幌の間隙


「鉱屋」
「……はい?」
「なぜ毎度そういう顔になる」
「あんまりその『鉱』が好きじゃないってだけ」
「そうか」
 しかし止めるつもりの全くないローはレイルスの瞼を下に引っ張り瞼の裏側の色を確認する。だいぶ戻ったがまだまだ白い、貧血の証拠である。増血の薬も飲ませているが、あまり身になっていないらしい。無骨でカサついたローの指に引っ張られるまま、嫌がる素振りも見せずに眼の近辺を触らせるレイルスに野生として死んでるなとローは少しだけ呆れた。レイルスにとってはハートの海賊団に警戒が薄いだの緊張感をもてだのと思われる筋合いは全くないと思っている、何せ命を救われているのに今更警戒も何もないだろう。むしろ部外者相手に警戒されないものなんだなと呑気に思っていた。海賊はみんなそうなのかもしれないなんてとびきり警戒のなかった麦わらの一味と、比較的穏やかなハートの一味のせいでレイルスの海賊に対する認識はずれてしまっていた。
「お前胃が小さい自覚はあるか」
「ああ」
 こくりと頷いたレイルスにローは右手に指を当てる。平熱、より少し低いくらいだろうか。脈は正常。相変わらず末端が凍えるように冷え切っている。潜水している間蒸し暑くなる船内でも1人平気な顔をしているレイルスにベポが泣きついて報告してきた日が懐かしい。もっとも、泣きつくと言っても自分は耐えられないという悲鳴が8割だったのだが。
「後天性だろ、それ」
 そう言ってレイルスの手を離したローはカリカリとカルテに今日の診察結果を書き込む。重症も重症だったため、経過観察も兼ねて毎日決まった時間にレイルスはローの診察を受けていた。
「わかるもんなの?」
「胃に妙な縦皺が入ってる、壊死と言うより胃になんらかの負荷がかかって圧縮されたような感じか……んな症状見たことも聞いたこともねぇが、先天性だとしたらお前がそこまで成長できてるはずがない」
 ほーん、と感心したようにローを見上げるレイルス。そして医者であるこの男が知らない、と言う言葉を使ったことでまた改めてレイルスは世界の差を感じていた。ついでにまるで内臓を目で見たかのような表現にここの船の設備はどうなっているんだと勘違いも発生した。レントゲンでも用意しているのだろうかと思うレイルスはローの能力についてあまりにも無知だった。
「子供の時に国で流行病にかかった」
 母の命を刈り取っていった病に、家の中で最初にかかったのはレイルスだった。村の中で流行り始めたと思ったらあっという間にたくさんの人が病に伏せっており、気がついたらレイルスもその中の1人となっていた。近くに大きな病院もなく、幼馴染の医者の家のベッドはすでに埋まっていた。子供は重症化しにくいと言うことで後回しにされ、自宅療養となったのだが、そこには元から体があまり強くない母がいた。レイルスの看病をすれば自ずと接触は増える。当然のように母に感染させてしまい、そうして母だけ死んでしまった。当時はそう思って死にたくなったのを今でも鮮明に覚えている。本当に、あの時は自分のことを呪い殺せるだろうくらいに塞ぎ込んだものだ。「許さない」、幼い声は今でも鮮明にレイルスの中で反響している。
「名前は覚えているか」
「名前も、ウィルスの感染経路も、原因も覚えてるよ」
 忘れられるはずもない。レイルスは履いていたスリッパの片方を床に落として、片方の足を椅子の上にあげて膝を抱えた。まるで不安がる子供のような仕草にローは目を細める。しかしレイルスの表情は全くもって変わらない。静かで穏やかなものだった。
「病の名前は『ザクロ病』、ウィルスはカルタゴ菌による飲水からの感染……私の国の南部でザクロが咲く季節に流行り始めてそんな名前がついたって言うのが一般説」
「一般説?」
「調べたらもう少し残酷な理由だった」
 聞く?とレイルスが顎を膝に乗せて問いかける。躊躇うことなく頷いたローにレイルスは小さく笑った。そしてちょい、と右手の指先でローの持つ羽ペンを渡すように促した。
「ザクロの実は見たことある?」
「粒状のものが集まった赤い実だろ」
「そうそう、あれ、熟すと勝手に身が破れて中身の種が落下してくるんだ」
 促されるまま羽ペンと、ついでに適当な紙を机に滑らせて渡してやれば小さく礼が返ってくる。サラサラと羽ペンを動かして紙面に描かれたものは何かの絵で、ローはそれがレイルスのいう破れた実だろうと推察する。手慣れたスピードで描かれた絵はそれなりに上手い。文字も普段から書き慣れているのであろう綺麗なものだった。
「カルタゴ菌は人に感染してから、約一ヶ月ほど潜伏する……潜伏期間に他細胞への転移はほとんど無し、最初に張り付いた細胞の中でだけ増えていって膨らむ」
「症状は出ないのか」
「たかが胃の数百程度の細胞が占拠されるだけだし、この段階では全く出ない」
 それは、厄介だ。大抵の菌は増殖の段階で人間に害をなす物質を出したり、細胞に悪影響を及ぼすため熱が出たりと症状が出るのだがそれがないとは。そもそもウイルスの性質上、1つの細胞を乗っ取ったあとに他へとウイルスを飛ばさない時点でかなりイレギュラーだ。ローは知らない病に顔を険しくする。
「一ヶ月後、カルタゴ菌で風船みたいに膨らんだ細胞が破裂して、一気に体内にその胞子を飛ばす……飲水からの感染だから、基本は胃にある細胞が急に爆発する感じだね」
「胃液で死なないってだけで相当だな」
「そりゃね、そういう風に作られてたから」
「……は?」
 カリカリとペンを動かすレイルスの顔は、髪がカーテンのようになって伺えない。信じられない言葉を聞いたローはしかしすぐにその意味を理解して舌打ちをこぼした。レイルスはローの反応に、1を伝えて10理解できる頭の回転の速さに少し感謝した。あまり楽しい話ではないのだ。描き終えた簡易な図をローへと見やすいように差し出す。
「胃から侵入して、潜伏、増殖した菌は血管やリンパを通って体内へ送られる。そしてその先でまた一ヶ月潜伏するんだけど、今度の増殖は最初の比じゃない、その上一ヶ月も身体の中に居着いていたものを、もう異物として免疫細胞が殺さない」
「……持って二ヶ月」
「そういうこと、苗床になった体は最後、甘酸っぱい匂いがして……そこでやっとこの病だったって気がつく。その匂いがザクロの香りにも似てるんだと」
 ザクロのような実から矢印が引かれている。その先には簡易な人体の絵があり横に全身へ数億の種が飛ぶ、と注釈がある。ウィルスの増殖自体それはもうとんでもないと言うのを知ってはいるが、潜伏期間にそこまで多くなるのは滅多にない。もう症状がとっくに出ていておかしくない数字なのだ。レイルスの描いた図には他にも注釈があり、一度目無毒、二度目有毒という文字があった。
「妙な菌だ」
「えげつないよね」
「で?どんな害が出る」
「発熱、発汗……普通の風邪の症状は大方。最大の特徴は筋肉の劣化を早める」
 ローはゾッと血の気を引かせた。劣化、すなわち老化を進めると言うことか。なるほど一度見たレイルスの胃を思い出してあの皺の意味を理解する。考え込むようにローは腕を組み片方の手で口元を覆った。眉間には深く皺が刻まれている。
「幸い、代謝がちゃんとしていれば最初の一ヶ月で細胞が膨らむ前に体外に出る」
「お前がそうだったのか」
 微妙な表情でレイルスは頷いた。
「……そんなとこ」
「薬は?」
「比較的早くに出回った、国が想定してた以上に死んだのと、あくまで改良中の兵器だったらしいから」
「……虫唾が走るな」
 レイルスがそのことに気がついたのは本当に偶然だった。軍の資料を見ていたときに、ふとその資料に妙な落書きのようなものを発見した。それが錬金術師の残した何かであると気がついた時には無意識にその筆跡を追って資料をかき集め、暗号を揃えていた。情報を紐解いて唖然とした、まさかと思って何度も調べ直したが恐ろしいほど辻褄の合う話。それでも信じきれずに錬金術師の残した情報にあった病院に向かってこっそりと調べれば、あっさり証拠が見つかったのだ。
 思えばレイルスはあの時初めて人間に対して醜さを覚えたのだったか。情報と、保管されていた細菌兵器を処理して、レイルスはこのことを誰にも言わずに闇に葬り去った。思いがけずに知ってしまった事実は、レイルスをどん底にまで落とし込んだ。人から人に感染することはまずない病だと知ったのもその時だ。
「デモの時点では若年層がどれだけ死ぬか見たかったらしいよ、それで私のいた町も標的になった」
 その理由も、「ホーエンハイム」だったのだけれども。子供がいるならあの村は避けていたのに、なんて見下すように吐かれた言葉に大いに絶望した。ただ、長くホーエンハイムが滞在していたから。そんなたわいもない理由で生活は一変した。ここで初めてレイルスが顔を暗くしたことに気がついたローは半ば確信的に身近なものがその病のせいで死んだのだろうことに気がついた。ただでさえ感染症には人一倍敏感であったせいとも言えたが、同じ空気をレイルスから感じ取っていたからかもしれない。どこまでも胸糞の悪いレイルスの話にローは意図して大きく息を吐き出してレイルスから渡された紙を手に取った。一体その時どれだけの人間が死んでしまったのだろう、感染症だと隔離されたのだろう。考えるだけでも気が重くなり、ローの脳裏のずっと奥で真っ白い町がチラついた。
「抗体確認する?」
「……ああ」
 当然のように自分からそんなことを提案してくるレイルスに、お前は憎くないのかとローは最後まで聞くことができなかった。


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投稿日:2023/0221
  更新日:2023/0221