独楽は停止へ向かう
レイルスは知らないことではあったが、カームベルトからグランドラインに戻ると言うのはなかなかに大変な航海である。そもそもカームベルトに入って仕舞えば風が全くない凪の気候、普通の船ではそのまま動くことも叶わずに海王類の餌になって終わる。ポーラータング号は潜水艦であるため、エンジンを稼働させて凪の気候中も航海が可能ではあるものの、動力源である石炭の管理はそれはもう厳重に行われていた。少しでも見誤ればカームベルトに置き去りにされてしまうのだ。
「いやあしかし、ここでドジやらかすかね」
「ゴメェン……」
だったのだが、まさか航海士が進路を間違うとは思いもしなかった。現在ハートの海賊団が持っているログポースは海底の魚人島を指しており、そこに行くためにもシャボンディ諸島に行かなければならないのは前半の海、パラダイスを乗り越えた船の共通進路である。しかし戦争直後のシャボンディは荒れることを予想して、ローが別で持っていた前の島のエターナルポースでそちらに向かう、と決定していたのだが。
「なんで途中でログポース見間違えちまうかな」
「ご、ゴメェええん!!」
静かに怒るペンギンがベポのつなぎの胸ぐらを鷲掴む。怒りのためかその指先は真っ白で相当力が入れられているのだろう、ベポがギシギシとおかしな音を立てるつなぎに悲鳴のように再度謝罪を叫んだ。レイルスは小窓のある食堂にて相変わらず海を眺めていたのだが突然始まった暴力に呆然としてしまう。普段怒らない人が怒ると怖いとはよくいうが、ペンギンもそのタイプらしいと引き攣った顔で理解した。帽子の影になって目元が見えないことが余計恐ろしさに拍車をかけている。可哀想にベポは涙をブワリとこぼしていた。
「おっかねぇ」
「……どうしたのあれ」
「ベポがやらかしてよ」
大きな体を小さくしながらレイルスの隣に避難してきたシャチはこの船でペンギンを一番怒らせている人物だったりする。その怖さを身をもって知っているため助けてやることもできずに安全地帯に避難してきたのだ。レイルスはベポが航海士ということを聞いて驚きで瞼をパチクリとさせた。バサバサと音がしそうなほど長いまつ毛が上下しているのを見て、シャチはああ癒される、と現実逃避のように見事な瞳をうっとりと眺めた。
「ただシャボンディ行きのと間違えてればよかったんだけどよ、途中から間違えたってのがデカくてな」
「無駄に船の動力を使って、それを怒られてるんだ」
「そういうこと」
「動力って何使ってるの?」
「基本は石炭、海流もちょこっとって感じ」
石炭か、とレイルスが思案するように口を尖らせた。ボイラーで使う場合は粉末にして加熱するんだったか。だとしたら加熱による動力確保を行なっているだろう。ふむ、と思案したレイルスはシャチに念押しで問いかける。
「加熱でタービンか何か回してるの?」
「そーそー……詳しくね?」
はた、とシャチが我に帰ったようにレイルスに疑問の目を向ける。潜水艦自体珍しいものだから、こういった話について来れない人間がほとんとだ。ベポの悲鳴が響く中、熟考を初めてしまったレイルスをシャチは改めて眺める。着ている服はイッカクのお下がりであるが、それでも華奢なのであろうレイルスには大きく見える。なのにみっともなく見えないのは単にレイルスのもつ気品によるものなのだろうか。どこかの貴族だと言われても納得できるよな、とシャチは内心でそんなことを思った。シャチの頭の中では窓辺の席で優雅に紅茶を飲みながら本を読むレイルスが描かれた。ついでに背中ががっぱりとあいたドレスを想像したためシャチの鼻の下はだらしなく伸びた。
見た目はそうかもしれないが、実際にはド田舎で羊に囲まれて原っぱを駆け回り川で泳いでいた幼少期を持つレイルスである。本は読んでいたが家の床に寝そべったり、外の切り株の上だったりと優雅さには程遠い場所である。
「うーん……いいや、本当に燃料に困りそうなら言って」
「めっちゃ困ってるよもう」
現にベポが可哀想なことになっている。ペンギンがあそこまで怒り狂うのを久しぶりに見たシャチはよっぽど切羽詰まっているということも察しがついた。変なところで一歩引いてみせるレイルスにシャチもこれだからなんだか疑ってるの馬鹿らしいんだよな、と笑ってしまった。
ボイラー室には入れてもらえないだろうと思っていたレイルスだったのだが思ったよりもすんなりとローの許可が降りた。クタクタになったベポは普段よりも3割ましで縮こまっており大いに反省しているらしい。心無しか小さな耳も垂れているように見える。
「どうするつもりだ?」
「石炭による発電に、アンモニアの火力も入れればだいぶ持つかな、と」
すぐにローに話を通したシャチは、怒り心頭のままのペンギンも同行するだろうとすでに逃げている。シャチの予想通り何か黒いものを背負ったペンギンが仁王立ちでその場にいる。ずっと無言であるペンギンにベポがまた小さく謝った。
「アンモニア?」
「空気中にある窒素と水素でどうとでもなるし」
随分と原子的な話をするものだとローの眉間に皺がよる。ローも先ほどシャチの報告で船の状況をしり頭を抱えていたのだが、同時にレイルスがどうにかできるかもしれないという話も聞いてまた例の力か、とあたりはつけていた。まさか石炭を作るなんて言わないだろうなと怪しんでいたが、それ以上に突拍子もない言葉につい顔を顰めてしまった。アンモニアがエネルギーになるなど聞いたこともない。
「あんまり火力は高くないから、今使ってる石炭を3割節約できる程度だと思ってもらえれば」
「…………」
「っヒ、あ、あのレイルス、あのね……石炭あと2時間くらい船を動かせる分しか、なくて」
ギロ、と帽子の奥でペンギンが眼光を鋭くした。レイルスもそこまで切羽詰まっているとは思わず口を閉じてしまう。あと2時間でカームベルトは抜けられるのだろうか、という疑問をもってローに目を向ければこちらも険しい顔、無理らしい。たとえ3割節約できたとしても間に合わないようだ。なんてこったとレイルスはつい頭を抱えた。
「……そしたら、割合は逆にしよう」
「アンモニア7割ってことか、動くんだろうな」
「調整すれば……計算したいんだけど何か紙ある?」
「ベポ」
「アイアイ!!」
ビュン、風のようにベポがボイラー室から飛び出していった。暑がりなベポが静かにこの場にいたことが快挙と言える。それだけ反省しているというのもあるのだろうが。ローはペンギンに一瞥をくれる。キャプテンからの視線にペンギンも流石に肩の力を抜いた。ちなみに、ペンギンをブチギレさせた回数の多い人物ナンバースリーにローもランクインしている。
「アイ!!」
ビュン、と戻ってきたベポが海図を書き損じた紙とペンを持ってきた。あまり手先が器用ではないので書き損じなら大量にあるのだ。暑さによる汗なのか冷や汗なのかわからないものを垂れ流すベポにペンギンは大きくため息を吐いて彼の背中を押した。
「反省したならいいよ、ほら出るぞ暑いだろ」
「ぺ、ペンギンゴメェえんなさぁあああいい!!」
「いい、いい!暑い!!」
汗と涙とブシャリと撒き散らせないがらベポがペンギンに纏わりついて退室していった。はは、と笑いながらベポがら渡された紙を床に置き座り込んだレイルスにローは顔を顰める。どうして何度言っても床に座るのだと視線をぶつけるも全く気が付きそうにないレイルスにローもその場に腰を下ろした。相変わらず、クソ暑いボイラー室であろうがなんともないようにしているレイルスのおかしさに眉を顰める。
早速とばかりにレイルスがカリカリとペンを走らせる。ローが見ていることに気がついたレイルスは説明したほうがいいだろう、と計算している手を止めて別の紙を手に取った。化学式を書いて、いや医者なら多少わかるかと細かい部分は短縮する。
「まずアンモニアについては空気中の水素と窒素を結合させて作るから浮上できるのなら無限に作れる」
N、Hと書いたものを矢印の先でアンモニアと書いたレイルスは今度はそれを分解させる化合式をするすると書いていく。
「燃焼するときの炎があんまり安定しないから、火力も弱いけれど安定している石炭に混ざればそれも解決する」
「アンモニアは毒性があるだろ、どうするんだ」
「ボイラー室に入らなければ大丈夫でしょ」
「……ガスなら引火制も高いだろ、爆発は」
「割合が16%以上になればするけど、そこは調整する」
話しながら、頭は計算を始めたらしい、紙にはローでも理解が難しい化学式と計算がつらつらと並び始めた。アンモニアの作成自体は問題ないのだが、ローが懸念している通り毒性と引火性の強さが問題か、とレイルスは考える。ローは当たり前のようにそんな毒性気体が蔓延することになるボイラー室に一人篭ろうとしているのであろうレイルスに頭が痛くなった。
「船の心臓部に部外者1人にはさせない」
レイルスの顔が初めて嫌そうに歪んだ。それはそうだろう、ローのいうことはもっともだ。しかしそうなるとある程度雑でもいいと思っていた錬成を丁寧に行わなくてはならなくなる。レイルスは眉間を一度揉んで「わかった」と息を吸い込んだ。
レイルスの計算は完璧なものだった。ボイラーの奥でアンモニアを生成しすぐさま燃料に変換することでほとんど毒性も、独特の刺激臭も散漫せずに済んだのだ。頭が痛くなるほど綿密な計算をしてそれを成し遂げたレイルスはカームベルトを越えるまでボイラー室にこもってその錬成を続け、見事船は嵐の中に突っ込んだ。およそ6時間以上もの戦いにレイルスも流石に疲れてボイラー室でローが見ているにも関わらずべったりと床に伸びたのだった。
最初はレイルスが計算を行なった紙を眺めていたローだったがそれも途中で飽きてしまい、レイルスが手を翳してバチバチと光る陣を眺めていた。
あの光に照らされている時が、一番映えるな。そうレイルスの目を見て思っていたローは船が波に揉まれて揺れた時まで飽きることなくじっとレイルスを見つめていた。レイルスも集中していたためにその視線には気がついていなかったが、何かを探るような視線はなおも続いている。
「科学者ってところか」
「……」
長時間ボイラーの目の前にいたことでレイルスの体も火照っており、額にはうっすらと汗も浮かんでいる。床の冷たさがありがたいと伸びていたがその言葉にチラリと上を見上げる。口角を上げたローが見えてうつ伏せだった体をごろりとひっくり返したレイルスはコメントしにくいローの言葉に口をむにゃりと動かして結局何も話さない。金髪の髪が惜しげも無くボイラー室の鉄製の床に広がっている。見下ろした先の金色の瞳が自身の影に入ってなお主張をしていることに気がついたローは、睨みつけるように目を細めた。
「助かった」
「……うん」
「レイルスー!!ありがとうレイルス〜!!」
バァンと派手な音を立てて普段なら絶対近寄らないボイラー室に突進してきたベポは、床で伸びているレイルスを抱き上げてくるくると回ってぎゅうと抱きしめたのだった。ローはさらに目を細めながら再び思案を始めたのだった。
投稿日:2022/0310
更新日:2022/0310