若人は行進する
「ぶべ」落下によるダメージによって目を覚ましたレイルスはむくりと起き上がり眠たげな目をぱちぱちとさせた。頭上から戦闘音、視界に入った窓から見える景色から自身がまだ王宮にいることを確認。次いで手で身体にあちこち触れて糸が絡まりついていないか確かめた。しばしそうして触れてわかるものなのか、という疑問が浮かんだためレイルスは諦めて立ち上がった。
ドフラミンゴがあの状態からレイルスを解放するとは考えにくい。意識を飛ばしたにしても、触れる距離まで接近されて目が覚めなかったと言うのもおかしい。そうなると可能性として考えられるのはローの入れ替え能力によるものだろうか、とレイルスは首を回しながら考えた。頭上の戦闘音からもドフラミンゴが何者かと対峙しているのは間違いない。レイルスの推察通りローは秘策の攻撃を繰り出すのと同時にレイルスを階下へと移動させていた。
どうも身体がだるい、思考が鈍るとレイルスは大きく呼吸を行う。そうして室内を改めて見渡した。生活感のある居住空間、幹部が使用している部屋だろうか。のっそりと歩き出したレイルスは毛の長い絨毯の上を音もなく進んでいく。
ガチャリと扉を開けた先にはバスルームもあり置いてあるものから女の部屋だろうと推理したレイルスは遠慮などなくそのままバスルームへ侵入しバスタブに栓をする。蛇口を捻ると妙な音はしたものの、問題なく水が流れてきたのでどうやら水道管はまだ無事らしい。シャンプーや入浴剤のボトルを手に取り、蓋を開けてタイルの床へとどろりと開ける。
「塩化ナトリウム……塩化マグネシウム、塩化カリウム塩化カルシウム硫酸カリウム硫酸マグネシウム……あー……」
ブツブツと呪文のように呟きながらレイルスは人差し指でシャンプーを掬い床に錬成陣を書いていく。粘り気のある薔薇の匂いのする液体に時折顔を顰めながら、普段をより時間をかけて完成させた陣。そのまま指先を離すことなく錬成を開始させ、シャンプーを粉末へと変えていく。途中、入浴剤を膝で移動させて混ぜ込みながらも錬成を続けレイルスが指を離した時には床には白い粉末が広がっていた。それを右手で握り込み、水の溜まり始めた浴槽へと捨てるように放り込む。
「3……4%だっけ……薄いよりいいか」
何度か粉末を握っては浴槽へと入れていた右手をそのまま水の中へと突っ込んで、水を攪拌する。傷口がビリビリと痛み顔を顰めるが動きは止めない。8割ほど水が溜まったところで蛇口を止めて、腕を水から出す。手首内側をぺろりと舐めて「しょっぺ」と眉を寄せたレイルスはそのまま水の中へと全身をダイブさせた。
王宮の中であたりを警戒していた男は、ふと幹部の部屋から人の気配を感じ足を止める。部屋はシュガーのもので、彼女は今卒倒して治療にあたっているため人の出入りがあるはずがない。ごくりと喉を鳴らして男は壁に張り付いて、手に握りしめる銃に力を込める。気配が扉に近づいてくる――3、2、1。
心の中で男が数を数え終えたと同時、ガン!と扉が蹴破られたかのような勢いで開く。驚いている間に男の体は後方へと倒れており、足払いをかけられたのだと遅れて気がつく。グッと痛みに歯を食いしばり、なんとか長い銃を相手へ向けようとするも、それも払われてしまい引き金から指が離れてしまった。ドン、と背中を強打して思わず目を瞑る。同時に鳩尾と首に圧迫感を感じ、男は死を覚悟した、のだが。ぽた、と男の頬に水滴が落下する。男は水滴に驚いて弾かれるようにして瞼を持ち上げた。
「え?」
「…………え?」
お互い驚愕によって固まる。男――ハイデリヒはどういうわけかドレスを着て、水浸しになっているレイルスが己の腹に乗っかっていることに。レイルスは敵かと思って襲いかかった相手の顔が弟そっくりだったことに。
「レイルスさん……!?ちょ、なんて格好してるの!」
「……ハイデ?なんでここに」
「い、いいからまず体!拭いて!!」
ただでさえタイトなドレスがレイルスの体にぺったりと張り付いているのに気がついたハイデリヒは敵地であることを忘れ生娘のように声を荒げて懇願した。
ハイデリヒが羽織っていた上着を不服そうにして肩にかけたレイルスは壁に張り付いて通路の先を伺いながらため息を吐き出した。
「それで?城の作りが変わって迷っていたときに私にあった、と」
革命軍として王宮に潜入していたハイデリヒは、ルフィとゾロが暴れていたまさにそのタイミングに廊下を進んでいたため、ピーカの能力によって現在地がわからなくなってしまっていた。むしろ石に押し潰されなかった幸運を喜ぶべきなのだが、本人はその幸運に気がつくことなく「ついてなくて」と嘆いている。
「ハイデって後方支援なんだと思ってたけど……」
そう言ってチラリとハイデリヒを見上げたレイルスは、2年前と異なり引き締まった体となった男を見上げる。この2年間で鍛え上げたのだろう、逞しくなったハイデリヒはしかしヘニョリと眉を情けなく下げた。
「これだって後方支援だよ」
嘘である。今回の作戦についてはハイデリヒはドレスローザ隣国の島にて待機の予定だったのだが、この男ごねにごねたのだ。海軍の通信を傍受し、麦わらの一味がパンクハザードからドレスローザへ向かっているという情報を掴み、元からこの国に向かう予定だったサボ達戦士の船に無茶を言って乗ってきたのである。革命軍の中ではハイデリヒはレイルスのストーカーなのではないかと噂されるほど、どんな小さな情報でもかき集めていた。サボには大層喜ばれていたため、一時期革命軍幹部の2人が賞金首にお熱なのではと疑われるほど。余りにも見つからないため次第に親の仇でも探すかのような空気になったために噂は自然と霧散していったが。それだけ必死だったのである。消息が取れないレイルスというルフィの仲間らしい人物にこのころサボはルフィへの足掛かりとして情報を集めていた。因みに1ヶ月前からはルフィとエース両者への恩人として認識を改めることとなったため熱の入りようもより悪化し、また噂がたっていたことを本人達は把握していない。
サボ以上に躍起になっていたハイデリヒだが周りが気にならなくなるほど必死になるのも仕方がなかった。なにせあんな別れ方をしてニュースを見たのだ、行方知れずとなった重傷のレイルスを思ってどれだけ心配したか。切なげにレイルスの左腕を見つめて、ハイデリヒはトホホと嘆いた。だというのにレイルスときたら、感動の再会もあったものではない。出会い頭に押し倒されて右腕で頸動脈を押し潰され、その上二言目には「とりあえず資料探すから移動する」である。はぁとため息を吐き出して、ハイデリヒは少し笑う。レイルスがそれでもどうしようもなく優しいことを知っているから、これはこれでらしいのかなと思えたことでの笑みだ。
「くまのこと、知ってた?」
ハイデリヒの小さな呟きにレイルスは振り返りそうになるも、足を進める。戦闘の音が随分近い、頭上でも相変わらず戦闘音は続いているため別の誰かが王宮に攻めてきているのだろうか。レイルスは顔を険しくしながら一つ頷いた。
「責めるつもりじゃないよ、あの時はレイルスさんだってそれどころじゃなかっただろうし……何よりくま本人が僕に伝えてこなかったんだ、僕の力不足をあなたのせいにはしない」
悟るような語り口調。パラリと天井から石のかけらが落下してくる。バッと駆け出したレイルスの後にハイデリヒも続いていく。もう戦闘の音がすぐそこに迫っている。怒鳴り声もはっきりではないが聞こえる位置だ。角を曲がればその戦闘が見えるだろう、そんな時にレイルスにパシリと手を取られたハイデリヒはレイルスに引き摺られるまますぐ横の部屋の扉を潜る。倉庫なのだろう、シーツや掃除用具の並べられた箱を一瞬目にしたハイデリヒだが、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。
「伝えない覚悟を汚すな」
薄暗闇でレイルスの眼光が鋭くハイデリヒを下から睨みつけていた。胸倉を掴む細く弱々しい力にハイデリヒは気がつく。2年前こんなか細い女を戦う人だと思うほどに自分は非力だったのだと。
「あいつがどんな人間かは知らない。でも少なくとも、潜入中に何度も足を運ぶ程度にはハイデのことを頼っていた、甘えていた」
ぎゅうと、レイルスの指先が白くなる。吐き出した言葉がそのままレイルスに突き刺さるように戻ってくる。物事はなんでも綺麗に言える、いくらでも綺麗事にできる。汚い心も弱い心も綺麗に繕える。何が覚悟だ、レイルスは酷い顔を晒す前に俯いた。
「……ごめん、行こう」
「ううん、そうだね」
そんな風に悲しまれてしまったら、その小さな甘えすらなかった方が良かったのではないかと後悔してしまう。一切を断ち切り、裏切ったのだと思わせていた方が良かったのではないかと。結局くまもレイルスも中途半端だったのだ。だから周りを無駄に磨耗させる。レイルスにはその自覚があった。する、と外されたレイルスの細い手をハイデリヒはしっかりと捕まえる。頭から水を被っているので当たり前だが冷え切っている。2年前と変わらず冷たい指先にハイデリヒは穏やかに笑った。
「そうだね、僕は会えて良かった……会いたかった」
「……そりゃあいつも浮かばれるだろうね」
目尻を下げて笑うハイデリヒの目元が少し赤い。それを見ないふりをしてレイルスは多くの感情を飲み込んで手を引き抜いてハイデリヒの顎を下からコツンと殴る。「あで」と声を上げたハイデリヒにレイルスも表情を和らげた。
ドゴン!目の前の廊下から凄まじい音がして2人は目を合わせてそっと扉から外を覗く。目の前にはドフラミンゴと思わしき男が立っておりハイデリヒはごくりと喉を鳴らした。レイルスはジッと目の前の男を見つめ、その姿が稀にぶれることに気がつく。先ほどよりも粗が多い、すぐに糸分身だと気がついて腰に巻いていた布を解き始める。中からはシュガーの部屋にあったシャンプーボトルなどがゴロゴロと転がりでて、ハイデリヒは「何してるの」と小声で問いかけた。
「バケツ取って」
「ドフラミンゴォ!!」
外ではルフィが戦っており、怒りの声がビリビリと部屋の中にまで届いた。答えてくれないレイルスに肩をすくませて、箒などが入っていたバケツを空にしてレイルスの目の前に差し出す。ボトルの蓋を開けていたレイルスはそこに中に入っていた水をドバドバと開け始める。全て開けるつもりなのだろうと察したハイデリヒもその作業を黙って手伝う。すぐにボトルは空になり、代わりにバケツが満杯になる。
「それもしかして」
改めてハイデリヒが確認しようとすると、レイルスはバケツを片手に持ち、ニヤリと笑って扉を足で蹴り上げた。そして背中を向けて立っていたドフラミンゴの頭からその中身をお見舞いしてやる。突然の行動に驚いたのはハイデリヒだけではない、ドフラミンゴと戦っていたルフィも、バシャリと頭から水をかぶったドフラミンゴに驚いて声をあげる。ガランと音を立ててバケツが床へと転がった。立て続けにレイルスの回し蹴りがドフラミンゴの腕を蹴り飛ばした。一回転して姿勢を戻したレイルスはふぅ、吐息を着いてハイデリヒに向き直る。
「海水」
語尾にハートがつきそうなほど上機嫌に笑うレイルスにハイデリヒは顔を引き攣らせた。
投稿日:2022/1223
更新日:2022/1223