためかとも考えたが、それにしてはあまり周りを気にしていない。戦い、というよりはドフラミンゴの一挙一動に集中し切っていたレイルスの様子は、時間稼ぎにも見えなかった。違和感が拭えずにいるドフラミンゴは、笑みを引っ込めて血塗れの女を改めて見下ろす。「本体」の方はすでにドレスローザ本島にてローを捕らえたところだ。少しでも体重をかければ背骨が折れるであろう頼りない体。隻腕でよくぞここまで持った方だと感心すらしてしまうほどレイルスの体はズタボロだった。
「そろそろ飽きた」
「は……ッグ」
レイルスが何か話そうとする口を塞ぐように、ドフラミンゴが足に力を込めれば肺から空気が押し出されたようなうめき声をあげる。多少の怪我は捉えているトンタッタ族の姫、マンシェリーのチユチユの実で治せばいいのだ。押し付けられているドフラミンゴの解けた足の先から、スルスルとレイルスに糸が伸びていく。
「2年前にお前の腕を赤犬が溶かしちまったのだって大事件だったんだ。安心しろ、これ以上体を落とさないようにしてやるだけさ」
「何、を」
「あとこの上着はよくないな、お前には無骨すぎて似合わない」
人差し指を動かしただけでレイルスのジャケットを取り払っていったドフラミンゴに、レイルスが驚愕の目を向ける。ふわふわと中に浮くジャケットの内側が露見しており、ドフラミンゴは興味深そうにそれを眺めていた。
「2年前のポートガス・D・エースの死体……美しかったなぁ、あの時の光景は」
残念ながらその時レイルスがきていたコートは、そのまま赤髪が死体と共に回収。地面に残された美しい血の陣も、赤髪によって破壊されてしまい原型をとどめていなかった。ドフラミンゴが初めてマジマジと眺めた陣は、レイルスの血が滲んだ布の上。絵画でも眺めるように視線を滑らせたドフラミンゴだが、「残念だよ」という述懐とともにジャケットを海へと放り投げた。
「!」
「見ていればわかるさ、これがなきゃお前は何もできないんだろう」
沈んでいくジャケットを見てレイルスが身を捩って暴れるも、ドフラミンゴはそれ以上の力で押さえつける。スルスルと解けてはレイルスにまとわりついていく糸の量が増えていく。レイルスの口や目元まで覆う糸、白い糸にレイルスの血が滲みすぐに赤く染まっていくのをドフラミンゴは上機嫌に見下ろした。
時を同じくしてコロシアムのルフィたちの目の前に満身創痍となったローと、そのローへ銃を浴びせるドフラミンゴが現れた。
「騒がしくして悪かったな、七武海海賊――トラファルガー・ロー。こいつが今朝の王位放棄誤報事件の犯人だ、俺を引き摺り下ろそうとしていたが安心しろ……今退治した」
民衆へ向けて静かな口調で語るドフラミンゴ、目の前で突如血まみれの男が現れて怯えていた国民が次第に安堵の声を漏らす。ゾロは異常だ、と国民の笑顔を見て気分を悪くした。血塗れの死体同然の男が現れて安堵を浮かべるなど、危機感があまりに欠けている。七武海で海賊である立場は、ドフラミンゴと何一つ変わらないというのにだ。ゾロはかつて、本当の国王というものを見ていた。王として国民を守る、例えばアラバスタの王や竜宮王国の王のような男と、目の前の男は決定的なほどに違う。紛れもないドフラミンゴは王ではなく海賊だ。守る為に君臨するのではなく、奪うために征服しているだけだ。その違いすらわからないほどにこの国の人間は考える頭を無くしている。
「おい!ミンゴォ!!お前!よくもトラ男を!」
コロシアムの鉄格子の中からルフィが吠える。ドフラミンゴもよく見れば無傷というわけではない。
「麦わら、テメェにとやかく言われる筋合いはねェ……ローは元々俺の部下、ケジメは俺がつける」
「錦!トラ男を運べ!!」
「承知した!!」
ゾロと錦えもんが揃ってドフラミンゴへと斬りかかるも、ドフラミンゴの間に影が入り込む。白い正義を纏った男、賭博場であった盲目の男が大将の位を持って目の前に立ちはだかった。立て続けに目の前で斬り伏せられるゾロと錦えもんを見たルフィが外に出ようと格子に手をかけるも、みるみる力が抜けてしまう。厄介なことにコロシアムの鉄格子は全て海楼石でできていた。
「盲目の賭博親父が、まさかの海軍大将かよ」
「最前はどうも、御一行さんに親切にしていただいたってェのに、恩を仇で返すようで……なんとも因果な渡世でござんす」
ここで初めて、麦わらの一味は海軍大将がこの地にいるということを知る。ドフラミンゴの相手だけでもいっぱいだというのに、ここにきて海軍大将。それもドフラミンゴは七武海を辞めていないため実質相手は共同戦線となる。ぐったりと動かないローを乱暴に掴み取り、ドフラミンゴと藤虎が空へと飛ぶ。
「話は王宮へ行ってからだ、藤虎……エルリックについてもだ」
「エルリックって……おい!」
「麦わらにも縁があるんだったか?」
ニヤリと笑うドフラミンゴに攻撃を仕掛けようとするも、しかし海兵たちの一斉射撃が始まってしまう。ひとまずルフィがコロシアムから出てくるまでは逃げ回ることとしたゾロと錦えもんは、電伝虫に状況を吠える。
「ドフラミンゴがロー殿を連れて空へと逃亡……!その折にエルリック殿を捕らえたような発言を零しておった!」
『な!捕まったのかレイルスは!』
「姿は見えなんだが、海軍大将と王宮へ向かいそこで話を決めると!」
「敵の法螺にしちゃ誰もレイルスの安否を確認できてない、捕まってると見ていいだろうよ!!」
『待ってろ俺たちもすぐドレスローザに……』
『ぎゃー!!』
突然悲鳴をあげ始めた電伝虫に全員が息を呑む。緊急事態だとわかるほどの悲鳴にルフィは「どうしたサニー号!何があった!」と叫ぶ。
『大変です〜!!ビックマムの海賊船がァ〜!!』
まさかの言葉に報告を聞いた全員が驚愕する。四皇、ビックマムの船。どうして今と思いはするも、魚人島にてルフィは島を救うためにビックマム本人に喧嘩を売っている。だが、四皇の船をすでに混沌としているドレスローザに連れて行っても状況は悪化するのみだろう。しかもビックマムの船の狙いはシーザーのようだ。どうやらこの男、ビックマムから研究費を騙し取っていたようである。サンジは容赦なくシーザーを蹴り飛ばした。
『大丈夫かサンジ!?だがおい……四皇なんてこの国に引っ張って来んなよ!国中がパニックになって兵隊たちの作戦が滅茶苦茶になっちまう!』
ルフィだけがなぜシーザーがサニー号に乗っているのかと訝しむも、ゾロやサンジが端的に説明をする。交渉は決裂、ローの判断によってシーザーを次の島ゾウへと運ぶため。ビックマムの船から砲撃を受け始めるサニー号で、ナミは一度深呼吸をした。混沌とした状況下で一番求められるのは、俯瞰した状況把握だ。今回の自分達の目的と、今各が置かれている状況。相手が一番嫌がること。全てを考えて決心したようにナミは口を開いた。
『サンジくん、私たちドレスローザに戻らない方がいいと思う』
そして一番自分達が犯してはならないこと。全てを天秤にかけて、マシな方へ可能性がある方へ。航海士として、仲間が行きたい場所への道を提示する。
『トラ男を取り戻したい気持ちも、小人の兵隊たちに加勢したい気持ちもわかる……ルフィ聞いて!』
あくまで提示。決定権は船長にある。
『ドフラミンゴと奪い合うカードは全部で4つよ……シーザー、SMILE工場、レイルス……そしてなぜかモモの助』
グッと唇を噛み締めるナミを見て、サンジはこれは俺が言わせてしまったな、とくしゃりと髪を握りつぶした。ナミ自身、本当はドレスローザに戻りたくて堪らないのだ。仲間が奪われたかもしれない、それも堂々と船を降りる宣言までした、無鉄砲で自分を大事にしてくれない仲間。心配で押しつぶされそうな気持ちを押し殺して、今ドレスローザにいる仲間に託す道を口にする。
『工場はまだ破壊できていないから向こうのもの……シーザーとモモの助はここにいるから、私たちのもの!レイルスは』
ナミの声が不自然に途切れる。力のこもった呼吸音が電伝虫から聞こえるのを、それぞれが耳にした。
『あいつはわかんないけど、でも簡単に捕まるタマじゃない!!たとえ捕まっていたって大人しくなんて絶対にしないわ!』
麦わらの一味でだってレイルスを縛りつけられなかったのだ。希望的観測かもしれない、もしかしたら酷い目に遭わされてるかもしれない。けれど、血塗れのボロボロになっても誰かのために歩くことをやめないレイルスの姿を知っているナミは、ドレスローザの事実をレイルスが知った場合どんな行動を取るのか手に取るようにわかった。冷たい口振りが多いものの、情に暑く絆されやすいそんな仲間。
『トラ男が戦ってたのは、この2つのカードをドフラミンゴから遠ざけるための囮として……もしかしたら工場破壊の時間稼ぎでもあったかもしれない……そこまでしてトラ男が守ったカード、私たちがむざむざ差し出しに行くような真似したら、あいつ報われないじゃない!!』
ルフィにはしっかりとナミの気持ちが伝わってきた。レイルスの心配よりも、レイルスと自分達を信頼すると言いたいのだ。だからこそ守るべき2つについては任せてほしいという宣言。
「ああ、そうだな……トラ男とレイルスは俺たちが必ず奪い返す!!」
ルフィの声にグッと全員の心に芯が通る。キャプテンがそう言ったのだ、であればそれ以外の結果はない。
「俺たちは王宮へいく、ドフラミンゴをぶっ飛ばす!!」
小難しい作戦をコソコソとやる方が性に合わなかったルフィは声高に新たな目標を掲げた。
投稿日:2022/0814
更新日:2022/0814